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第15話「十和田湖の乙女の像」(青森県)

自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜



約3ヶ月間過ごした北海道を後にし、日本列島を南下していく。
苫小牧発(18:45)青森県八戸行きフェリーに乗船。
早朝3時に八戸港に到着。
まだ外は闇。フェリーターミナルで少し仮眠。
青森県と言えば、りんご、ねぶた祭、十和田湖。
ねぶた祭は時期ではない。
十和田湖に行くことにする。
青森県と秋田県にまたがる十和田湖は、最大水深は326mあり、湖水の透明度も全国トップクラス。十和田湖のシンボルは、詩人にして、彫刻家であった高村光太郎の傑作として知られる「乙女の像」である。
八戸市から十和田湖までは約80キロほどの距離だ。
夜明けと共に国道454号線を十和田湖方面に向けてペダルを漕ぐ。
緩やかな上り坂が続く。
国道の両脇はのどかな田園風景だ。朝日に照らされた稲穂が黄金色に輝いている。
所々収穫を控えたりんご農園のりんごが真っ赤に光っている。
やがて上り坂は田舎道から山道となり、急勾配な上り坂に様変わりしていく。
この辺りからなぜかイライラしてくる。
下り坂がほとんどないのだ。
一体どうなっているのだ。

「湖だろううが。」

どこまでも続く上り坂。
いつになったら下り坂があるのだと気がイラつく。
おまけに雨が降り出す。
更にイラつく。
背中のあたりが痛こそばくなる。発狂したくなる。

「十和田湖はただの湖だろうが!」

心は怒りの感情に支配される。
気持ちのどこかで上り坂があれば、必ず下り坂を期待している自分がいる。
下り坂になれば楽に素早く目的地に着けると言う執着心があるのだ。
それがどうだ。
一体どうなっているのだ。

「湖だろうがよ。」

関西人の俺は湖といえば琵琶湖になる。
海のように大きな琵琶湖に続く道に強烈な上り坂はなかった。
オホーツク海に面したサロマ湖もほぼ平坦だった。
湖に続く道は起伏のない平坦な爽やか道路のイメージがあったのだ。
それがどうだ、永遠に続く上り坂。

後に気づくのだが、十和田湖は本州最大のカルデラ湖。火山活動によって形成された湖なのだ。だから十和田湖は標高400mに位置する高いところにあるのだ。
はなから今日は苦しい上り坂のみだと思ってたら、楽があるなんて眼中にないから余計な心はなく、上り坂に専念でき欲はなく平常心を保つことができる。

そもそも、怒りとはどのようなときに起こるのか?

それは自分の思い通りにならない時だ。
自分が正しいというモノサシが通用しない場面で怒りを感じるものなのだ。
上り坂があれば必ず下り坂はあるという自分のモノサシと十和田湖は標高400mに存在するという事実がぶつかれば、その間には誤差が生じる。
思い通りにならないものをコントロールしようするところに怒りの感情が生まれる。
無知というのは怖いのだ。
結局、十和田湖畔に着くまで、自分の感情のコントロールができなかった。

イラつく俺に湖畔に立つ「乙女の像」が、優しく語りかけるのだ。

「イライラするなら、万能感を手放しなさい。たくさんの失敗体験や挫折体験を積むと、万能感を手放すことができるのですよ。」

「人生とは思い通りにならないもの。人生は思い通りに行かないようになっているものなのよ。なぜって、自分の力不足を知らせるためなのよ。」

便利になり過ぎると、人はなんでも支配できると勘違いする。
昔は寒いときは、たき火にあたって寒さをしのいだ。
そして、たき火や火鉢からストーブが登場して、やがてエアコンとなった。
暑いときには、人は日陰で涼しんだ。
そしてうちわから扇風機、そしてエアコン。
リモコン一つで部屋の温度を思いのままコントロールすることができる世の中になった。
通信手段の発達も上げられる。
糸電話、有線電話、ポケベル、インターネットにより、瞬時に地球の裏側の人たちと繋がることができる。
時代が革新的に進み、制約を次々に取り除いてくれた。
こうして私たちは現実を思いのままにコントルールできるような万能感を抱くようになった。
その結果、思い通りにならないことがあるとイライラするようになったのだ。

だからあえて便利な日常生活から抜け出してみる。
不便な生活に身を置いて、自分を振り返ってみる。
思い通りにならないことにチャレンジして自分の力不足を自覚し、謙虚になる。

これも自力旅が教えてくれる人生の真実なのだ。

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