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大河「いだてん」の分析【第39話の感想】 あるマラソンランナーの死と、戦死者たちの鎮魂

いだてんの全話感想ブログです。第39話では第二次世界大戦が描かれた。

〜第39話 「懐かしの満洲」のあらすじ〜
脳出血を起こして倒れた志ん生(ビートたけし)は一命をとりとめ、弟子の五りん(神木隆之介)に、戦争中に満州へ兵士たちの慰問興行に行ったときのことを語りだす。三遊亭圓生(中村七之助)と共に満州を巡っていた孝蔵(森山未來)は、小松 勝(仲野太賀)と出会っていた。やがて終戦。おりん(夏帆)は帰国しない孝蔵の無事を占ってもらおうと、日本橋のバー「ローズ」を訪ねるが、そこに田畑(阿部サダヲ)が現れる。

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1、もしも“富久”がなければ

いだてんの“物語構造”は少し変わってる。
単純に「日本人にとってのオリンピックの歴史を振り返る」というだけでなく、その物語を「1960年代の古今亭志ん生たちが“オリンピック噺”という落語の形にして高座にかける」という“二重構造”になっていて、そこがとても特徴的だ。

この“独特な二重構造の仕組み”を採用した決め手になったのは、落語演目『富久』の存在が大きかったのかもしれないなと、今回の第39話を見終えて感じた。

オオゲサにいうと、もしも富久がなければ「いだてん」の物語構造はこういう“落語パートと並走する形”をしていなかったかもしれないし、そうなると、志ん生は登場さえしなかったかもしれない。もしもの話だけど。

2、富久の走る距離を“延ばした理由”

志ん生は、それまでの富久が「浅草-日本橋」間を走り回る物語だったのに、「浅草-芝」間にまで距離を大幅に延ばしたという。しかしこの史実には「なぜ距離を延ばしたのか」という明確な答えがなかったので、脚本家には空想の余地が残っていたわけだ。

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いだてん第6話の時点で、すでに当ブログの分析コメントで私は“志ん生が富久の距離を延ばした理由には、きっと金栗四三が影響している”と早々と予言していた。大した予想でもないけどまぁ引用しておこう。

『いだてん』の中ではきっと、今後に金栗四三に出会った志ん生が、彼の練習風景を見て『富久』を浅草ー芝のあいだに揃えたということになるだろう。「実際に走っている兄ちゃんがいるのに浅草-日本橋にしておくわけにいかねえだろう」とか言って。史実との絶妙な重なり方も魅力的だ。

予言はピタリと当たったわけだが、ここまで単純ではなかった。志ん生と金栗四三のあいだには橋渡し役として、“五りんの父親である小松勝の物語”が織り込まれていたのだった。

満洲で出会った小松勝は志ん生に言う。「浅草-日本橋間では短すぎる」「金栗しぇんしぇいは、毎日、芝まで走ってた」と。

それと「走り方がなってない」とも言った。姿勢、腕の振り方、顎の引き方、そして呼吸法。スッスッハッハッ。スッスッハッハッ。

“富久の走り回るシーン”と“マラソンの練習で走り回るシーン”を重ね合わせながら、作者はハッと気づいて、「志ん生が日本橋から芝まで走る距離を延ばしたのには、もしかしてオリンピックのマラソンランナーが影響したのでは?」という発想が、“落語とオリンピック”を繋いだ。

そうして構築された“物語の二重構造化”によって、単純にオリンピックの歴史を追うだけの大河ではなく、四三、田畑、そして志ん生の視点から“それぞれの近代日本史”を語ることが可能になり、明治大正昭和という時代が持つ複雑な表情を描くことにいだてんは成功した。同じ関東大震災でも、同じ二二六事件でも、多視点で描く奥行きがあった。
『富久』の“走り”が、それを繋ぎ合わせたのだ。

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3、“戦死者310万人ぶん”の悲しき物語

いだてんの放送開始が発表されて以来、1940年代もその物語の過程には含まれることがわかり、「いだてんは戦争をどう描くのか」という点には注目が集まっていた。
それが今回の第39話では描かれた。

“前回”の第38話では学徒出陣を描くことで終盤戦への暗雲が暗示され、
“次回”の第40話ではいきなり戦後1959年までジャンプするという。
つまり、今回の第39話だけが“第二次世界大戦のど真ん中”を描く回なのだ。

しかし「いだてん」は変化球を投げる。
本土ことはほとんど描かずに、満洲へと舞台を移すのである。
そしてそこで、“ひとりの青年の死”にフォーカスを当てた。

無理矢理連れてこられた満洲。家族と離ればなれに引き裂かれた徴兵。やりたかった夢を叶えられなかった挫折。終戦まで生き延びていたのに戦後に銃殺されてしまう最期。そこには救いがない。

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日本の戦死者数は、軍人民間人合わせ、約310万人にも及んだという。同時代の未曾有の天災、関東大震災でも死者は約10万人なので、いかに甚大かわかる。

物語のなかでは、志ん生の回想として、原爆や、沖縄や、空襲のことにも触れられたが、深くまでは言及されなかった。310万人ぶんもの人生は、落語家という“市井の人々ひとりひとりのなにげない日常風景”を物語として紡ぐ職人には途方がなさすぎる。

だからこそ、いだてんでは、小松勝、“たったひとりの学徒出陣した日本人”の運命にのみ着目した。
彼は“特別”ではなかった。
日本には待っている妻と、生まれたばかりの子供と、信頼できる仲間たちがいて、叶えなければならない夢があった。
しかしそれはたくさんの他の戦死者たちにも存在した物語だ。310万人のひとりひとりにも、待っている人はいて、なしえなかった夢があったのだ。
いだてんは、そして志ん生は、
小松勝の死を通じて“その310万人ひとりひとりに起こった悲しみ”を描いてみせた。

4、“鎮魂”の富久、語り継ぐオリンピック噺

第1話。はじめて五りんが志ん生の家を訪ねてきた時、亡き父親の「志ん生の富久は絶品」という絵葉書を持ってあらわれた。どうしても一度聴かせて欲しいとねだるので渋々、志ん生が富久をかけてやるが、五りんは「これのどこが絶品なの?」と首を傾げるので志ん生は怒る。「人違いじゃねェか? オレは満州で富久やった覚えはねェし」

ウソだ。
志ん生は“満洲の富久”を忘れるわけがない。

ネット上では、小松勝の遺品をまるごと日本に送り返してやったのは志ん生だったのでは、と噂話されている。それがどちらであれ、志ん生は“絵葉書を見た瞬間”に、小松勝の息子が訪ねてきたことにすぐに気づいた。だからこそ、富久を聞かせてやったし、長年とってなかった弟子にもとったのだろう。

小松勝が最後まで富久を聴ききらずに小屋を飛び出して走りだしてしまったものだから、志ん生は未だに富久をかけ続けている。オリンピックまでたどり着けなかった小松勝の無念を思いながら。そして1964年には東京にオリンピックがやってくる。志ん生は“オリンピック噺”という企画を立ち上げて、落語でオリンピックを語り継いでやることが、小松勝の供養にもなると考えているのかもしれない。


地獄の満洲から帰ってきた志ん生が、その日のうちに高座にあがり、かけた演目は「富久」だった。小松勝に届けと願いながら。

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(おわり)
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