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いだてんの「オープニング」に使われてる“写真や地図”が“どこなのか”を解剖分析してみた。【前編】

いだてんを毎週楽しみに観てるが、録画なのでオープニングは飛ばしてしまいがち。
久しぶりにオープニングをきちんと観て、そこで使われてる“写真や地図”がどこの場所なのか分析してみた。
ググってみたけど他にやってる人いなかったから、いい分析になるのでは。

1、タイトル題字

現代美術家の横尾忠則による題字。

2、日本橋 (地図・ズーム)

オープニングに使われる“手書きの地図”は、日本画家の山口晃さんの作品。
一番はじめは「日本橋」からはじまる。
いだてんというドラマにとって、日本橋はシンボルのような場所。各時代の、各登場人物たちが、日本橋の上で交差する場所である。

山口作品特有の、“時代がごちゃまぜになっている画風”もいだてんらしいともいえる。日本橋がまだ木造だが、周辺の建物は大正・昭和期のものも散見される。時代が飛び交っているのである。

3、日本橋 (地図・ズームアウト)

日本橋を中心に遠方の地図までフレームされる。
左上に「東京駅」が見える。でも右上の三越本店は、よくみると江戸時代の呉服屋の様相をしている。右下の神田川沿いには魚河岸。

4、浅草 (地図)

浅草十二階。
いだてんの中では良く登場する“上京を象徴する塔”。1923年の関東大震災で倒壊するが、それもきっといだてんで描かれることだろう。

下側に見えるのが浅草の街並み。戦前戦後の東京一の歓楽街、華やかな「六区」。ここは古今亭志ん生が若かりし頃の根城。
(志ん生役のビートたけし自身も、若かりし頃を浅草で過ごした浅草芸人である)

左上のほうには上野駅と、上野公園の森が少しだけ見える。

5、東京高等師範学校 (地図)

これはもしかしたら間違ってるかもしれないが、たぶん四三の通った「東京高師」と思われる。
中央の建物には「本館」と小さく書いてある。

この下記の画像が明治時代後期ごろの東京高師。

照らし合わせてみると、入口のベランダ構造の形がよく似ているし、奥のほうに見える洋風建築物も似ている感じがする。どうだろう。

もし合っていたら、四三が通っていた頃の東京高師の所在地住所は大塚だが、いまの駅でいうと、茗荷谷駅のすぐ前。
第17話で四三が居候している足袋の「播磨屋」も茗荷谷駅の近くが発祥の地で、オープニング画像でいうと左下の四三のキャラクターが走っているあたりにある。

6、日本橋 (歴史写真)

首都高速がかぶさる前の日本橋。
四三のうしろには建設中の大きなビルが散見される。いつの時代のどのビルなのか今度探ってみる。

7、東京駅 (歴史写真)

ドームが円形の形をしてるので、これは「戦前の東京駅」である。戦災後、長らく違うデザインだったが現在は2012年に戦前の様式に復元完了。
ちなみに、戦後のデザインはこんな感じでした、ほら、屋根の形状が違うでしょう?

8、日本橋 (歴史写真)

これも日本橋。
左に見える赤煉瓦の建物は、東京駅もデザインした辰野金吾による「旧帝國製麻ビル」。前のシーンの戦前東京駅と“赤煉瓦づくり”で似ているのは建築家が同じだから。日本橋の川沿いのシンボル的なビルだった。

9、浅草・六区周辺 (歴史写真)

これは奥に浅草十二階があるから、浅草。
立地的にみると体操選手が乗っている建物は六区。左下にはわずかに六区のノボリも見える。
調べたら、この下の絵ハガキが近いね。↓

この池は現存しない「瓢箪池」。十二階の左に見える建物から左に、丸屋根が遊楽館、江川玉乗り大盛館(入母屋屋根)、江戸館(白い屋根)。

体操選手が屋根に乗っかっている建物は、その時代大人気だった“江川一座による玉乗り”の常打ち小屋だったようだ。体操選手と、玉乗り一座。共通点が見出せるが、狙いだろうか。

10、銀座 (歴史写真)

左手に服部時計店が見えるので、これは言わずと知れた「銀座四丁目交差点」である。南から北を向いている。槍を投げてる選手が立っているあたりが、ちようど日本橋だな。

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【前編】はここまでにする。数えたら21まで場面シーンはあったので、ちょうど折り返しです。

(おわり)
※続きの後半はこちら↓

※いだてん本編の感想分析はこちら↓


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