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マクロビとの出会いと甘納豆の本質

マクロビ、マクロビオティックという言葉

家業に入って3年。

大量の砂糖を扱う中で、健康によいお菓子ってどんなのだろう?

と、様々な食と健康のことを調べる中で、言葉だけは知っていた。

なんとなく、身体にも、地球にもよいことをしているイメージ。

日々甘納豆とはなんなのだろうと、6月の水無月が終わり、閑散期に入ったこの7月。

図書館で様々な文献を読み(京都の図書館は仕組み、ラインナップが素晴らしいが、悲しいかな、無料のもののありがたみは感じにくいのが人の性)、和菓子、砂糖の歴史、江戸時代の文化を知る中で、甘納豆の本質や他の菓子との違いを発見するに至った。

1、日本発(初)の菓子
和菓子という言葉が生まれたのは明治時代。
西洋から持ち込まれた菓子と比較し、それまでに日本にあったものを指すものである。

そして、その和菓子は、ルーツを中国大陸からに持つものが多いが(稲作しかり)、現在の形が大成したのは1600年から約250年続くことになる江戸時代。

実は江戸初期まで、菓子は甘くなかった。あんこももっぱら塩餡。ちなみに大福が生まれたのは1772年。

砂糖が上流階級だけのものから、徐々に一般庶民にも手が届くようになってゆく江戸末期の文政1861-1864の江戸にて、ある菓子職人が、甘納豆(甘名納糖あまななっとう)を発明するに至る。

明治が始まる数年前。つまり、和菓子の中で最新ということになる。(ちなみにカステラも和菓子であり、1543年のポルトガル船種子島漂着頃から日本にある。カステラより300年ほど後輩ということになる)

またそれまでの菓子の分類、餅、饅頭、飴なとどは異なる新しい”甘納豆”という分類が生まれた。

この菓子は、平たく言えば砂糖漬けの一種である。

砂糖漬けとは、塩漬けや酢漬け、いわゆる漬物と同じ古の保存技術の1つであり、ヨーロッパや中国で発展をした。

ヨーロッパでは今でも、フルーツの砂糖漬けが作られている。

1500年ごろの大航海時代、かのバスコ・ダ・ガマの航海記録に、果物の砂糖漬けを食料として積んでいたとある。

保存が効いてカロリーの高いこの砂糖漬けが、かれらがはるか遠くの新大陸発見を支えた、といっても過言ではない。

中国の砂糖漬けも、果物や、様々な木の実、薬草のようなものがあったと記録がある。

が、どこにも豆の砂糖漬けはない。

豆を使った点は、世界で日本初ということになる。
(しかし、250年も続いた江戸時代の中で、この幕末までなぜ豆を使わなかったのか反対に不思議な気持ちさえする。当時は、江戸の朝食に納豆が定番であったり、あぜにささげ豆が生えていたり、今よりはるかに豆という食材が身近であったはずなのに。)

2、素材をまるごと食べるwhole food

当たり前に、甘納豆は豆そのものの形を活かし、当たり前に皮ごとたべる。

が、和菓子の中でもいわゆる上菓子は、練り切りもベースは白のこしあんであるし、小豆あんもやはりこしあんがよく使われる。

これは元禄文化で上菓子が生まれた京都ならではの文化によるところも多いと思われるが、要するに皮はたべない。

なるべく淡白に、あっさり上品な味になるよう、渋やアクはなるべく除く。

ゆえに、甘納豆は、当たり前に素材をまるごと頂くホールフードで、マクロビオティックの”一物全体”という考えと、非常に通じるものと考える。

実は我が家は、母も妹もアレルギー体質。

私は幸い、小さいころのみ牛乳アレルギーであって、また大好きな猫アレルギー(悲しいかな)ではあるが、食物はほとんど食べれる。

微生物という生き物の本質を探求してきて、このような家系に生まれたものとして、また甘納豆屋に生まれたものとして、お菓子を通して食と健康の本質を追求することは、私の使命なのではないかと、ひとしお思った今日一日。

#甘納豆 #和菓子 #歴史 #マクロビオティック




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