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アークティック・モンキーズのライブから感じたことーー比類なきロックバンドの現在地

今回オーストラリアにて、アークティック・モンキーズのライブを2022年12月31日〜1月1日に開催された音楽フェスのFALLSと、1月11日の単独公演を観る機会に恵まれた。この貴重な体験と向き合い、記憶をなるべく長く留めたいという思いから筆を執ることにした。

まず本編の前に自分のことを少し。ネットの世界ならプロフィールを偽れるが、それではフェアな内容を書けないので白状すると、自分は昔からの熱心なアークティック・モンキーズのリスナーではない。1994年生まれのため『Humbug』(2009)あたりからリアルタイムで追えたにもかかわらずだ。

理由はいくつかあるが、1つは年上の兄がリリース当時に『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』(2006)を買っていたから。自然と曲が耳に入ってくる一方で、共感してくれる人も多いと思うが、兄姉の影響を受けすぎると自分のアイデンティティを見失い、いつからか彼等が好きなものを遠ざけるようになる。やがて兄はUSヒップホップに傾倒していったため、中高時代の自分は心置きなくUKロックを聴くことができるようになり、ザ・スミスやキング・クリムゾンなど今も大好きなバンドとも出会うが、結局アークティック・モンキーズを聴き返すことはなかった。

大学入学直後にできた友人が彼等のファンだったが、「それなら自分も聴こう」という素直な心は持っておらず、「あいつが聴いているなら自分は他のものを」と余計聴かなくなっていった。ただ、同年にリリースされたのがあの『AM』(2013)。文句なしの“正解”すぎるかっこよさに惹かれたが、むしろ近づけないほど眩しすぎた。

では何が入り口だったかというと、おそらくそう多くはないだろう『Tranquility Base Hotel & Casino』(2018)だ。自分が音楽鑑賞経験を積み、精神的にも成長して余裕を持ち始めた頃に出た同作。彼等に対する多くない知識と照らし合わせると、「Brianstorm」や「Do I Wanna Know?」のようなキラーリフや、『AM』で達したロックバンドとしての高みを解体して(と、当時は思った)打ち出したのが、ピアノ中心で掴みどころのない音楽性だったので驚いた。サウンド以上にその革新性に心を奪われたのかもしれない。そこから徐々に過去作も聴くようになっていった。

そして昨年、待望の最新作『The Car』(2022)がリリースされた。自分も先行シングルに胸を高鳴らせていたが、特に「There’d Better Be A Mirrorball」におけるアレックス・ターナーの色っぽいボーカルや、「Body Paint」の「A Day In The Life」が如き展開に心を踊らせた。

ついに来たリリース日。初めて通して聴いてみたら……なんだかよくわからないまま最後の曲が終わってしまった。心して聴いていたはずなのに、どれだけ自分にセンスや集中力が足りないのかと罪悪感すら覚えた。

それと同時に、「音が小さくない?」とも思った。それはもちろんイヤホンの音量調整のことではなく、過去作よりも繊細なサウンドプロダクションに
自分の耳がついていけていなかった。これまでの“バンドの演奏”を想定するとまとまった音が耳に入って来ず、散漫な印象すら受けた。

それでも指でなぞるように集中して聴き込んでいくと、一定の線を超えた瞬間にとんでもない快楽が身体中を走った。散漫だと思っていた音はつぶさに聞き取れるようになり、空間的な広がりすら感じられる。実はギターも結構鳴っている。歌詞もミステリアスで読み解きがいがある。何よりアレックスの艶やかな歌声を堪能できる。

そこで連想したのが、全く似ていないはずのカン『Future Days』(1973)。バンドを代表する名盤だが、一聴するとまるで彼岸で鳴っているような音がたゆたっているだけで、とっつきにくさも感じる。ただ、繰り返し聴いて耳を慣らしていくと、エスニックなリズムが、ダモ鈴木の奇妙なボーカルが、弾けるようなパーカッションが……全ての音・演奏が構築的に聞こえてくる。それでいて心地良く聞き流せるイージーリスニング的な性質もある。しかも音量を小さくしても何故か一音一音がしっかり聞こえるように処理されているのが非常におもしろい。全く関連がないはずの2枚に、自分の中では妙にシンクロする部分があった。

長々と語ったが、要は自分にとってアークティック・モンキーズは「一緒に成長した思い入れのある完全無欠のロックバンド」ではなく、「英国のスターとして背負わされる重荷を物ともせず、音楽性を刷新し続ける前衛的な存在」ということだ。FALLSへ足を運ぶ際も、過去の経験で言うとノエル・ギャラガーというよりは、キング・クリムゾンやKIRINJIを観に行った時の心構えに近かった。

12/31〜1/1@FALLS

FALLSは1996年にスタートした音楽フェスで、今回はメルボルン、バイロンベイ、フリーマントルの3都市で2~3日間ずつ開催された。自分が行ったメルボルン会場の3日目はヘッドライナーにアークティック・モンキーズを据え、サイケやフュージョンなどを融合させるオーシャン・アリー(Ocean Alley)や、ラフ・トレードから作品をリリースしているアミル・アンド・ザ・スニッファーズ(Amyl and The Sniffers)らオーストラリアの人気者を集めた、バンド好きにはたまらないラインアップ。加えて、女性ボーカルと電子音が融合するテレノヴァ(Telenova)やラストリングス(Lastlings)と、イギリスのピンクパンサレスを並べるなど、自国と他国のミュージシャンを融合させるような試みも感じられた。なお1日目はリル・ナズ・Xやアミーネ、2日目はジェイミーxxやペギー・グーと、特定層を狙い撃ちしているのが興味深い。

会場は半屋外のシドニー・マイヤー・ミュージック・ボウル(Sidney Myer Music Bowl)で、ステージ付近に座席と屋根が備え付けられ、後方は緩やかな芝生の坂になっている。自分はステージ中央から15mほど離れた席を確保することができた。

ヘッドライナーは23時から始まり、年越しのカウントダウンと新年を祝う花火を挟みつつ、0時20分に終了する。時間が近づくにつれて「Body Paint」のMVに出てくるような照明がステージ後方に組まれていく。

ほぼ時間通りにステージが暗転して、数分間焦らされたのち彼等が登場した。アレックス・ターナーは胸元を大きく開けた白シャツと黒スーツを着こなし、髪をラフに上げ、大ぶりなティアドロップ型のサングラスをかけている。その他のメンバーはスーツや半袖シャツなどバラバラの衣装を着ていて、統一感がないのもおもしろい。

大歓声の中、待望のライブの幕が開けた。1曲目はこのライブ最大の8人編成で演奏する新曲「There’d Better Be A Mirrorball」

アレックスはApple Musicのインタビューで『The Car』について「このアルバムにはすべてが一度に鳴っているところがあんまりない感じがする」と語っているが、実際の演奏を目の当たりにすると鳴り方がまるで違う。曲中はキーボードの厳かなリフレインが場を支配し、そこにアレックスの官能的な歌声が絡みついて耳に入ってくる。テンポは音源よりもやや早めに感じられ、そのせいかメロウでありながら強いグルーヴ感が生まれていた。緻密に編集された新曲をどのように演奏するのかと疑問があったが、ライブの重要曲がまた1つ増えたようだ。彼等がこれから進化し続けたとしても、この曲は毎ライブで演奏していくだろうと確信が得られるほどの完成度だった。曲間でステージ上のミラーボールに照明が当たって回り出すと、客席からは感嘆の声が漏れる。

「なるほど。今日はこういう雰囲気か」と思った矢先、放たれたのが高速ドラムと殺人的なギターリフ。「Brianstorm」だ。少なくとも中盤にかけては『The Car』のモードでいくだろうと高を括っていたのでかなり驚いた。あまりにも急激。ドラムのマット・ヘルダースもよく平然と叩けるなと冷静にすらなった。この緩急は彼等なりの覚悟、もしくは余裕だろう。自分も振り落とされてはいけない。最近シューゲーザーとは何かという論争があったが、次に歴史上何度目かのロック論争が起きたら、このセットリストを配り歩きたい。ライブ前の自分の認識は大きくずれていた。彼等は間違いなくロックバンドであり世界のトップに君臨するロックスターだ。

なお、ライブ中はほぼ全編を通してシンガロングが起こるのだが、「Brianstorm」などの印象的なギターリフは観客が一緒になって口ずさむ。「THE SIGN PODCAST」でも触れていたが、ネタバレ防止でFALLS後に聞いたのでこのことを知らずつい笑ってしまった。同時に今まで見たことない光景で「こういうふうに楽しんでいいんだ」という発見もあった。自分は演奏をしっかり聴いてその上で踊りたいタイプのため、ワールドスタンダードだとなんと言われようと極端なシンガロングは正直あまり好まないが、リフに関してはある種の軽さもあってとても良い文化だと思う。

その後は過去曲を立て続けに演奏していくが、その中でも「Crying Lightning」には特に惹かれた。今回のツアーは照明が“もう1つのメンバー”と言っても過言ではないが、この曲では赤い光がとにかく効いており、重くのしかかってくるリフをさらに強化していた。

個人的にハイライトの1つだったのが中盤の「Four out of Five」だ。『Tranquility Base Hotel & Casino』の中でも人気の高い1曲だが、『The Car』を経てさらに重厚感が増していた。特にアウトロは鳥肌が立ちっぱなしで、徐々に速くなっていくテンポに演奏も熱を帯びていき、アレックスもここで一気に歌の調子をあげた。

この日歓声が一番大きくなったのは、やはりというべきか、「Do I Wanna Know?」だった。直前の厳かな新曲「Sculptures of Anything Goes」後にアレックスがギターを掛けた時点でもしやと思ったが、心臓に直接響くあのドラム、向かい合ってギターを弾くアレックスとジェイミー・クックーー長めにとられたイントロが会場のボルテージを爆発させるほど膨らませ、あのリフが鳴り出すと大合唱が起こる。

昨年フジロックでジャック・ホワイトの「Seven Nation Army」を聴いた時にも感じたが、一番好きというわけではなくとも絶対に聴きたい曲があり、それが流れるとアーティストと観客の間に一種の共犯関係のようなものが築き上がる。この瞬間を生み出せるアーティストは決して多くないし、そこに立ち会えることこそライブにおける至高の喜びだ。

さらに後半もう1つ大きな盛り上がりを見せたのが「Pretty Visitors」。アウトロのたたみかけがとにかく圧巻なのだが、この日はアレックスがピアノに上ってポーズをとっていた。アレックスはたまに決めポーズをとるのだが、それがかなり独特というか、言葉を選ばずに言うとどこか古めかしい。そして、とてつもなくカッコいい。衣装との相性も抜群。ロックスターにだけ許される特権は必ず存在する。

23時50分を過ぎた頃、いよいよ最後の曲が始まった。彼等が2022年の締めに選んだのは「I Bet You Look Good on the Dancefloor」。初期曲はサポートメンバー抜きの4人だけで演奏するのだが、1stの粗さ(もちろん良い意味。インディーやガレージの刹那的な熱量を奇跡的にそのまま保存している)が損なわれないまま、演奏が超骨太にアップデートされている。ここで感じたのは、彼等の作品は全てが地続きにあるということ。『AM』で一度高みに達し、『The Car』で全く新しい金字塔を打ち立てたが、それらは突然変異のように起きたことではない。あらゆる経験を積み重ねて成熟してきたのだろう。リリース当時は多くのリスナーが首を傾げたという『Humbug』には『AM』の骨太なサウンドの萌芽を感じられるし、実際に現在のライブでも多く演奏されている(この日は「Crying Lightning」「Potion Approaching」「Pretty Visitors」の3曲)。地味だと思っていた『Suck It and See』(ごめんなさい)にも『AM』の予兆があるし、今となってはアレックスのボーカルが引き立つメロディアスな楽曲群と『The Car』のつながりを誰が否定できるだろうか。アレックスは直近の活動についても以下のように述べている。

「The Last Shadow Puppetsの最初のアルバムで、初めてバンドの外に出て他のことをやった時、『ああ、これは完全に別物で、Arctic Monkeysとも、それが向かう道とも関係ないものだ』と思った。今となっては、少なくとも僕にとって、完全に別物なんてありえないんじゃないかと思う。自分のやることすべてが、次に影響するような気がするから」

Apple Music限定『The Car』のインタビューより

カウントダウンと10分程度の花火が終わり、アンコールでありながらアークティック・モンキーズにとって今年最初のライブがスタートした。彼等の2023年は「R U Mine?」で口火を切った。あまりにも完璧な選曲。(もはや誰もそう聴いてないだろうが)どこか弱々しい男性が欲する「Are You Mine?」という言葉が、この時は確実にバンドからその場の自分達に、今年出会うファン達に向けられていた。

そして「505」へと続いていく。自分はこの曲のアレンジが大好きだ。これがラストの定番曲だと思っていたが、先述のポッドキャストによるとTiktokでバズったせいでもう1曲演奏するようになったようだ。

最後の曲は「Body Paint」。アレックスは「ローリングストーン」のインタビューにおいて、「ニューアルバムにもスタジアム・ロックの片鱗を感じさせる瞬間がある」と語っているが、この曲がまさにその1つだった。一般的な“スタジアム・ロック”とは異なるが、さまざまな顔を見せるこの曲だからこそバンドの地肩を見せつけられるのだろう。実際に聴いてみて、例えば2016年のサマーソニックにおいてレディオヘッドは『A Moon Shaped Pool』のストリングスをノイジーなギターでアバンギャルドに再現してみせたが、こちらはむしろ引き算の美学が感じられた。原曲では「My teeth are beating ~」の箇所でストリングスが加わるが、ライブではアレックスもジェイミーもギターを弾いておらず、キーボードとニック・オマリーのベースのうねりが前面に出ていた。一方で一度目の転調「I’m watching your every move」に入る直前のストリングスはジェイミーのギターに置き換わっており、要所要所でアレンジをしている。どこに焦点を当てるかによって楽しみ方が変わってくるし、今となっては1回見ただけではその魅力を存分に味わえなかったと思う。最後の「On your legs and on your arms and on your face」という連呼は観客の合唱を誘っていたし、アウトロの歪んだギターは激しくもどこかもの悲しく、場をヒートアップさせつつライブの終わりを予感させる。

約1時間のライブが終わった。去り際もあっさりとしており、稀代のロックスター達はどこまでもクールだ。全編通してMCは無く、観客への声がけも数える程度。全17曲のうち『The Car』からは3曲だったため正直そこは物足りなさも感じたが、それでも至上のパフォーマンスだった。

1/11@Riverstage

FALLS後は演奏曲の振り返りをしつつ、先述のポッドキャストやインタビューもチェックして解像度を高めた。アクモンワクチンも接種したことで前回よりも冷静に観る準備も整った。ブリスベン公演の場所はリバーステージ(Riverstage)で、その名の通りブリスベン川沿いに位置するオールスタンディングの野外会場だ。ステージを中心に半すり鉢上に芝生が広がっておりフジロックのグリーン・ステージに雰囲気が近い。フードとドリンクテントも出ているため実際にフェス気分が味わえる。前回となるべく同じ距離感で場所を確保した。体感的な客層は女性が6割で、その半分以上が20代以下だと思われる。

オープニングアクトはメルボルン発のバンド、マイルドライフ(Mildlife)。彼等は去年のクルアンビンのオーストラリアツアーにも同行しており、自分が観るのはそれ以来2回目。小宇宙を作り出す酩酊的なシンセサイザーが心地よく、長尺曲好きにはたまらない。フランク・ザッパとロバート・デ・ニーロを足して2で割ったような顔のベースや、ギターとフルートを操るスキンヘッドなど往年のプログレバンドにいそうな見た目も最高。ちなみにライブ盤もリリースしている。

数十分のインターバルの後、アークティック・モンキーズが登場した。今回もステージ暗転からだいぶ焦らされ、単独ということもあり前回よりも歓声が大きい。1曲目はなんと1stの「The View from the Afternoon」だ。てっきり「There’d Better Be A Mirrorball」だと思っていたからとても驚いた。なだれ込むように続いた曲は「Brianstorm」。2曲目にこれを持ってくるのはFALLSと同様だが聞こえ方がまるで違う。前回が静から動だとしたら、今回は動の勢いをさらに押し進めている。全編を通してではあるが、この曲のマット・ヘルダースのドラムは得に素晴らしい。速い=巧いではないことは百も承知だが、それにしても速く正確なドラムは笑ってしまうほどだし、何より見ていて気持ちがいい。彼のドラムは静かな曲でも躍動しているし、バンドを支えると同時に強度を高めている。「それがドラムの役割だろ」と思うかもしれないが、これを高次元で終始維持していた。

以前、マットはバンドでいくつかをのぞいて過去曲を演奏することに躊躇があると明かしていた。どの曲を指しているかはわからないが、こうした初期作を連続して披露する姿は現在の熟練したパフォーマンス力を見せつけるようでもあるし、実際に理屈を超越していた。

序盤に「Snap out of It」「Crying Lightning」「Don't Sit Down 'Cause I've Moved Your Chair」とアッパーチューン3曲を連発する流れはFALLSと同様だが、観客をひとしきり盛り上げたところで新曲「Sculptures of Anything Goes」が響き始める。鳴り出した瞬間こそ「待ってました」と言わんばかりの歓声が上がったが、曲が進につれて常に大合唱が起きていたオーディエンスも見入っていた。ただ、それは場をチルアウトさせるようなものではなく、むしろライブの変化を告げるとともに、バンド自体が新たなフェーズを迎えたことを宣言しているようだ。この日は『The Car』の曲から次の曲への移行がとにかくきれいで、新曲をいかに大事にしているかがわかる。続いたのは「Why'd You Only Call Me When You're High?」。『AM』からの人気曲だが、低体温なイントロが「Sculptures〜」の低音からスムーズにつながって響いていた。

単独もFALLSのハイライトに挙げた「Four out of Five」のクオリティは変わらず最高で、「Do I Wanna Know?」の熱量もやはり異常だった。

中盤の「Cornerstone」には特に心を打たれた。アコースティックギターを抱えるアレックスの歌声にフィーチャーした演奏だったのだが、とにかく声の伸びが素晴らしく、(現行のライブと過去の音源が比較対象として成立するかは置いておいて)『Humbug』の時とは比べようもないほど良くなっている。No Busesの近藤大彗氏が『The Car』を「本人たちが意識しているのかわからないけど、『歌を聴くアルバム』という印象を受けました」と評しているが、実際にアレックスのボーカルを最も堪能できるアルバムだと思う。それがツアーにも少なからず反映されているはずだ。

そして「There’d Better Be a Mirrorball」につながるのだが、この曲が流れると野外会場でも途端にロマンチックなダンスホールへと変貌を遂げる。この日はFALLSとは違い、アウトロでミラーボールが光った。同じツアー内においてどんな基準でこう小さいアレンジをするのか。「坂道の商法じゃないんだよ」と心の中でひっそりと思ったが、この差を見れたのは運が良かった。続いたのは「Tranquility Base Hotel & Casino」。もはやこの2曲の相性の良さはどんな言葉を並べても足りない。この時のアレックスは動きとも相まって完全にトランス歌謡ショー状態である。どこまでも観客を酔わせてくれる。この日もMCこそないが、アレックスの客席への呼びかけや身振りが多くてなんだか機嫌がよかった。

その後の「Teddy Picker」「From the Ritz to the Rubble」「I Bet You〜」という流れは、昔からのファンにはたまらないのではないだろうか。「I Bet You〜」が始まった際、ダンスフロアと化した会場でまるで自分が一番輝いていると言わんばかりに、パートナーと思しき男性に肩車してもらう女性が増えた光景が非常に美しかった。しつこいようだが、この時はサポートメンバー抜きの4人のみで演奏する。デビュー当時の彼等は垢抜けなくもどこか華があり、自分の半径数メートルのことを綴った歌は同年代の若者を刺激してきた。そしてインディーロックは世界中のはみ出し者達を救ってきた。学校や会社、家族といったコミュニティに馴染めない何人もの人々はインディーロックに生きる活路を見出してきた。それはイギリスだけでなく、極東の島国や地球の裏側であるオーストラリアも同様だろう。それに彼等の音楽には時代を越える力がある。この日、誰よりも高い位置で見ようとした彼女達は過去の何かに思いを馳せていたのかもしれない……いや、「ヤッバ! 激アツじゃん! おぶってよ!」くらいにしか思っていなかったかもしれない。それもまた美しい。

本編の最後を飾ったのは、たった2回の鑑賞体験からでもライブ曲としての貫禄すら感じさせる「Body Paint」。この曲は彼等をどこへでも連れて行ってくれるはずだ。

一度袖へはけたのち、程なくして彼等が戻ってきた。アンコール1曲目は、FALLSで演奏されなかった「Big Ideas」。自分は『The Car』の中でこの曲が一番好きだ。「Big Ideas」に演歌を感じるという旨のツイートを以前見かけたが言い得て妙で、メロディもどこかノスタルジックを呼び起こし、こぶしの効いたボーカルを味わえる。アレックスはこの夜初めてピアノを弾きながら歌ったのだが、自分が最もギターに惹かれたのも他でもなくこの曲だ。オーケストラパートを幻想的なギターに置き換えており、幽かに漂う音が実に幻想的だ。最もライブで化けた新曲で、アンコールにして間違いなく今日のハイライトの1つだった。

そして「505」ののち、最後の曲は「R U Mine?」。会場中が待ち望んでいた。何度でも言うが彼等は正真正銘のロックスターだった。

2000年代はアークティック・モンキーズ、2010年代はThe 1975の時代だったとマシュー・ヒーリーが言った。アレックスはそれを認めつつも、「でも、いまは2020年代だ。ここから先の10年が楽しみだ。」と答えた。どうなるか今は誰にもわからない。ただ、この先自分の心は間違いなくアークティック・モンキーズとともにある。「Are You Mine?」という問いかけにはっきりと「Yes」と答えたい。そして、昔の自分に素直になってアークティック・モンキーズを聴けと伝えたい。

ライブを2回観られると決まった時、屋内でも観たかったという不満も正直少なからずあった。『The Car』の緻密さを考慮すると、野外では十分な体験が得られないのではと憂慮していた。今はそれが杞憂だったと断言できる。暑い季節の中、開放的な会場で彼等の演奏を全身で浴びたことは一生忘れないだろう。FALLSでは新譜を起点に過去との接続を図り、単独では自分達の軌跡を辿るようで、捉え方の異なるセットリストに出会えたのも幸運だった。前者は現在から過去、後者は過去から現在というベクトルだが、いずれにせよ『The Car』を1つの到達点と捉えつつも、全作品が地続きであることを示しているように思えてならない。

ちょうどこれを公開した日に東京の追加公演が発表された。今や多数の海外アーティストを受け入れる一大会場となった東京ガーデンシアターで『The Car』をどのように響かせるのか、今回のツアー最小規模のキャパであるZepp HanedaとZepp Osaka Baysideで運の良いファンをどのように踊らせるのか。体験できる人が羨ましくて仕方ない。

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