『別マ』『花ゆめ』『LaLa』の小長井さんの本が出たよ!

初出:図書の家の「この漫画を今日は読もう」/『漫画の手帖 B録』03号 2011.10.30発行(折り冊子4P)

 8月中旬に発行された、元白泉社社長で名編集者の小長井信昌さんの『わたしの少女マンガ史—別マから花ゆめ、LaLaへ』(西田書店)は、皆様お読みになったでしょうか? 1970年代初めから80年代にかけての少女漫画の歴史をかたちづくる貴重な証言が詰まったこの本は、研究者にはもちろん必携、また、『別冊マーガレット』(別マ )の黄金期と聞いて、美内すずえや和田慎二が前後編で100ページ作品をばんばん描いていた70年代前半を懐かしく思う方には特におすすめの1册です。

 小長井さんの『別マ』編集長時代が、ちょうど小学生から中学生にかけてだった私の場合、『別マ』との最初の出会いはたぶん小2で、水野英子「グラナダの聖母」総集編の完結が載った68年4月号でした(くだん書房さんのサイトに詳しい目録と書影があります)。その頃の『別マ』は、そんな風に『週刊マーガレット』(週マ)で連載された人気作を2−3回に分けた総集編として読むことができる貴重な役割を担っていました。そもそも新書判コミックスが各社から発売開始されたのが66〜68年頃であり、それまではどれだけ好きな作品でもまとめて読むことは非常に困難を極めていた時代です。総集編を誌面の中核として、その脇を読み応えのある読みきり短編で固めたのが『別マ』でした。

 小学生が限られたお小遣いでどの漫画雑誌を買うかで悩んだ時、週刊を毎週買うなどは論外。手分けできる姉妹も貸してくれる友人もいない私は、付録のついた『りぼん』『なかよし』よりも、毎月1冊で新しい物語を10作以上も読めるという、とてもお得感のある『別マ』を選びました。これが大正解。「ぜんぶ読みきり」「小学生からOLまで」と小長井さんに銘打たれて一気に加速していった『別マ』は、内容も恋愛からスポーツ、サスペンス、SF、感動ドラマまで何でもあり。以降数年で部数も飛躍的に延び、73年9月号では150万部を記録して当時の月刊誌で日本一となってその面白さを証明しました(※1)。

 今では普通でしょうが、雑誌の表3(裏表紙)に4色カラーで次号予告を打つスタイルは、小長井さんの発案だそうです。昭和の小学生はその予告も(彼の思惑通りに)なめるように何度も見て内容を妄想、発売日の前から近所の早売りする本屋に走っては、タイミングが早すぎてまだ梱包から出してないと店のおっちゃんに言われ、心底がっかりしながら出直したりしたものです。  

 また、『別マ』オリジナルの作家育成のために始めた「まんがスクール」は同時期の『COM』を参考にしたというスタートでしたが、50年代から貸本や月刊誌で活躍した鈴木光明氏を講師に迎えての丁寧な指導とその方法論は他誌に先駆けたものだったそうです。このスクールからは美内すずえをはじめ、後に幅広く活躍する作家が多く輩出され(※2)、投稿欄の名前や作品講評を読むのも読者の楽しみでした(『漫画の手帖』に連載中の笹生那実さんもそのお一人です。笹生さんのホームページのBBSにも関連話題満載)。7月初めに急逝された和田慎二さんも、小長井編集長のもと71年にデビューしています。

 それにしても当時の小学生が、小長井さんのお名前をなぜこんなに記憶しているのか。その頃の雑誌を見てみると、かなり早い時期から誌面のいろんなところにご本人が登場しているのですよね。72年2月号には「まんがスクール新春座談会」として、活躍中の作家さん、デビューしたての和田さんなどと一緒に小長井編集長のお姿もあります。こういうアットホーム?な演出も、雑誌と読者の距離をぐぐっと引きつける仕掛けのひとつだったのかも。そんな小長井さんの少年誌から少女誌へ、そして新会社の白泉社立ち上げと新雑誌の創刊、という壮大な編集者一代記となっています。なお、研究誌『ビランジ』での連載中に既に読まれていた方も、加筆や付録がたっぷりなので安心してお求めください。

※1:1972年に発行された『別マ』1、4、5月号。この年に100万部を突破。なお、『別マ』としての最高部数は84年9月号の192万8千部とのこと(P38-39より)。

※2:「別マ・花ゆめ・LaLa同窓会」記念パンフ『MUMUMU』(1991)には40人の漫画家が寄稿。P232-248にその一部を収録。

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