見出し画像

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

古いフランス映画をよく観る。フランス女優のセクシーさが好きだから。

彼女たちが持つのは、マリリン・モンローみたいな分かりやすい色気ではない。知性がそこはかとなく漂う、どこかミステリアスな色気。

映画の中でしか知らないけれど、彼女達は多くを語らない。
その代わりに目線や仕草で雄弁に愛を、哀しみを、軽蔑を、絶望を物語る。

そして男に媚びない。いつも自分の足で立っている。我が儘ではないけれど、自己主張はきちんとする。

誰にも流されず、自分の意思を貫く。人がどう思おうが、あまり関係ない。傲慢ではないけれど、常に自分に正直に生きている。

以前、Aix-en-Provenceという南仏の小さな街に住んでいたことがあるが、「Petit Paris」と言われる程に上流階級が多いその街には、目を楽しませてくれる素敵なマダムが沢山いた。

抜群の小物使いで、シンプルだけどエレガントなファッションを身に纏い、高めのヒールを履いた脚を組んで新聞を読んでいる。コーヒーはエスプレッソ。昼間からワインを飲んでいるのも南仏ならではの光景だ。

カフェなどで彼女たちの隣の席に座ると、とても良い香りがした。甘過ぎない、大人の女性のオリエンタルな香り。日本人の好む石けんや、甘いだけのフローラルな香りを着けている人は少ない。

恐らく小さい頃から、「かっこいい女」になるべく鍛錬しながら日々を過ごしてきた彼女たちのその美意識は、仕草、言葉遣い、服装、体型、生き様の全てに現れる。

「On ne naît pas femme:on le devient. (人は女に生まれるのではない。女になるのだ)」

とはフランスの作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉で、女性が自らの意志に反して「女」という役割を押し付けられることへの社会批判だが、私は一生をかけて女は女になると思っている。せっかく女に生まれたのだから、女である事を謳歌したい。

そして女性がいつまでも美しくあるためには、男性の存在も大切だと思う。

彼らにとって「恋」とは人生になくてはならぬものの一つで、結婚していても恋愛感情がなくなったら別れを選ぶ。そして再び恋に落ちたら、結婚して子供を作る。アヌーク・エーメは4回結婚した。

最近、離婚したフランス人の友人が言っていた。

「僕たちは、日本人みたいに浮気をしないよ。だって愛がなくなったら結婚している意味がないからね。いつも相手と自分に対して誠実なんだ」

離婚すると前の配偶者との子供は、新しいパートナーと育てる。オフィシャルな結婚(Mariage)でなくても、一緒に暮らす届け出を出しているカップル(Pacs)は、公式に結婚したカップルと同じような社会保障や税制度が受けられる。
この2つの他にも、どちらの届けも出さないカップルのためにユニオン・リーブル(Union libre)という自由を尊重する生活形態すらある。

フランスの国自体が、もはや「恋愛大国」だ。

そこには徹底した個人主義と、ラテンの血に彩られたほとばしる情熱のDNAが息づいている。
どちらが良いとか悪いとかではないが、「不倫」だ「略奪婚」だと他人の恋愛をバッシングする日本人には、理解するのは難しい。

かつて少子化で悩んでいたフランスの出産率は、女性が一人でも生きていけるような様々な家族手当や育児休暇制度によって、今やヨーロッパ1位になったことは、私たちが知っておいても良い事実だと思う。
このような制度を実現するためには、国民全体の深い懐が必要だということも。

話が少し脱線してしまったけれど、最後に「セクシー」にまつわる記事からの言葉を引用したい。

「セクシー」とは、自分に自信を持つことです。瑞々しい四肢を動かし、心から愛せるものを身にまとい、磨き上げるように心や体をケアします。誰よりも聡明な知恵を身につけ、好きなことを存分に楽しみます。それは、他人からの評価を気にしてのことではありません。自分に自信を持ち、人生に潤いをもたらすために行うのです。自分に自信を持つことは、人生のパフォーマンス向上に繋がると考えています。プライベートや仕事を充実させ、ひいては生活を上質なものへ昇華させていくことが、「セクシー」のあるべき姿なのではないでしょうか。

写真は上から、『昼顔』カトリーヌ・ドヌーブ、『軽蔑』ブリジット・バルドー、『男と女』アヌーク・エーメ、『死刑台のエレベーター』ジャンヌ・モロー。

ご訪問ありがとうございます。この投稿を面白いと思った方は、スキ、コメント、SNSへのシェア、サポートetcして頂けると大変励みになります。よろしくお願い致します。