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先日阪堺線沿線住吉神社奥にある初辰神社へ撮影会へ行ってきました。
初辰神社さんには初辰通信というものが置いてありとても心に響く内容だったのでここで紹介させていただきます。

私たちの社会からなくなってしまったこと

突然はじまった感染症、コロナウイルスとの付き合いがもうすでに半年。そんな中で神主さんが気がつかれたのは、感染症収束を待つという試練だけではなく私たちの社会から待つという行為が薄れてきているのではないかということです。

そういえば気が短くなっているかも

昔は待ち合わせの時間に遅れて待ちぼうけをするであったり、恋する人への手紙を出して返事を待ってみたりと待つことが多かったけれど、今はメール1本、LINEメッセージ1つ送れば、ちょっとくらい遅れたって大丈夫。

約束した内容をうろ覚えであっても当日聞けばいいか・・・なんて思ってしまっていたり。

誰もが携帯電話を持っていて合理的だけど待つ時間、待つという精神性が忘れ去られちょっとでも待たされたらイライラしたり、もういいやとあきらめたりしてしまっているようにすら思えます。

待つことは日本人としての精神的風土

日本人は、自然と一緒に暮らし時間と手間をかけお米を育ててきました。

この通信ではそこに我慢を悟り、反省と感謝の繰り返しをすることで精神性を生み出し心掛けを育んできたと書いています。
 
待つことで人としての心が磨かれ形になる。
 
そう言われるとなんとなく心のゆとりや精神力が薄れてしまったようで、結果を急ぐ生き方に疑問を感じてしまいます。

今こそ待つという行為を取り戻そう

コロナ禍の中、不自由もあり怖さもあり、いつまで待てばいいのか不安だらけではあるけれど、マスク越し、パソコンの画面越しの相手のことを想像してじっくり待つことで育つものがあるとまずは信じたいです。

奇しくもできた自粛の時間をを早く早くと焦るのではなく、待つ先にある感染症収束までじっくり自分や家族社会にとって大事なのかを考える時間にしたいものです。

ちょうど撮影会が雨だったから

この撮影会の日ちょうど雨が降っていました。雨は常に空から地面に向かって降り注いできます。雨粒を撮影しようと思うと、いいタイミングをじっと待つしかない。

ところがその待つことができずにあきらめてしまう気持ちや、雨で濡れて嫌になってしまう気持ちが勝手しまう。そうなると良い写真を残すことはできないのです。

ああさっきあの場所でもうちょっと粘れば良かったかなあ・・・

後悔の気持ちを抱きながら歩いていてこの通信にめぐり合いました。
初辰神社の神様は、待つことの大切さを私に知らせてくださったのではと不思議な気持ちになりました。

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