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あんまりネガティブなことはSNSでは書かないようにしてるけど、これは嫌悪感抱かれるかもしれないな。
本当に偽りのない感情。

色々な縁の中で「血縁」がある。これが非常に厄介だと思っている。夫婦は縁が切れるが親子の縁というものは切れない。と理解している。

私は親がキライだ。

小さい頃からだし歳取った今でもそう。一緒にいたくないから若い頃はとにかく早く家を出たかった。なので大学で家を出た。

もちろん親がいなければ自分はこの世に存在してないし、大学まで行かせてくれて育てて貰った事にとても感謝している。

でもそれと好き嫌いは別。キライなんで仕方がない。まあこんな事書くと親不孝とかと言われるだろうね。

私には子供がいてそれなりに育てたつもりだ。なので自分が育てて貰った「恩」というものは子を育てる事で返していると思っている。



元々子育てが終われば自分のために時間を使いたいと思っている。
しかし現実は親のために毎週末に加えて月に何日か自分の時間を使っている。仕事も休まねばならなかったりもする。

親なのだから面倒みるのは当たり前、と言われるかもしれない。その考えが私はおかしいと思っているので、子が親の面倒をみる事に納得がいかない。

まあ親も薄々気づいているかもしれない。なのであまり無理なことを言ってはこない。でも親なので放っておけないし面倒見ないわけにはいかない。

なんだかなぁ。

そう、この「親なのだから」という切れない縁が厄介なのだ。自分自身、子には無償の愛情を注げるけど親には無理なのだ。

なぜ人間は子が親の面倒をみるのだろう。

そもそも子が親の面倒をみる動物を私は知らない。単に無知なのかもしれないけど。親が子を自分で生活できるまで育てるのは動物として自然だ。

でも人間は違う。
それってとても不自然な事だと思ってる。

取り留めのない文章になったけど、縁が切れない以上、子には「親だから」と面倒みさせることがないようにしたいと思ってる。何しろとてもエネルギーを使うから。

考えが間違ってるかもしれないが自分の人生は自分のものなはずだ。

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