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大河「いだてん」の分析 【第30話の感想】 ロサンゼルスの嘉納治五郎“布教活動”

第30話「黄金狂時代」の感想と分析を書きとめます。物語の主題はロサンゼルスオリンピックの競泳のゆくえだが、この感想文ではそこにはあまり触れずにあらためて偉人、嘉納治五郎の動きに着目します。

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1、長期的ビジョンを持ち、着実に実現へ歩む男

ロサンゼルスオリンピックは1932年開催だから、日本代表がはじめてオリンピックに参加した1912年のストックホルムオリンピックから数えるとちょうど20年にあたる。

その20年前、いだてんでいうと第1話からずっと物語の中心に居続けているのは、いまや嘉納治五郎ただひとりである。

嘉納治五郎は1912年時点ですでに52歳だったので、ロサンゼルスの時には72歳を迎えている。治五郎は78歳で亡くなってしまうためこの時期は最晩年にあたる。下の写真が実際の治五郎。

選手村のなかでスパンッスパンッと大きな音が聴こえるので田畑が向かってみると、治五郎が“恒例のファンの集い”をやっている。世界中各国の人々が集まってきて治五郎の背負い投げを実際に見れて感動しているのである。生きる伝説。物販で著書も販売しているので笑える。

嘉納治五郎は第1話から第30話の長い物語の中で実に様々な表情を見せてきたが、ざっくりまとめると、すごくエネルギッシュで行動力のある人物で、彼がいなければ日本人のオリンピックでの活躍は相当遅れていただろう。感情的に怒ったり叫んだり喜怒哀楽を見せてる情熱家の印象が強いが、よくよく長い目でみてみると、治五郎は実に着実に日本のスポーツを根気よく育ててきた。
自らが広告塔となって国際的な表舞台の先頭に立ち、当然のように英語で自らプレゼンも説得交渉もおこない、資金や人を集めては、スタジアムを建てたり、学校を整備したり、大会を開いたりして、スポーツ活性の基礎を築いたり教育に投資して若者の成長を後押ししてきた。

田畑に「嘉納さんは柔道をオリンピック種目には推さないのですか」と尋ねられてこう応える。

まだ機は熟しておらんからだ。まずいまは陸上と水泳で様子を見つつ、水面下で普及活動をし、世界中に弟子を増やし、満を持して正式種目にする。そのころ私は100歳を越えているかもしれないが。

ビジョンを持ち、プロセスを整理し、ひとつひとつ達成させた上で、夢へと近づいていく。“恒例のファンイベント”もライフワークで計画的にやり続けているのだろう。
そういえば、金栗と治五郎の出会いも、九州熊本での柔道演舞だった。いなか者の家族たちが「嘉納先生に抱っこしてもらえたら、四三は強い子になるぞ」と都市伝説を信じて遠路はるばる熊本市街まで出ていくのであった。あれも“普及活動”だ。日本中、世界中で、もう何十年も続けているのである。

治五郎は、思いつきで動物的に走り回っているようにみえて、よくよく先々を考えた上で、行動を選択していることがこの逸話からもわかる。

2、“ヒトラーとムッソリーニと日本”の共通項

治五郎たちは、ロサンゼルスで開かれたIOC総会に出席し、“1940年のオリンピック開催地誘致”のプレゼンに参加する。日本もエントリーしたが、なんとすでに9都市が立候補しており、東京は10番目と大きく出遅れている。

ここで、ヒトラーとムッソリーニが登場する

のちに世界大戦を引き起こす重要人物たちだ。とはいえ1932年頃のこの時点ではまだ力をつけようと虎視眈々と狙っている政治家のひとりである。

この数回、いだてんでは“スポーツと政治”の距離の問題に触れているが、スポーツ史を追うだけで、これほど近代史を追うことになるということは、それだけスポーツが近代史における重要ポイントと常に隣接していることがわかる。

ムッソリーニはずいぶん熱を入れて1940年のオリンピック誘致活動をしているという。
ヒトラーは?
ヒトラーはこの時点では“オリンピック不要論”を唱えていて、もしナチスが政権をとった場合には1936年に開催が決定しているベルリンオリンピックを返上する可能性もあるとの噂がたっている。(しかしこののちヒトラーは考えを180度変えオリンピックを政治利用することになる。)

日本はこの時点では“民”が主導だ。いだてんを見てる限りでは、日本の政治家はそれほどオリンピックに強い関心はない。
東京都知事が震災復興記念事業としてオリンピック誘致に魅力を感じているが、そこには“お祭り”という以上の狙いは感じとれない。実質的にはあくまで嘉納治五郎や体協が誘致活動をリードしているのだが、しかし皮肉なことに、ドイツ、イタリア、日本の3カ国が、最終的にはオリンピックに力をいれている構図となる。

3、“自国だけよければ良いのではない”という伝承

さて話しを戻すと、
1940年の誘致には苦戦をしいられていると治五郎は話す。

残念だが、距離の問題に加え、満州の件以来、日本は国際社会で評判が落ちている。あとは可能性があるとすれば、ドイツ次第。

ナチスがドイツ政権をとれば日本に誘致のチャンスが転がると聞いて無邪気に喜ぶ田畑を、治五郎は怒鳴りつける。それでも新聞社の政治記者か!と。

ユダヤ人を公然と差別するような男だぞ。そんな奴のお下がりなど絶対にいらん!スポーツが政治に屈するなど絶対にいかん!

自国のためとはいえ、
たとえ悲願のオリンピック誘致のためとはいえ、
ナチスが政権をとることを良しとすることなどできない。

これが治五郎の考えである。
つまり治五郎には、
“スポーツで日本を盛りあげたい”という情熱のさらに根底に、“世界平和・人類平和”の思想が強くある。日本だけよければいいという考え方ではないのだ。

平和なのはフェンスの内側だけ、選手村のなかだけ。それじゃいかんのだよ。

これってまさに、嘉納治五郎が説く
“自他共栄の教え”そのものではないだろうか。

田畑と治五郎の一番大きな違いは国際経験歴なのだろう。田畑ははじめての海外渡航、初めてのオリンピック参加。かたや嘉納治五郎は、“恒例のファンの集い”をやるほど国際活動を熱心に重ねてきた重鎮なのである。72歳と32歳。40歳も離れている。

前回の第29話を見て、田畑にとって「“夢の原点”となるロサンゼルス」と書いたが、逆にいうと、これだけ無邪気に楽しめたのは、このロサンゼルスまでだったとも言えるのかもしれない。
次のベルリンオリンピックから政治と戦争がオリンピックの中枢にまでぐっと介入してきて、田畑たちは苦しむことになる。田畑はこれから国際経験を積み始めるのだ。

さて、最後に。
物語の本題のほうでは、オリンピック競泳のメダルラッシュで大いに盛り上がる中(サブタイトルの黄金狂時代はこの“ゴールドラッシュ”からきているのだろう)、キャプテンであるカッちゃんたちの世代交代が丁寧に描かれている。
そのオリンピックの熱気の陰でひそやかに、“嘉納治五郎から田畑政治へ”の世代交代のバトンタッチも、大舞台の裏側でおこなわれていたのである。

(おわり)
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