ミーコと物語 3-13:How I wonder what you are .

3-13

 道子が白い息をはきながら私のところまで駆けてくるのを、待ってやった。
「おじちゃん、どこへ行くの」
 また「どこへ」か。少女の目は潤んでいた。悲しみではなく、力強い光で濡れていた。
「そんなことおじちゃんの勝手だろう」
「それはそうだけど。でもとっても疲れた顔してるから、どこへ行くんでもその前に少し休んだ方がいいよ」
「確かにそうかもね」
 私たちは並んで地べたに座った。実際、私は疲れ果てていた。
「おじちゃん、なんて名前?」
 おお、新鮮な質問。こういう事態に備えて一応用意されていた答えを、私は多少の気恥ずかしさは感じつつも何の感慨もなく述べた。

「I」

「IおじちゃんはDおじちゃんの友達だったの?」
「まあね」
「Iおじちゃんは何をしている人なの」
「お話をつくって、喋っているんだ」
「え!ほんと?いいなあ!」
 つくる、という部分は大嘘だ。心底うらやましそうに目を輝かせる道子を前に、私は少し居心地が悪くなった。
「なのになんでそんな悲しそうな顔してるの」
「お話をつくるのって、楽しいことだと思う?」
「もちろん!楽しいよ絶対」
「残念ながら、楽しいことばかりじゃないんだよ」
「じゃあ道子にやらせてよ」
「え?」
「いやなら、道子とかわってよ」
「かわる?」
 考えたこともなかったが、それもいいかもしれない。私はもう、何も決められないし変えられないことに飽きた。狂人を演じることすら物語に巻き取られ、自分の自由意志や人格が否定されつづけることに疲れた。この疲れもまた物語の肥しに過ぎないことに絶望した。道子なら、そんな呪われた役割のなかにも、何か希望のようなものを見出せるだろうか。物語の端っこにいる私なんかより、主要登場人物の彼女の方があるいは、きっと、よほど。ためしに、焚きつけてみる意味はあるかもしれない。もちろんそれもまた物語の肥しに過ぎないのだけれど、そんなこと言ってたらずっとこのままだし。
「ねえ、かわってくれるの?くれないの?」
「本気なんだね?」
「うん!」
「よし、いいだろう」
「やったー!」
「でも今すぐはダメ」
「えーなんで?」
「やっぱり辛いってんでやめられちゃうと困るからね」
「そんなことないってば!」
「ダメったらダメだ。いいかい、待つのがいやならこの話はなしだ。どうする?」
「じゃあ待つ。でもいつまで?」
「道子がもっと大きくなって、お話するのも楽じゃない、おもしろいことばかりじゃないってわかって、それでもまだやりたいっていう思いがあったら」
「へんなの、いつなのそれ」
「そうだなあ、二十七歳くらいになったらかなあ」
「でもそのとき、Iおじちゃんはどこにいるの?どうやってかわればよいの?」
「道子の好きなお話はどう始まる?」
「むかしむかしあるところに、って始まるよ」
「じゃあこうしよう。その時がきたら、よく晴れた日の夜に空を見上げてIおじちゃんのことを呼ぶんだ」
「その時、って?」
「くればたぶんわかるよ。呼び掛けに答えてキラリラ、キラリラと瞬く星があったら、それがIおじちゃんだよ」
「でももし」
「もう質問はなし。Iおじちゃんを見つけたら、そのあたりの空に向かって大声で話し始めればいいんだ、むかしむかしあるところに、って。あなたはいったいなんなの、なんて星に訊いちゃだめだよ」
「わかった」
「うむ。でもいくつか肝に銘じておいてほしいことがある。まず、その時は必ず、道子はひとりぼっちでないといけないよ。お話をするときは、人って孤独なんだ。ううんそういうものなんだ。おともだちも、家族も、嫌な邪魔者も誰もいない、何の音もしない静かなところでないと、お話は始められない。それからもうひとつ、道子がお話を始めるのは途中からだってこと。これを忘れないで。いや、そもそもあらゆる物語は途中から始まるって思ってもらっていい。たとえば、むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが、なんて始まる物語があるとするね。でもそう始まった瞬間におじいさんとおばあさんが無から出現するわけじゃない。彼らはお話の始まる前も山へ行ったり川へ行ったりしてきたのだし、もっとずっと前にはそれぞれ赤ん坊だったはずだろ? 赤ずきんを食べようとした狼だって、お話の前には幾人ものこどもたちを食べてきたのかもしれない。九死に一生を得た赤ずきんは、次の日には別のもっと狡猾な狼に食べられてしまうかもしれない。別に、ハッピーエンドはいけすかないとか、そういうことを言ってるんじゃないよ。物語終了後にシンデレラが転んで死ぬのが嫌だったら、こう付け加えればいいよ、みんないつまでもしあわせにくらしましたとさ、って。でも、それじゃおもしろくないしずるいよね。道子には、ぜひともそういう点について考えてほしいんだ。どこかで意識していてほしいんだ。一生懸命考えてほしいんだ。わかるかな?」
「ちっともわかんない」
「うんそうだねそうだね。いやほんというと、わかってもらおうと思って言ってるんじゃないからいいんだ。いつかもし本当に私のかわりにお話をつくり始めた時、いま言ったようなことを思い出してくれさえすればいいんだ。いや、意識しなくてもどうしたって思い出してしまうはずなんだ。なぜって、こうしていま、道子は聞いてしまったのだからね、Iおじちゃんの言葉を、ぜんぶ」
「えーとごめん、行くね。ママが心配する」
「うむ。私ももうじゅうぶん休んだから立ち上がることにするよ。でも最後にひとつだけ教えて。どんなお話にしたいと思ってるの?」
「うーん、なんでも、道子の思い通りでいいんでしょ?ぜんぶ」
「そうだよ、何から何まで」
「じゃあ、Dおじちゃんの出てくるお話がいい。Dおじちゃんに会いに行くお話にする」
 なるほど。私は、あらためて自分たちがこの物語の登場人物に過ぎないことを強く意識した。Dが死んだ意味はこれか。この物語の作者は物語を奇妙な仕方で壊そうとしており、私たちはそのための手駒なのだ。
「死んでしまった人の魂を探す物語か。今風だけど、君がいうとなぜかなんだか素敵に聞こえるよ」
 満面の笑みを残して、道子は母親の元へ走って行った。私も立ち上がり、大きく体を伸ばして空を見上げた。ただひたすら真青だった。昨今の火葬場では、死体の肉を焼いても建物から煙が立ち昇ることはない。周辺住民への配慮なのだそうだ。

* 第3章 おしまい

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松本トリ

『ミーコと物語』第3章 自分丼

Cの少年時代とAB夫妻の人生、Dの死をめぐるいろいろ。全13節。
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