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大河「いだてん」の分析 【第23話の感想】 震災と希望

いだてん第23話は、1923年の関東大震災を描いた。なぜ震災がこれほど克明に描かれたのか。それぞれの登場人物たちの、それぞれの長い一日。

〜あらすじ〜
四三(中村勘九郎)やシマ(杉咲 花)の提案で、富江(黒島結菜)は父の大作(板尾創路)と駆けっこで競走。鍛えた女性は男に勝てると証明する。治五郎(役所広司)はスポーツが育ってきた日本でオリンピックを開催できるよう神宮外苑競技場の完成を急ぐ。方や、孝蔵(森山未來)とおりん(夏帆)夫婦は、貧乏と夫の酒浸りの生活のせいで破局寸前に。そんな折、関東大震災が発生! 混乱の中で孝蔵は妻をかばう。

1、大河だからこその“震災”

原点に戻って考えると、
「近代オリンピックの歴史」を取り扱う大河ドラマにおいて、“震災”をとりあげるかどうかはマストではない

あらゆるドラマ作品は、“ドラマ世界のなかで流れている時間”のうち、“どの場面”を作品として盛りこむか、つまり、“どの時間を編集して切りとって使うか”は、脚本次第である。
主人公たちも本来は24時間365日の暮らしをしているが、そのうちの“たった数時間ぶん”を切り取って、ドラマ映像作品に仕立てている。
どの場面、どの時間を切りとるのか、その“編集センス”が脚本家のひとつの重要な才能といえる。

たとえばだが『いだてん』の過去回でいうと、1912年のストックホルムへ向かう行きの行程は、一話まるまるを使ってシベリア鉄道に二十日間も乗る過酷な精神状態を描いてみせたが、1920年のアントワープオリンピックの回では、競技シーンを一切映像化せずに「大会後の事後報告会」の場面にいきなり飛ばしてみせた。これが、脚本家による“編集の裁量権”である。

「1923年に起こった関東大震災」をドラマとしてとりあげるかどうかも脚本家次第である。オリンピックの歴史には実は直接的には影響がないのだから、“まったくとりあげない”ことも可能だっただろう。
しかし、『いだてん』が “関東大震災をとりあげようとしている” ことは、ずっと前から自明であった
いくつも伏線が張られていたし、その時へと向かって、いくつにもわかれた物語たちがその一箇所へと集約されてゆく気配さえも漂わせていた。

たとえば、凌雲閣「浅草十二階」だ。
四三が上京してきた“その日”から、シンボリックに十二階が登場し、そこで初めて四三はマラソンに出会った。その後も度々大切なシーンで十二階は登場し、三島弥彦はここの高層階でアメリカに渡り銀行員として成功することを誓ったし、四三は箱根駅伝の開催をここのベランダで思いついたし、嘉納治五郎は双眼鏡をのぞきながらスタジアム建設の夢をここで語った。シンボリックな場所である。いだてんたちにとって、突然、なくなるわけにはいかない場所になっていた。

それと、たとえば、落語演目「富久」である。
孝蔵が初めて師匠から教わった(耳で盗んだ)演目。“芝”で起きた火事を助けに走ったと思ったら、今度は“浅草”で火事が起こって慌てて帰って、と走り回る。火事だ、火事だ、と、浅草と芝を往復する。実際の孝蔵もこの頃、車夫をやっていて、売れっ子の師匠を人力車に乗せて浅草から芝まで走り回っていた。火事に、浅草に、芝。すべてがつながっている。


そうして、ついにその時が、やってくる。

1923年9月1日11時58分。
被災者は190万人、死亡あるいは行方不明は10万5,000人と推定される未曾有の大震災。揺れが収まったあと、昼食時でもあったせいもあり、あちこちで大規模に火災が発生し、東京では“浅草から芝”まで広範囲が焼け落ちた。

夜。行方のわからないシマを探して浅草までやってきた四三が、うながされて十二階のある方角を見上げる。
八階で折れて倒壊してしまった十二階がそこにある。絶望し立ち尽くす四三。

同じ頃、孝蔵が、遠く離れた小高い丘に座り、燃え盛る浅草から芝の光景を眺めている。
長く過ごして自分を育ててくれた思い出の浅草が、たった二日間で、あとかたもなく消える。それを見ていることしかできない。絶望感。

“震災”を通じて、四三と孝蔵のふたつのバラバラだった物語が交錯する。いや、四三と孝蔵だけではない。東京中の人々の人生が震災を通じて交錯する
ひとりひとりの人生に、深く重く影響を与える。亡くなる人。生き残る人。生き残ったけれど大切なものを失った人。東京にとって、日本にとって、それほど大きな“分岐点”なのである。

「オリンピックと震災に関係があるかどうか」だけであれば、直接的には関係がないのかもしれない。でも、ここで描かれているのはオリンピックドラマではなく、“近代日本の大河ドラマ”なのだ。
つまり、ある特定の人物の一代記を通じて描かれるのは、“日本人が歩んできた歴史”である。

震災と真正面から向き合うことによって、『いだてん』は、正真正銘の大河ドラマであることを自ら証明してみせたのである。


2、脚本家 宮藤官九郎にとっての“震災”

脚本家の宮藤官九郎は東北地方、宮城県の出身で、自身の代表作である2013年放映のNHK朝ドラ『あまちゃん』の作中では、2011年の東日本大震災を取り扱った。なので、今回の大河ドラマは、朝ドラに続き、NHKで“震災”を扱うのは二度目なのである。

宮藤は、あまちゃんの制作発表時のインタビューで「震災があったから東北を舞台にしようと思ったのではありません」と語っているので、いずれのドラマについても“震災ありき”ではないというが、そこに“描かれるべき物語がある”という意識はあったように思う
そうでないと、少なくとも今回の大河ドラマでは(他の作家であれば)ここまで震災をキーポイントに取り扱ったりはしないと思うのだ。

朝ドラ執筆前の2011年11月に発売されたエッセイ本で、宮藤は、
「自粛という名目で東北を無視してないか? フィクションとはいえ震災を“無いこと”にするのは違うんじゃないか」「そんな現状に東北出身者として漠然とですが違和感を覚え始めました」と触れている。

そして2013年4月に書かれた記事では、下記のような宮藤の考えが紹介されている。

しかし、「直接的に描くのはやっぱり抵抗がある」という気持ちも他方にあったという宮藤。そこで思い出したのが、イランの名匠であるアッバス・キアロスタミ監督の『そして人生はつづく』だったそう。
この映画は、1990年に起きたイラン地震の5日後に、キアロスタミにとって代表作である『友だちのうちはどこ?』の主人公を務めた少年の安否を確かめるために監督自ら被災した村を訪ねた映画。これを観たときの宮藤の感想は、「拍子抜けするくらい和やかで牧歌的」。「作り手が予め理想の展開を抱いてそっちに導いたり、都合の良い部分だけを切り取ったりしないから人間の色んな側面が見える」と、災害を背景にしながらも“被災地”という型にはまった見方をしないことの大切さを感じたようだ。



“被災地”という“型にはまった見方をしない”ことの大切さに触れている。被災地にも、不幸もあれば喜びもある。そこに人がいるかぎり、人それぞれの息づかいがある。

そして、2013年10月の『あまちゃん』放送終了直後のインタビューでは、こうも答えている。引用する。

「日本中の人がそれぞれの立場で体験した“大事件”だからこそ、みんなが納得する、総括するような描き方はできないと諦めていた。ただ、自分が覚えているあの時の『気分』を、正直に描こうと思ったんです」
宮藤さんが注力したのは、圧倒的な現実を一度にのみ込めない個人の戸惑いや心の揺らぎだった。(中略)
希望や、人々がどう立ち上がっていくかを描きたかった。(震災描写は)正解だとは思っていないけれど、今はあれでよかったと思っています」と晴れ晴れとした表情を見せる。


描きたかったのは「希望や、人々がどう立ち上がっていくか」だったと語っている。

ここで語られている言葉が、“脚本家の思い”のすべてではなかろうか。

いだてんが描く近代日本史には、第一次世界大戦があり、関東大震災があり、その後には、本土での空襲も起こる。原爆も。それらは歴史に刻まれた事実である。

しかし1964年には東京オリンピックの成功がやってくることも、我々は歴史として知っている。

宮藤は、「希望」を描く。

ひとときの絶望から “人々がどう立ち上がっていくのか”を描く。描きたいという。

今回の第23話では震災の“その日”が描かれた。
次回の第24話で金栗四三編はひと区切りし、第25話からは新章スタートだという。

つまり、見るべきは第24話「種まく人」であろう。

宮藤官九郎が描くのは、“希望”なのだから。

(おわり)

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