枯山水


龍安寺の石庭に代表される 禅寺の枯山水庭園は

意味があるのだろうか ないのだろうか

置かれている 

石の 形 大きさ 種類 色

石の 数 組み合わせ 配置 

砂の模様 

差し込む 光

風 気温 湿度・・・

それを見ている 自分

それを考えている 自分

何か意味があるのだろうか ないのだろうか

何か意味があるのだろうか ないのだろうか

わからない

わからない

でも ひょっとすると そんなことはどうでもいいことなのかもしれない

大事なのは それから色々なことを

読み取ったり くみ取ったり 

を繰り返し行うことなんじゃないだろうか

だから 解らなくていい 

いやむしろ 解らない方がいい

それを重ねるうちに

ものを見ようとする ちから

ものを学ぼうとする ちから

が自然と養われ鍛えられているんじゃないだろうか

それを積み重ねていけば

意味のあるもの

人や 社会や 花や 木や 川や 山や 星が

一層 鮮明に

そして

全く 別のものも 

みえるようになるのかもしれない

岩登りで ほんの些細な手がかり足がかりで 

すいすい登っていくように

ものごとを感じることが出来るようになのかもしれない


でも もう一つ忘れてはならないのは

庭を見て思う時 きっと

善 や 真理 をくみ取ろうとしている ということ

嘘 や 偽り などではなくて

何か良いメッセージがあるんじゃないか

何か真理が隠されているんじゃないか と

実はそれが一番大事なのかもしれない

善 や 真理 を探り求めるための鍛錬

それが 自然とできるようになれば

これや この人や この言葉には

どんな良いことが隠されているんだろう

その奥には

どんな良いことがあるんだろう

良いものをくみ取ろうする 気持ちや 姿勢

これが 自然とできるようになって

人生 楽しく きっと いい方向に向かうんだろう

そして

その周囲の人やモノも 

同じように

微笑むんだろう

 


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