中米旅 あとがきばかりのこの世界で

太平洋のど真ん中の空の上にいる。

ぼくはメキシコ行きの12時間にも及ぶフライトの最中だ。空の上でこの文章を書いている。これから向かうのは、パナマだ。ぼくは中央アメリカを旅しようと思うのだ。そして、旅小説を描こうと思っている。(ノンフィクションといった方がいいのかな?)

旅の予定は決まっていない。どこへ行こうか。あちこちの国や場所も渡り歩くもよし(なんなら中米縦断だってしてやろうかな)。それとも、気に入った場所があればそこに留まって何ヶ月もずっと一つの場所で過ごすのもよし。つまり、自由だ。

そもそも中米(中央アメリカ)地域は、日本と正反対のアメリカ大陸にあるうえ、治安が悪いなどの影響で、日本人で行く人はさほど多くなく、情報も数少ない。そこにあえて飛び込んでいく。「わからない」世界に惹かれるのは旅をする人間にとっての性だ。

ぼくは、中央アメリカを旅し、その様子を描くにあたって、3つのルールを自分に設けようと思っている。


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1、なるべくリアルタイムに近い時間で記すこと。

他人に自分の物語を伝えるためには、過去を振り返り編集加工する必要があって、勇敢な冒険談も立派な成功話も結局は後から編集された話だ。そのときの感情は後の「一貫性」や「ストーリー性」と呼べばいいのか、要は他人に受け入れられるための形に変更を余儀なくされる。そりゃ成功してから成し遂げてから話される物語は、面白くて話題になってかっこいいものかも知れない。

でも実際生きているって不透明なものなんじゃないのかな?ぼくは自分の人生すら都合のいいように今まで書き換えてしまっている感じがした。そんな自分自身疑問から始まったのがこの挑戦だ。

そう、だから、ぼくはなるべくリアルタイムで旅を描いてみようと思うんだ。

その時感じた想いを、先にどう繋がるかわからなとしても、ただ一瞬一瞬の刹那に切り取った景色を記録する。その時感じたままに描く。もちろん投稿までの時間のタイムラグは生まれてしまうのだけれど、後に過ごす時間が自分の気持ちを上書き保存してしまわぬうちにどんどん記していこう、そう思っている。

言うなれば、塩胡椒のみで味付けした食事かな。ちんと調理されたものではなくて、素材の味を、つまり体験そのままの味を残したものにしていきたい。つまらないこともどうでもいいことも含めて。

とはいっても、多くの旅エッセイや小説だって、旅を終えた後に記憶や記録を振り返って多くの時間をかけて熟成させていい文章ができあがっている。それなのに、ぼくに絶えず今を描ききる力はあるのだろうか。それはわからない。


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2、日本との対比で考えないこと。

「日本では○○なのに、海外では△△」とか「やはり日本は素晴らしい」とかとか、日本と比較した二項対立の単純化した概念で、安易な結論付けをしないこと。そこに生きる人の生き様とか無意識に目を向けられるようになろう。

さらに言うならば、今過ごしているこの時間は、過去の概念に当てはめて認識してはいけないんだ。年をとるに連れ、知識や経験は増えていくけれども、そこに捕らわれてしまうと一生今の自分から抜け出せなくなる。現在の瞬間は独立してまずは切り取らないといけない。新しい発見をするためには。


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3、書き続ける、その手を止めないこと。

ぼくはまともに文章を書いたことがなくて、果たしてぼくが掲げたことをできるのかどうかはわからない。それでも書かなければならない、そう思ったんだ。他に理由はいらない。

ぼくは23才だ。世間的にはまだまだ若い坊ちゃんだろうけど、段々と大人の世界を理解してきて、世の中の傷や痛みにも気づき始めた年頃だ。何者でもない一人の若者のぼくの旅は、劇的な小説にはならないかも知れないけども、その一部始終をもれなく書き連ねることで、もしかしたらこの時代の普通の旅人のリアリティを再現できるんじゃないか、それはどこかの誰かにとって(たとえわずかであろうと)意味のあるものになりうるんじゃないか、そう考えている。

意味のあるものに、って言ったけど、たとえ、誰一人目を向けられなかったとしても、ここに記す続けることに、少なくとも、このぼく自身にとって大きな意味を持つはずなんだろうと信じて。

だから、その手を止めないんだ。どんなに拙い文章でも。その意志を消さないんだ。


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これは、ぼくにとって決意の書だ。

目まぐるしく変わっていくだろう旅を通じて感じたことを、自分自身や社会に対して考えたことを、一つ一つ向き合っていけるようになる。

絶え間なく現在を描き続けることで、現在を生きれる人になるために。


「あとがき」ばかりが満ち溢れたこの世界で、ぼくは「いまがき」を始める


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