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大河「いだてん」の分析 【第31話の感想】 1932年の水泳日本、強さの秘訣は4つ+α

いだてんの第31話の感想と分析のブログです。今週は、“日本の水泳がどうしてあんなに強くなれたのか?”を整理しておきたいと思います。

※他の回の感想分析はこちら↓


1、日本の水泳は“なぜ強いのか?”

1932年ロサンゼルスオリンピックでの日本代表の成績は前回大会を大きく上回るメダル18個、そのうちなんと12個が競泳。特に男子の競泳では全6種目中、5種目で金メダルを獲得。中でも背泳では金銀銅の表彰台をすべて日本代表が埋め尽くした。すごい結果である。

なぜこんなに日本の水泳は強くなったのだろう。
今回はこの要因を、いだてんで放送された内容から分析してみる。

水泳の日本代表が初めてオリンピックに出たのは1920年のアントワープオリンピックだがその時にはまったく世界に歯がたたずに終わった。それがたった12年前の出来事だ。
この短期間で、体格も骨格も違う欧米人を急激に追い抜かした“秘策”とは、なんだったのか。

大河ドラマいだてんでは、この問いに、少なくとも4つの欠かせない条件が描かれていた。


2、閉会式エキシビションで披露した“日本泳法”

ひとつは、
今回の第31話で、IOCのラトゥール会長に「日本水泳選手団の強さの秘訣は何なのか」と訊かれた嘉納治五郎が「日本人には古来からの日本泳法があったからだ」と答える。

“日本泳法”と言う名の古式泳法が400年前から存在し、そこで培われてきた歴史的な創意工夫と、足腰訓練法の下積みが強さの秘訣だと語られた。

治五郎が「ぜひ日本泳法を見てほしい」とIOCでアピールをして、なんとオリンピックの閉会式でエキシビションを披露することになる。(ここでもまた治五郎の行動力が冴えている)

このエキシビジョンの逸話は、実話ではなく脚本家の創作だろうと観ていた時は思っていたのだが、なんと実話だという。
その点に触れた演出家の公式Twitterのコメントを引用する。

「1932年ロサンゼルス大会のエキシビションで日本泳法が披露されたことを、資料を調べるなかで見つけました。たった一行の記録。それが宮藤官九郎さんによって、国境を越えて各国が健闘をたたえ合うシーンになりました」(演出 西村武五郎)


歴史的証拠は“たったの1行”だったという。
つまり、事実は歴史に埋もれてしまっていて、正確にはどういう経緯でそうなったのかは明らかでないのではなかろうか。
でも、そこに肉付けを加えて物語に組み込んでみせた“脚本家の想像力”に僕は賛同する。

大会開催前から“小国日本の古式泳法”などといった地味なコンテンツが、華々しいロサンゼルスの閉会式にあらかじめ選ばれていたわけはないとぼくは思う。
もしあるとすれば、大会を通じ、男子競泳の5種目もの金メダルを制した日本選手の大躍進が、現地ロサンゼルスで“相当注目の的となった事実”があったからこそしか考えられない。あまりにも驚きの出来事で、急遽、閉会式のエキシビジョンが組まれた。
そう考えるのが自然だ。

いだてんでのロサンゼルスオリンピックの戦いは、他の年のオリンピックに比べても長い“3話分をも”使って、とても丁寧に描かれた。

ロサンゼルスの閉会式についての、この“たった一行”を見つけた事で、いだてんのスタッフたちは、“日本水泳の栄光”をこのロサンゼルスの中でしっかり描こうと決めたのではないか。

そのためにはあらかじめ、田畑自身が学生時代には古式泳法を学んでいたことをきちんと描き、日本水泳のオリンピック初出場の時はその日本泳法が笑われた事実を描き、その後もアメリカに勝てないくやしさを描き、打倒世界の猛特訓の軌跡を描き、そしてついにロサンゼルスでの5種目制覇がある。そうして、その先に、この“幻のエキシビジョン”を描きたい。

ドラマ制作に関わった表現者たちが、この“エキシビジョンの1行”を発見したときの興奮した風景が、目に浮かぶのである。


3、4年後を見据えた“長期育成プラン”への挑戦

強さの秘密、残る3つは復習となる。
それは第27話「替り目」の回に描かれた。

水泳日本代表の総監督に任命された田畑は、一番初めにこう宣言をした。
画像を添付するが字が汚くて読めないので、下記にテキストで記す。

ロサンゼルスオリンピック必勝計画
・監督コーチの早期決定
・世界標準のプール建設
・妥当アメリカ

結果からみれば、このとき掲げた“目標計画の達成”がロサンゼルスの成果につながったと言える。

4年の長期計画で、監督とコーチを固定化して、複数年での練習計画を立てる。4年後を見据えて代表選手候補もあらかじめ広めに先発しておき、長期育成の中でしぼりこんでいく。招集時点ではエースであっても4年後には若手の台頭も当然考えられるため、年齢幅も広く招集して合同訓練を実行。この点はかつての大エースかっちゃんが若手の練習台となる苦悩として描かれたが、でも後輩たちからしてみれば若いうちから大先輩の胸を借り続けられる理想的な練習環境だったと言える。
世界中でまだスポーツのプロ化も、練習プランの正攻法も確立される前の1930年前後に、日本水泳連盟だけが世界に先駆け、“4年後のオリンピックに標的を合わせた長期練習プラン”を取り入れた
このプランが見事に結果につながった、文句のつけようのない大躍進だったといえる。

ところでウィキペディアをのぞいていると、1932年時点でオリンピアンたちが属していた団体名が併記されていたので、それを一部引用する。

河石達吾(慶大)100m自由形:銀メダル
河津憲太郎(明大)100m背泳ぎ:銅メダル
宮崎康二(浜松一中)100m自由形:金メダル
清川正二(名古屋高商)100m背泳ぎ:金メダル
小池礼三(沼津商)200m平泳ぎ:銀メダル
鶴田義行(会社員)200m平泳ぎ:金メダル
大横田勉(明大)400m自由形:銅メダル
入江稔夫(早大)100m背泳ぎ:銀メダル
北村久寿雄(高知商)1500m自由形:金メダル
高石勝男(会社員)出場せず

現代と比べると、企業法人がスポーツを支援するという形はまだ確立されておらず、選手たちは学校に属しているようだ。
ここのあたりにも協会と学校法人とのあいだに工夫があったことがうかがえる。(これは想像でしかなく調べていないが、学生向けの特別補助制度が準備されたりしたのではなかろうか)
必勝計画が長期プランになるほど、選手たちの生活や人生を支えてやる必要が生じるが、何らかの理由で、“学生であること”がそれを可能にしたことがうかがえる。


4、“科学的な練習方法”の取り組み

最後に。この強化合宿での練習内容について、調べていたらもうひとつ別の筋から情報があったのでそれも引用して終わりにする。

『オリンピックチャンネル』という国際オリンピック協会自らで管理するネットサイトがあり、過去大会映像や作成ドキュメンタリーが視聴できたりする。ここのコンテンツのひとつに『水泳の歴史を切り拓いてきた革新的な日本人スイマーたち』というドキュメント動画を見つけた。5分もかからない無料動画だが、このなかで、当時の日本が取り組んだ科学的練習法などについて触れていて興味深い。リンクを添付。

水中カメラを開発してプールの中で泳ぐ姿を撮影しながらフォームの改善を行ったり、肩幅の広さや筋肉の付け方、手の回し方やキックの強さを科学的に分析するなど、これまでの常識にはないアプローチで水泳の練習法を組み立て直したのだという。


以上である。
「なぜあれほど日本の水泳は強くなったのか」。明確な答えにまではならないが、スポーツってそういう数字にしきれないような側面はあるので、これくらいにする。強さにつながった“要素”は、今回まあまあ整理できたんじゃないかなと思う。

(おわり)
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