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【美術館やアートの楽しみ方】 #07 文化や産業の“揺り戻し”に耳をすませる(ラファエル前派の軌跡展を鑑賞して)

美術展『ラファエル前派の軌跡展』(2019年3月14日〜6月9日・三菱一号館美術館(東京))を鑑賞した。
「ラファエル前派」という活動は耳馴染みがなかったが、1850年前後に今のイギリスで起こった芸術運動で、その活動指針などを学ぶと、現代においても気づきがあるなーと考えさせられたので、紹介したい。


1、ラスキンの思想「自然をあるがままに」

この美術展にはサブタイトルがあり「ラスキン生誕200年記念」という。
ジョン・ラスキンとは、19世紀イギリスで活躍した芸術評論家。
今回の美術展ではこのラスキンの生涯、彼が影響を与えた分野や思想を年代順に並べてキュレーションされていた。


ラスキンの芸術思想とは
「自然をありのままに再現すべきだ」
ということであった。
神の創造物である自然にこそ完全性がある。だからこそ自然をただありのままに受け入れようといった考えである。

ラスキンが20代前半に初めて書いた書籍では、ターナーという画家を大々的にとりあげ注目したのだが、それはターナーが「自然を自然のままに、光を光のままに」表現できる作家であったことを一番に評価したし、

ラスキンが『ラファエル前派』の擁護派に回ったのも、かれらが下記のような“自然体への回帰性”を理想としていた点を評価したからである。

(ラファエル前派の一派は、)ラファエロ以降の絵画表現を理想とする芸術家養成機関ロイヤル・アカデミーの保守性こそが、英国の画家を型通りの様式に縛りつけ、真実味のある人間感情の表現から遠ざけてきた、と主張します。 こうしてラファエロ以前に回帰する必要性を訴えて「ラファエル前派」と自ら名のったこの若手芸術家たちは、ありふれた感傷的な描き方から絵画を解放し、中世美術のように分かりやすく誠実な表現を取り戻そうとしました。

ラファエル前派の結成当時の理念は、後年、こう記されている。ラスキンからの影響も垣間見える。

1、表現すべき本物のアイディアをもつこと
2、このアイディアの表現の仕方を学ぶために、自然を注意深く観察すること
3、慣習、自己顕示、決まりきったやり方でみにつけた型を拒絶するために、過去の芸術のなかの率直で、真剣で、誠実なものに共感を寄せること
4、最良の優れた絵や彫刻を制作すること

ラスキンは生涯、一貫して「自然をあるがままに」を思想に置き、同方向の共感性が持てる作家を支援したのであった。

2、イギリス産業革命が“ラスキン思想の出発点”

ラスキンはなぜ“自然体”にこだわるのだろう。

ラスキンが登場してくる時代の社会背景には、18世紀にイギリスで起こった“産業革命”の存在がある。これが彼の思想構築に影響を与えたといわれている。


産業革命によってイギリスは一時代を築き、蒸気機関による工場制機械工業の発展が進んだが、社会の雰囲気的には“なにか大切なものを失ってしまっているのではないか”というムードも漂っていた。そのタイミングでラスキンは登場してくる。

なにもかもが工場生産的に効率的で、工業製品のように正確性が最重視される品質感覚ばかりを要求される社会に慣らされてしまうと、国民が“人間らしさ”を失ってしまうのではないか。
そういった社会への課題提起も土台となり、ラスキンの基本思想「自然をありのままに再現すべき」という考え方は構築されていった。

たとえばラスキンは、建築物の素描にも注目し、自らもイタリア旅行をした際に歴史的建造物をたくさん写生を残している。
建築のデッサンは、装飾の大きさや遠近の正確性が最優先とはあえてみなさなかった。
1849年には建築思想書『建築の七灯』(The Seven Lamps of Architecture)を上梓する。そこでは建築の7つの重要性を挙げている。

1、犠牲の灯 - 建築は神に対する人間の愛と服従を目に見える形で示した捧げものでなくてはならない。
2、真実の灯 - 素材も構造も誠実でなければならない。
3、力の灯 - 神から与えられた力を行使し、自然の崇高さと同調するような大きさがなくてはならない。
4、美の灯 - 神が創られた完璧な美である自然に倣った装飾をしなくてはならない。
5、生命の灯 - 人間の手で造られた命の建築でなければならない。
6、記憶の灯 - 時代に評価され、歴史に刻まれるようなものでなくてはならない。
7、服従の灯 - (英国の)国家や文化、信仰を体現するものでなくてはならない。

ここにも、工場生産的工業製品との離別が読みとれやしないか。「自然をあるがままに」である。


3、“揺りもどし”が必ず起こる

改革や革新が起こり、それが浸透してワンステップ進化が進んだあとに、
“過去のアレは良かったのに失われてしまった、取り戻したい”と回顧する人々があらわれる。

この“揺りもどし”と呼べる現象は、あらゆる事象において大小あれど起こる。
どんなに素晴らしく恩恵だらけにみえる革命にも、“揺りもどし”はある。

今回の19世紀イギリスの現象は、簡単にまとめると下記のような構造だ。

工場や工業が発展する→
世の中が便利になる→暮らしも安定する→
人間らしさの欠如が指摘される→
“揺りもどし”→自然をあるがままに再現すべき

そもそも歴史の授業でもよく聞く“古典主義”というのは大抵、揺り戻しで古典を再評価しようという運動だし、
有名な“ルネサンス”も、re(再び) + naissance (誕生)という語源で、“復興”とか“再生”を目指した運動だ。

もっと抽象化すると、こうだ。

イノベーション→新価値の浸透→揺り戻し→イノベーション(くりかえし)

進化過程において、必要な現象といえる。

これって、我々の現代社会においても、たとえばあなたの今の仕事や業界においても、この現象って心当たりないだろうか。ぼくははっきりと感じる。あらゆる分野、あらゆる時代で、“揺り戻し”は起こる。

「便利にはなったし権威にもなってるけど、もう一度見直しませんか、何かおかしくないですか」

この“揺り戻しへのリーダーシップ”がジョン・ラスキンの思想の根っこであり、ラファエル前派の活動方針であるといえる。

4、まとめ: 揺り戻しに耳をすませる

少数のプラットフォームが異常に発達してくると、沢山の人がなだれ込んできてひとつの国ができあがるが、何かのきっかけで必ず“揺り戻し”が起こり、反対運動のようなものが起こる。

近年だと、たとえばフェイスブック周辺の課題提起もそうだし、GDPR周辺もそうだ。(正確にいうと意味は異なるが“根っこ”だけは類型的)

“デジタル”サービスがすごく便利だから活用が進むと、“リアル”サービスの再評価がはじまり、カウンタービジネスが流行り始める。

これは“波”のようなものだ。
どんぶらこという感じで、波は高くなれば、次は低くなる。
揺り戻し。
カウンターカルチャー。逆張り。反動。反発。

“揺り戻し”は必ずやってくるものだから、それがやってくる音にしっかりと耳をすませておくとよい。

それと、ラスキンたちがやったように、今起こっている現象に「おや、まてよ」と立ち止まって再確認ができることも大切だ。

“揺り戻し”は普遍的な現象であり、過去の芸術運動が、それを現代に学ばせてくれているのである。

(おわり)

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