見出し画像

大河「いだてん」の分析 【第24話の感想】 韋駄天が人々に笑顔を運ぶ

第24回は、第1部金栗四三編の最終話である
放映期間の約半年をかけて、四三が生まれた1891年〜1923年の関東大震災までの約30年間ほどの近代日本を描いてみせた。
24話分の締めくくりとして、“大震災”という絶望の中にありながらも、たくましい人々の笑顔、希望に満ち溢れた回で、素晴らしかった。
感想と分析を書きとめておきます。

〜あらすじ〜
関東大震災により、東京は壊滅状態に。治五郎(役所広司)が作った神宮外苑競技場は避難所として人びとを受け入れ、そこで富江(黒島結菜)ら女学生が傷ついた人びとの救済に尽力する。四三(中村勘九郎)は心配する熊本のスヤ(綾瀬はるか)や幾江(大竹しのぶ)の元にも僅かな時間帰省。援助物資として食料を譲り受けるなか、神宮で復興運動会を開催し、スポーツで人びとを元気づけるアイデアを思いつく。そして「復興節」の歌がはやり、孝蔵の落語が疲れ切った人びとに笑いをもたらす。


1、“韋駄天”とは何の神様か?

前回の第23回感想を僕はこう書いて締めくくった。

クドカンは希望を描く。
絶望から “人々がどう立ち上がるのか”を描く作家である。
となると、見るべきは、震災後の第24話「種まく人」であろう。
宮藤官九郎がそこに“希望”を描いてくれるはずだ。

まさにその通りの“希望”に満ち溢れた回だった。
金栗四三を中心にして、復興する街に笑顔が広がっていく。


特に、第1部完結のここにきて、番組タイトルがなぜ『いだてん』であったのかの理由を“回収してみせた”ことには、そうきたかと思わされた。

熊本に帰ってきた四三は、義理の母親である池部幾江(大竹しのぶ)から「なんでこんな時に熊本へ帰ってきた」「答えろ、逃げて帰ってきたのか」と問い質される。そのやりとりのなかで、幾江が「おまえは、韋駄天がなんの神様なのか知らないのか?」と問われる。ここを放映画像から引用しよう。

「韋駄天とは、走り回って、みんなに食べ物を運び配った神様なんだぞ?」と指摘される。

これは実際そうなのだそうだ。
仏教では、“他人のために走り回って苦しんでいる人を助ける善”のことを、“馳走”と呼ぶそうだ。
馳走する神様が“韋駄天”である。

馳走とは、“馳せる”と“走る”の漢字から成り立っており、両方とも“走る”だ。
走り回ってこそ、人を救えるという意図からきているという。
その“馳走”への感謝を、“ご馳走さま”と言い、
「食事のたびに神様に感謝する習慣」が日本には根づいているのである。

半年間も『いだてん』を視聴してきたのに「韋駄天とはどんな神様か」とは深く考えなかった。
“足の速い神様でしょ”程度で思考ストップさせていたから全然気づかなかったし、今回はじめてこのエピソードを聞いて、あまりにドラマの今の状況にぴったりで「すごい!」と感動した。

そして、いだてん金栗四三は、“韋駄天”の名に恥じぬ復興支援活動に大活躍する。
九州熊本から持ち帰った野菜や食物を、被災地の仮設住宅やバラックに住む人々へと届け回るのである。

2、脚本家は、いつ3要素を繋げたのか

はたして脚本家クドカンはいつの時点で、「いだてん金栗四三の物語」と、「ドラマの中盤クライマックスに震災復興をとりあげたい」というアイデアと、「韋駄天様は、食べ物を運ぶ神様である」という知識、この“3つの要素”を自分のなかで繋げたのだろう?

結果論からみると、
『いだてん』というタイトルをつけた時から、“震災復興支援”と“韋駄天神の役割”とをつなげてたかのようにさえ思える。そう思えるほど、このゴールに向かっていろんな伏線が張られてきたように感じる。
もしほんとうにそうなら、すさまじいプロット構築力だ。

1923年時点で日本中の人が、金栗四三のことを“韋駄天とは金栗四三のこと”と認識している。しかし、自然災害の前にはなすすべもなく無力感を感じていた四三だったが、被災した人々のために分断された物流網の代わりに救援物資をかついで走り回りはじめる。走ることしかできないが、走ることならできる、と。そしていだてんがやってくると、みんなが笑顔になる。

四三は、希望を届けに“馳走する”のである。
いだてんは“韋駄天”だからこそ。

はじめからこの絵が、脚本家には見えていたのか。

3、チコちゃんのネタバラシについて

ここでひとつのヒントに触れる。

2019年1月4日放送、同じNHKのクイズバラエティ番組『チコちゃんに叱られる!』お正月拡大版「大河ドラマ“いだてん”とコラボスペシャル」が放映され、スタジオゲストには綾瀬はるかや生田斗真、ビデオ出演で中村勘九郎も出演した。

2019年1月4日というのは、いだてん第1話の放映開始が同年1月6日だから、直前2日前である。

この番組のなかで、ドラマ『いだてん』のタイトルにもなった、仏教の神様“韋駄天様とはどんな神様か”というクイズが出題され、“ご馳走さまの語源は、韋駄天から来ている”と触れてしまっているのである。そのときの放映画像を引用します。

この番組、ぼくもリアルタイムで見てたのだが、内容はまったく覚えてなくて忘れてしまっていた。

“ご馳走さまの語源は?”

こんな、第1部完結の最後の最後に登場する“とても重要なキーワード”を、放映開始直前のクイズ番組の問題に出題するだろうか?

いや、連携さえきちんととれていれば、出題しないと思う。だってこれ、ネタバラシともいえるもの。

なぜこんなことが起こったのか。考えられるのは3つ思い浮かぶ。

1、NHK内の連携ミス。いだてんチームは苦笑。

2、まだ脚本も撮影も、第24話までに至っていなかった。

3、クドカンは、チコちゃんの放送を観て「なるほど」と思い、書き終えてた台本に“韋駄天様の逸話”を書き加えた。

3だったら微笑ましいなと思い、冗談で仮説にしてみました。

創作の当初から念頭にあったとしても、
執筆途中にひらめいたのだとしても、
そのどちらにしてもクドカンが見事にストーリーテリングしてみせて多くの視聴者を感動させた代表作を描き切ったことは、たしかである。

(おわり)
※他の回の感想分析はこちら↓


コツコツ書き続けるので、サポートいただけたらがんばれます。