ミーコと物語 4-1:道子とミーコ

第4章 ミーコ(27歳)はこういった。(全16節)

4-1

 むかしむかしあるところに、道子という名の五歳の少女がおりました。が、別のあるときあるところでは彼女は二十七歳の女で「ミーコ」と呼ばれていました。名前が変わったのは十三歳、夏。その後、元の名や他の名でミーコを呼んだり示したりする者はほとんどいませんでした。
 道子は、小さいから自分のことをさっちゃんと呼んだ幸子とは違って、考えを表明したり状況を説明したりする際、そのお話に自分を登場させるのに「道子はこう思う」とか「だから道子は転んだ」とか「道子いちばんの好物はそうめんです」とか、決まってそういうまるで作文を朗読するような喋り方をしました。道子は自分のことを「道子」以外の呼称では絶対に示さなかった。それどころか、事情を知らない周囲の大人や友人らに「みーちゃん」「みっちゃん」「みい」「おじょうちゃん」などと呼ばれようものなら、顔を真赤にして「ちがう!道子は道子なの!」と叫び、あんまりそれが度重なるとしまいには泣き出してしまうのでした。
 誰もが、道子を前にしばしば困り果てたものです。頑固な子、わがまま娘、では済まない何かをそこに感じ取れない鈍感な大人は幸い少なかったのですが、いかにも七面倒くさそうな道子の本質にあえて迫ろうとする大人は不幸にももっと少なくて、具体的にいえばその奇特な人物とは道子の母Aと、その兄Dおじちゃんの二人だけ。といってもAにできたのは、道子とDおじちゃんを戯れさせるための準備を整えるところまでだったので、実際に彼女の本質に触れることができたのは、宇宙にただ一人Dおじちゃんだけ、ということになりましょう。
 そしてこのDおじちゃんこそは、「道子」以外の呼称を許さない道子にとっての、やはり宇宙にただ一人の例外でもあったのでした。

「ミーコ」

 呼称へのこだわりが顕在化してきた三歳児に向かって、ある日あっさりと彼は呼びました。またぞろ大爆発かと身構えた両親を尻目に、しかし道子は平然と笑ってこう言ったのです。

「なあに?Dおじちゃん」

 ためしに他の誰かがミーコと呼べば、やはり道子は怒り狂いました。なぜか、道子はDおじちゃんにだけ「ミーコ」を許したのでした。その理由について、二十七歳のミーコは幼少時代を振り返って次のように語っています。
「あんまり覚えてないけど、呼ばれたときしっくりきたんじゃないかな、なんとなく。ミーコはそう思うよ。なにしろ道子ときたら、しっくりこない、ということをとにかく嫌悪してたから」

 道子五歳の冬、Dおじちゃんは階段を転げ落ちて死んでしまいます。同時に「ミーコ」も一旦は消え去りました。しかし、それでまた道子は完璧に道子とだけしか呼ばれなくなったのかというとまったくそうではなくて、むしろ道子以外の呼称で示されることの方が多くなっていきました。なにしろ、その後の道子は毎日「学校」に通い「社会」のなかで「生活」し、いちいち「規則」を守ったり「世間」を気にしたりする必要に迫られたのですから。「学校」も「社会」も「生活」も「規則」も「世間」も、容赦なく当然のことのように道子をいろんな違った名前で呼びまくりました。道子は、仕方なく我慢することや隠すことを学んだわけですが、心のなかではあいかわらず「道子は道子なの!」と叫び続けていました。

「がんばって、道子。ミーコになるまでの辛抱だよ」

 思わずエールを送ってしまう二十七歳のミーコです。

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松本トリ

『ミーコと物語』第4章 ミーコ(27歳)はこういった。

いつかどこかで、27歳のミーコが語った物語。全16節。
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