ようやく気づいた自分の価値観
深夜の1時、俺はかなりイライラしていた。
新しい編集を担当してくれた会社から上がってきた動画の修正をしながらかなり苛立っていた。
手直しをするところだらけで修正だけで4時間は超えている。
もちろん動画編集をした経験があっても、いきなりおるたなの編集に合わせて一発目から満足いくクオリティの動画を提出できる人はなかなかいないだろう。
そうとは頭で分かりながらも俺はかなりイライラしていた。
はじめは「自分はこの修正の多さにイライラしているのだ。」そう思っていた。もちろんそれもあるのだが、冷静に自分の苛立ちの声を分析してみるとどうも様子が違う。
「こんなところにテロップ置いたら視聴者が見づらいでしょ!」
「ここのカットもっとしっかり繋がなきゃ見てる人に意味伝わらないじゃん!!」
「ここだけ音楽入れないと見てる人不自然だと思うじゃん!!」
冷静に心のイライラの声を聞いてみると修正の多さにイラついていたのではない。
「視聴するユーザーの目線に立っていない雑さ」にイライラしていたのである。
なんでこんな自分本位の編集なんだろう。イライラの本質はそこにあった。
別に編集のティストが違くてもユーザーのことを考えた編集かどうかは見てて一発で分かる。
美容室行って注文と多少違くても丁寧に似合わせようと思ってカットしてくれたのか、それとも雑に終わらせたのか、一発で分かるように編集というのもそれと同じである。(まぁ、いくら丁寧でも注文と違ったらそれはそれで嫌ではあるが。笑)
だからそう言う思いやりが欠けてる作品を見て俺はイライラしていたのだと気づいた。
ありがたいことに今は自分の手での編集以外でも、ハギーやタイガが自分の編集の意図を汲んでユーザー視点の素晴らしい編集してくれるので気づかなかったのである。普段自分が無意識に何を考えて動画を作っているかということに。
今回久しぶりに自分の手で作ったものとかけ離れた動画を手にしたときに、意識してなかった自分の気持ちに気づいたのである。
あぁ、「俺は視聴者目線の動画を作りたがってるんだ」と。
これには俺も驚いた。
だって今までずっと「自分がやりたいことをやる、それが俺の好きなこと」と思っていた男だもの。
言うならば自分の自己顕示欲を満たすために、人から認められるために動画を作ってきた。そう思っていた。
でも今日のふとした瞬間に気づいたのは「あぁ、俺はもう充分満たされたんだな。みんなが満たしてくれたんだな。」ということ。
確かに昔は「成り上がってやる!」「多くの人に自分の存在を認めさせてやる!」そう意気込んで毎日戦ってた。YouTubeは自分を認めさせる手段だと思っていた。
でも、最近は全然その思いでは馬力が働かないのである。
昔はよく動いていたエンジンがそのエネルギーを注いでもまるで動かない。
これにはほとほと困っていた。
あんなに情熱的に燃えていたのに急に落ち着いてしまった。まずい、なんとかしなくては。前のギラギラしていた自分を取り戻さなくては。そう思って無理矢理に体にも心にもムチを打って動いていた。自分のためにもっと頑張らなくては、と。
でも、今日ふと気づいたのだ。
「あぁ、俺は充分満たされてたんだ。」と。
自分が欲しかったものを充分周りから貰えたんだと。だからもう体が無理しなくても良いと言っていたんだと。
これはとってもとっても嬉しいことです。
そう、とてもとても嬉しいことです。
だって俺はまだまだ自分を満足させるには足りないと勘違いしてたのだから。
でももうその自分という器は大きく満たされていて、その原動力じゃもうエンジンは動かない、次のステージに行けという合図だったんだと気づけたのだから。
そして、その次のステージは自分でなく、「誰かのために」それが原動力になるんだと。
昔だったら「人のために」とか「世の中のために」なんて「嘘つけ!全部自分のためにだろ!!」と世を斜めから見てる天邪鬼な人間でした。
でも、今日ふと自分が何のために夜中まで何時間もかけて動画を修正してるのか、それを心に問いかけたときには、もう「自分のため」ではなく「誰かに喜んで欲しくて」と自然になってることに気づいたのです。
あぁ、もう次のステージに自分は行くときなんだなとようやく体からだいぶ遅れて頭で理解しました。
俺はこの先なんで動画を、そしてコンテンツを作っていくのか、その意味は本当にありふれた言葉だけど「人に喜んでほしいから。」
これなんだなと。ようやくここ何年間の迷いの答えが出た気がしました。
ものすごく単純すぎて笑ってしまうような答えだけど、最終的にはそこになっていくんだなと。自分のためにから世のため、人のためにへと。
もちろん自分のやりたいことと人から求められることが表裏一体のエンターテイメントの世界なので明確な線引きはないけど、
「なんでおるたなchやってるの?」と言われたら今は「楽しんでくれる人のため。」と答えるでしょう。
自分が誰かを幸せにできるなら頑張りたい。それがこの先も続ける意味で、そして原動力になる。頑張る意味になる。
そんなことをふと思った深夜2時でした。
と言っても!!!
まだまだそこまで聖人にはなりきれんがな!!
前よりも歳を重ねて少しそんな思いが出てきたと言うお話です!!!
それに気づかせてくれたあの修正動画には感謝ですね。優しく丁寧にフィードバックを送りたいと思います!笑
まだまだ出来ることが僕にはたくさんありそうです。
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