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大河「いだてん」の分析 【第28話の感想】 1930年代の暗雲と、スポーツへの期待

第28話「走れ大地を」の感想と分析を書き留めます。満州事変が勃発し、五一五事件が起こる1930年代日本。スポーツ史を軸とするいだてんは、この時代背景の中で何を描こうとするのか。

※全話の感想をまとめてます。他の回の感想と分析はこちら↓

〜第28話のあらすじ〜
ロサンゼルスオリンピックが迫るなか、関東大震災からの復興に手ごたえを持つ東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形)は、東京にオリンピックを招致する構想をぶち上げる。田畑政治(阿部サダヲ)がロスの前哨戦と位置づける日米対抗水上競技大会が開幕すると、日本水泳陣はアメリカチームに圧勝。本大会に向けて勢いに乗る田畑たちだったが、その矢先に満州事変が発生する。混迷する政局。田畑はスクープを狙って高橋是清(萩原健一)を訪ねるが。

1、満州事変につながる“1930年代のムード”

中高生時代に習った歴史の授業って、あんまり近代をしっかりやらないので(忘れてるとも言えるが)、僕も含めて1910年代と1920年代と1930年代の違いがあんまりよくわかってない人が多い気がする。いだてんの鑑賞は、そこの日本近代史の時代変化を知る良い機会になってるなと思う。

1930年代にはいると世相は一気に不穏になる。それが画面からもビシビシわかる。
満州事変に五一五事件と、事件が相次ぎ、暗いムードが日本中をつつむ。

事の起こりは1929年の世界大恐慌で、日本にも不況の波が海を越え強く押し寄せる。
この強烈な不景気からの脱却方法として、日本国内では“大陸侵攻論”が世論へと育っていく。
大陸侵攻の過程には“軍需”がたくさんの仕事を産み、満州平定が叶えばそこに“新しいマーケット”も誕生するからだ。


大不況と、変化を期待したくなる閉塞感。
満州事変が起こるバックグラウンドにはこういった経済的な社会問題も大きく影響していたのであって、軍部のみが戦闘的に暴走して突き進んだわけでもない。“世論としての戦争賛成”がそこには一定あったようである。

しかし、この満州事変をきっかけに日本は国際的な孤立が進んでいく。
前回のいだてんが「替り目」というサブタイトルをつけて“時代の変化点(変わり目)”を象徴的に描いてみせたが、今回の28話を見終えていっそう、日本国家のターニングポイントがこのあたりの時代にあることも感じられた。


2、犬養毅の思い

犬養毅。第28話、今回のキーマンは彼である。

演じた役者、塩見三省の芝居が素晴らしかったというのもあるが、この時代における犬養毅という人物の存在感と特異性が際立っていた。

犬養は田畑と対話をする。そこでは犬養自身の考え方や視座、人となりが披露された。
“犬養といえば”というほど有名なキーワード「話せばわかる」は、この言葉だけを抜き出して教科書的に聞くと、まちがって死に際の“往生際の悪さ”のような印象を与えることもある。
でも犬養は、そもそもの持論として“対話による解決”を信条に置き、平時から「いかなる場合も武力に訴えてはならん」と主張していた人物なのである。自分の死に直面してもなお、武力ではなく対話を選んだ。それがあの言葉だったのだな、といだてんを通じて知ることができる。
彼は、大陸侵攻論に流れようとする軍部と世論の、最後の砦のような存在だったのではないか。


若い頃、犬養毅は新聞記者だったという。西南戦争にも従軍し、戦争のむごさを“現場”で体感している。その戦場経験も彼の思想形成には大きな影響があっただろう。「戦争は勝つほうも負けるほうも苦しい」「人間同士、話せばわかるんだよ」と犬養は語る。

そして、言う、「スポーツはいいな」と。

3、政治・スポーツ・新聞

戦争をはさんで、政治と、スポーツと、新聞。
この“3つの存在の意味”が、“3つの関係性のあり方”が、いだてんのテーマとして問われる。
僕はそう理解する。

新聞社の同僚だった河野一郎は、新聞記者を辞めて政治家の道を進む決意を田畑に告白する。

「新聞は軍人のいいなりでもうダメだ」「言論の自由は失われていく」「新聞社にやれることは少ない」政治家になり国を変えていきたいと河野は語る。
そして田畑に託す。スポーツを頼んだ、と。
「頼んだぞ、田畑君。お前はスポーツを、俺は政治をやる。スポーツが元気なうちは国はまだ大丈夫だ」。

政治と、スポーツと、新聞記者。

3つともがそれぞれに、国家と国民を思う。
しかしそれぞれに影響を与え合い、バランスを崩しつつある。政治は新聞社から言論の自由を奪おうとし、新聞社は政局混乱のなかでスポーツを極地に追いやり、政治家はスポーツに憧れる。

そしてそれらすべてを、戦争が狂わせていく。

犬養毅は言った、「スポーツはいいな」と。
河野一郎は言った、「スポーツが元気なうちは国は大丈夫だ」と。

普段はおちゃらけている田畑は、スポーツを任せたぞと頼まれて「ああわかった」と受けとめる。彼は、犬養毅の思いを、河野一郎の思いを背負って、スポーツの未来、スポーツのあるべき姿を追求していくことになる。スポーツは日本近代史において、どう立ち居振舞うべきなのか。いだてんはそれを描こうとしている。

(おわり)
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