見出し画像

大河「いだてん」の分析 【第17話の感想①】 嘉納治五郎の夢、スタジアム建設

いだてん17話は躍動感があってとても良かった。
書きたいことがいくつか頭に浮かんでいるので、今回はわけて書こうと思う。まずこのスレッドは『嘉納治五郎の夢、スタジアム建設』について。

※他の回の分析感想はこちら↓

〜第17話のあらすじ〜
1915年、戦争でベルリンオリンピックの開催中止が決定し、選手のピークを迎えていた四三(中村勘九郎)は激しく落ち込む。ふさぎ込む姿を野口源三郎(永山絢斗)らが心配するなか、熊本からやって来た妻・スヤ(綾瀬はるか)が四三の無念を受け止める。夫婦として共に痛みを分かち合い、スヤの愛を力に四三は再び走りだす。四三の再起に刺激を受けた治五郎(役所広司)は明治神宮にスタジアムを作る目標を立てる。やがて彼らは、東京-京都間の東海道五十三次を全国の健脚たちと共に走る構想を思いつく。これが「駅伝」誕生の瞬間だった。

1、ビジネスセンス抜群の嘉納治五郎

讀賣新聞の記者たちに連れられて浅草十二階に登った嘉納治五郎は、窓の外の風景を眺めながら、そこで何かを見つける。
広い森だ。

他の記者たちは窓の外に富士山を見たときに、東海道五十三次を連想して“マラソン大会と五十三次の宿場町を繋ぐアイデア”を発想して、盛り上がっている。治五郎だけが風景に見とれたままで、話の輪にはいってこない。
四三がそれに気づいて治五郎に話しかけると、治五郎が「決めたよ」と言う。
「競技場をつくる」と。

「あのストックホルムの素晴らしい競技場。日本にもオリンピックができる競技場をつくるんだ」。

嘉納治五郎にはビジネスセンスがあるよな、とつくづく思う。
ビジネスが目的じゃないから正しい呼び方ではないが、目先の雑務にとらわれずに“未来の目標設定”をたてて、そのために必要な“大きな仕事を引き寄せてくる”のがとてもうまい。
バツグンの行動力もあるので、国に働きかけたり、国際的な会合で日本代表として発言したりすることも気負わない。

“日本を代表する広くて美しい競技場”があれば、スポーツ自体がまだ浸透しきっていない国民へ“スポーツの素晴らしさや楽しさ”の宣伝効果、浸透効果を狙った施策ともいえる。
スタジアムがないかぎりはオリンピック誘致もできない。日本の国力である建設力もアピールしておく必要がある。

2、明治神宮の歴史背景

双眼鏡で見つけた森は、“明治神宮の建設予定地”であった。
劇中の時代は1915年と出ていたが、明治天皇が崩御されたのは1912年なのでまだ最近の出来事である。ウィキペディアから歴史背景を引用する。

1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、何らかの記念するための行事が計画される。明治天皇は京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民から起こった。
実業家渋沢栄一、東京市長阪谷芳郎といった有力者による有志委員会が組織され、代々木御料地に神宮を建設する建設案が立てられた。(中略)
1915年(大正4年)5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。

前例がなかったために建設決定までに数年かかったというわけだ。

この第17話の放送はくしくも、
平成が終わり令和がはじまったばかりの第1週目の放送にあたった。

平成天皇は生前退位を選ばれたが、これもまた近代以降には前例がなく、その“空気感”としては、2019年現在と1915年当時は少し似ているのかもしれない。

嘉納治五郎はこの“前例がないのでどうしようかという空気感”のタイミングにうまく乗っかってみせたようだ。これまたWikipediaから引用する。

明治天皇の崩御後、東京市では市内に明治天皇を祀る神宮を創建することを決定し、代々木に内苑、青山に外苑がつくられることになった。その外苑に競技場が建設されることになるきっかけは1914年5月に当時の東京市長阪谷芳郎が嘉納治五郎大日本体育協会会長と共に日本YMCAの代表団と会談し、アメリカにおけるスポーツ行政の話に関心を抱いたことにあった。阪谷は東京市内に欧米式の公園とそれに伴う本格的な競技場を建設するというアイデアを思いつき、それを外苑整備のプランと合わせることで現実化した。

なんとなく、無計画の中で手さぐりながらも着実に、想定外だった競技場建設に進んだ感じがうかがえる。今回の大河を見てるともうこれは、“嘉納治五郎の立ち回りだよな”と思えてくる。

3、“戦争と平和と” 両方のシンボルに

この競技場はのちに「明治神宮外苑競技場」という名をえる。現在の「国立競技場」の立地である。
他の新聞特集記事にはこうある。引用する。嘉納治五郎の思いを感じとれる。

 明治神宮外苑競技場は1924年に建設され、400メートルトラックの内側にフットボール場を配置。「世界標準」を先取りした設計だった。外苑内には野球場や相撲場、水泳場も整備。「明治天皇が尚武の風を好まれたため、身体鍛錬の場として計画、建設された。国内の運動公園の先駆けだった」と名古屋大の片木篤教授(建築意匠)。
 同競技場では完成直後から、五輪を参考にした総合体育大会「明治神宮競技大会」が始まり、戦後の国民体育大会(国体)のモデルになる。名称を変えながら続き、最多で陸上や水上競技、球技、武道など約30種目あった。

スタジアムというプラットフォームを手に入れた嘉納治五郎は、着実に“スポーツ”を国民へと浸透させていくことに成功する。素晴らしい手腕だ。

治五郎を駆り立てる思いは、オリンピックが掲げる“平和の祭典”というコンセプトにほかならない。いだてんでも第1話でそのコンセプトに出会い感動して泣いてみせた。

しかし、このスタジアムが一時は戦争に利用されてしまうことになるが、
戦後には、治五郎の夢が叶い、ついに東京オリンピックの舞台になる。
この本放送は2019年現在だが、来年開催される2020年の東京オリンピックでも、同じ場所に新たな国立スタジアムが建設され、二度目の日本でのオリンピックを迎える。

戦争に利用された頃には嘉納治五郎自身はすでに亡くなったあとだったのだが、その光景を目の当たりにしたであろう金栗四三たちは、どんな気持ちでそれを見たのであろう。

そしてその悔しさを戦後にバトントスして、治五郎のオリンピックの夢を繋いだ仲間たちは、どういう意志で臨んだのだろう。

このスタジアム建設を通じて、またドラマがひとつはじまる。

(おわり)※他の回の分析感想はこちら↓


コツコツ書き続けるので、サポートいただけたらがんばれます。