見出し画像

【おもひでバイク】ホンダ・バイトとズーク

ホンダ Bite(2002)
大ヒット作・ズーマーの姉妹車であり、同系統のメカを持つが
FI化され継続販売されたズーマーをよそに、キャブレター仕様のみで販売終了。
そのため、FI仕様ズーマーとの互換性には乏しいのでパーツスワップ時は注意

2021年初夏、筆者は1台の50ccスクーターを買いました。
趣味としてのバイクを辞めてから20年振り、先代の下駄バイクであるスズキRG50Tが力尽き…我が家からバイクの姿が消えてからは14年振り。
本当に久し振りのバイクでした。

それが、本項で紹介する「ホンダ・バイト」との出会いです。

とはいえ、筆者は望んでバイトを買った訳ではありません。
本来は「某島で借りられる事になった農地にてハーブ栽培を行うため、島での簡易移動手段としてカブが欲しかった」のです。
それも、学生時代に弄り慣れた旧型カブ…所謂「鉄カブ」を。

しかしながら…2021年当時は某流行り病の影響で「密回避」できるバイクという趣味への需要が急増、中古バイク価格は高騰し始めており…増してや不滅の人気車種である鉄カブに至っては、上位モデルにして当時最新の「ハンターカブ125」が人気沸騰中だった事も相まって軒並み高値を付けられており、残念ながら、お手頃な鉄カブとは出会えませんでした。

中古バイク検索サイトや近場のバイク屋さんを巡っては溜息を吐く日々が続く中、筆者は標的をカブに限定せず「趣味として乗る訳ではないから趣味性はさておき、速くなくても構わないから楽しくて整備性の良い原付」を探す事にしました。

そして、筆者の脳裏に1台のヘンテコバイクが浮かんだのです。

ホンダ ZOOK(1989)
見た印象が全て、とにかくヘンテコ。全てがヘンテコ
しかし、大好きだった。いずれまたお迎えして愛でると思う

ホンダ・ズーク
バブル期のホンダが生んだ、良くも悪くもバブル期らしい遊び心の塊みたいな50ccスクーターです。
バッテリーもメットインも無く、何と変速機まで無くしてしまったという壮絶な割り切りっぷりが生んだシンプルさは当時話題を呼びました。

ズークはイメージキャラに所さんを起用。
ハジケまくった広告展開でウケを狙うも、ハイスペック豪華絢爛がデフォルトだったバブル期にはいささか微妙に早すぎた一台だったのかもしれない
この「背筋がピーン!」なライディングポジションが乗ってて楽しかった。
見晴らしが良くなるので早めのブレーキを掛けやすいのだ。
この美点は、後継車のバイトにもそのまま受け継がれた
色々書いてるが、要するにけっこう凝ったバイクだった。
自慢の「メットオン」とは、サドル型シートを敢えて小型化する事でそこにヘルメットを被せてキーロックし、ヘルメット保管とシート保護と簡易防犯を兼ねるという、なかなか優れたアイデア。
わずか1年程度しか販売されず短命に終わったズークだが
カラバリはご覧の通り豊富。
筆者は緑と白と赤と灰と茶、計5台持っていた。青がなかった…
90年代後半頃には解体屋で数千円程度にて書付個体を買えたので、プラモ感覚で集めていた。
ホンダ ピープル(1984)
時空を超えて80年代に降臨した24ccモペッド。最高速度19km/h!(実測)
ズークの可愛い「ピッ!」というホーン音や丸いウインカーは、このピープルからやってきた

…といった具合に、当時のパンフに沿ってざざっとズークを紹介させてもらいましたが、要するに凄まじいヘンテコバイクです。
とはいえ、ズークはシンプルだったので維持管理が楽なバイクでもありました。フットレストを兼ねたカウルの脱着に若干慣れが要る以外は整備性も良好で扱いやすく、当時の彼女に近所の足として1台プレゼントしたら喜んでもらえたのも覚えています。

事実上ズークの後継車といえるバイトも
「背筋がピーン!」なライディングポジションを売りにした。
但しこちらは気分に応じてシート高を簡単に7段階可変できた(ズークは2段階)。
ヘンテコ路線ではなく、バイクより自分を見せたいオサレ女子向けに販売された

そんなヘンテコバイク・ズークの存在を思い出したその頃、某激安バイク屋さんが安価(だけどボロボロ)なバイトの中古個体を販売していました。
バイトはホンダの公式アナウンスこそ無いものの、どこからどう見てもズークの後継車種と言えるバイクであり、整備性の良さは一目瞭然でした。

筆者は現物を下見してその程度の悪さに「これ一般人に売ったらアカンやつやろ…」と驚くも、バイクレストアの練習台にもなるからいいか!という考えもあり、そのボロボロのバイトをお迎えしました。

公式パンフより、社外品パーツを用いてのカスタム例。
バイトはズーマーの姉妹車という事もあり、カスタムパーツに恵まれた。
駆動系やエンジン回りもスマートDio系列(キャブ仕様)とだいたい互換性があるので
実はチューンにもカスタムにも困らない。

かくして筆者はバイトをお迎えした…のですが、上記の通りボロボロだったので一筋縄ではいきませんでした。その状況については下記リンク先記事にも書いてますので、よければ本項と併せてお読み頂けるとうれしいです。

納車・緊急修理後、さっそく島の農地に向かうバイト。
鉄カブと比べると、お世辞にも田舎の景色が似合うバイクとはいえなかったが
なんだかんだで農道も山道もよく走ってくれた

とにかくボロいバイトでしたが幸いにしてエンジンは良く回り、持病である「クランクベアリング死亡」も発生せず、最後まで元気よく走ってくれたのがせめてもの救いでした。

このバイトはモジュラー構造設計が採用された水冷4ストエンジンを搭載し、50ccスクーターとしては贅沢ともいえるバスタブ形状アルミフレームが採用された、意外なまでにデラックスなバイクです。
当然、先代のズークとは異なり無段変速機もバッテリーも(セルも)普通に付いていますし、フットレストの下に燃料タンクを搭載している関係上、四輪車のような燃料ポンプすら付いているという贅沢っぷり。

バイト納車日当日に貼ったYPVSステッカー。
わかる人にはわかると思う、これが筆者の帰る道

ズークのようなシンプルで軽快な乗り味を期待していた筆者は、バイトの豪華なメカニズムと堅実かつ落ち着いた乗り味に驚かされましたが…

一方で、こんな思いもよぎりました。

「バイトは良いバイクだ。しかし、良くも悪くもホンダだ」
いずれ俺は、また懲りずに趣味でバイクに乗るかもしれない。その時はきっと、かつて愛した2ストバイクの世界に帰るのだろう

そして筆者は、納車当日にヤマハ製可変排気デバイス「YPVS」のステッカーを、ホンダ製4ストロークスクーターであるバイトに敢えて貼りました。
それは学生時代、TZR125&250に貼って峠を攻めていた頃に予備ステッカーとして買ったものの最後の一枚を、「いつか2ストバイクに帰る日が来るのかな…」という微かな願望と祈りを込めて20年以上持っていたものでした。

また趣味でバイクに乗るのであれば、再び2ストバイクに乗りたい。
このステッカーを剥がす時は、2ストバイクに乗り換えて再びライダーを名乗る時か、趣味としてのバイクを忘れられるようになった時のどちらかにしよう。
そんな願いを込めて、YPVSステッカーを貼りました。

ヤマハ TZR125(1987)
愛車オブ愛車の一台。画像のゴロワーズカラーに乗っていた
バリバリマシン(廃刊)のどっかにも出ているぞ!

それから程なくして、記録的猛暑及びその他の事情で農園を営むプロジェクトそのものが消滅し、農園の足としてお迎えしたバイトは早々に「用無し」となってしまったのです。

しかし…手持ち無沙汰となったバイトは、ささやかな”逆襲”を開始しました。
「農園の足」という仕事を失ったバイトには、もう「ただ走る」位しかやる事が残されていなかったのですが、バイトは文字通り、ただ走りました。

市街地住まいゆえクロスバイク通勤に慣れ、バイクでただひたすら走る喜びを完全に忘れ去っていた、すっかりおっさんになった筆者を乗せて。

門司〜下関を結ぶ関門トンネルに隣接した歩道。
50ccバイクは、この長い傾斜を伴う道をひたすら押して本州に渡るしかない

50ccだから関門橋も関門トンネルも渡れないけど、昔みたいにバイクで本州を走りたい!

だったら漕げば押せばいいだろ!?
とシュワちゃんの怒号が聞こえたかどうかはともかく、バイトは海底の歩道を潜って本州に渡りました。

長崎県・平戸島の西端を目指して山道を走るも、
2021年当時はコロナ禍のせいで侵入禁止、無念の妥協。
ちなみにこの道の帰途、イノシシに包囲されて必死に逃げた

九州の西の果てに行きたい!
そう思った時、筆者はツーリングマップルを手に入れ、ツーリングプランを立て始めていました。
高速を使えず、鈍足で航続距離も短い50ccスクーターのバイトでは、中型バイクでやれたような衝動的な旅をしようとしても色々と足を引っ張られます。
だからこそ、計画的な旅が求められたのでした。

それは…ひたすら峠や埠頭やバイパスでスロットルを開けまくり、仲間とつるみ、バトルに明け暮れ、レストアにハマッていた昔の筆者は全くやっていなかった事。

「ツーリングライダー」誕生への萌芽が、今更ながら無意識に芽生えていたのです。

納車時点で既にフロントサスの動きが悪く、インシュレーターは硬化してヒビ割れ、タイヤも要交換状態だったが、それらを治す修理作業もやる前提で買ったので問題はない。
そして、修理とチューン&カスタムは同時進行で進めていった

ツーリングを楽しみたい
筆者のバイク人生における新たな目標が生まれたまではよかったのですが、バイトは積載量ゼロに等しい街乗り特化型50ccスクーターなので、最もツーリングに向かないタイプのバイクであるのもまた事実でした。

しかしここで、ズークから受け継いだ美点である
高いライディングポジションと視界の良さ
が、筆者とバイトのささやかな旅に楽しさを与えてくれたのです。

高い視線からの眺めの良さは、すっかり忘れていた「バイク目線」を思い出させてくれました。

それに加え、当初全身ボロボロだったバイトには修理と並行して各部のチューンナップ及び補強を施し、ズーク譲りの小さなサドル型シートはクッション材交換及びシート生地貼り直しと同時に、長距離走行時の疲労感を軽減しつつ若干ホールド性を上げるためのシート形状微調整も行いました。
エンジンはオーバーホール時にホーニングを行い、その際得た排気量データが50ccを僅かに超えていたので晴れて二種登録を実現、駆動系を筆頭とした全方位チューニングで標準巡航速度60km/h(GPS計測、区間速度)も達成。

ここに、見た目では全く想像すらつかない
下道限定・短距離マイクロツアラー」が爆誕しました。

ツーリングするならいつかはソロキャン!
という訳で、ソロキャンを見据えた旅で機材の吟味を開始。バイトじゃソロキャン無理だが。
この試み、通称「ライン演習作戦」は複数回行われ、ツーリング機材購入の参考となった
「ライン演習作戦」初期の一コマ。
当時まだツーリングバッグの選定が終わっておらず、カメラバッグを用いていた。
コンロとかコーヒープレスとかはこの画像の品がそのまま継続採用され、今も愛用している

筆者とバイトは気の向くままに北部九州のあちこちを走り、ツーリングバッグを筆頭としたツーリング関連機材のみならず、インカムやスマホマウント、ツーリング支援アプリ等のアイテムについて学びを深めていきました。

なんせ14年振りのバイクなので浦島太郎状態。今の全てが新鮮です。
古きを活かすべきポイントと、新しきを導入すべきポイント。
それを筆者なりに見極めるべく、とりあえず走りました。

KM企画製ハイスピードプーリーAssyとウエイトローラー、
デイトナ製スライダー。実際にバイトに組んでいたパーツ

しかし一方で、筆者の心は痛んでいました。
バイトは元々のコンディションが極めて悪く、エンジンマウント基部のシャーシ(この部位を含む後部シャーシは鉄製)が激しく腐り落ちており、長期間乗り続けるという選択肢は現実的ではなかったのです。
かといって、決して安くないバイトの書付フレームやドナー車両を探すのも、色々な意味で現実的ではありませんでした。
それに加え、タイトな構成でアルミシリンダーを採用したエンジンの仕様上ボアアップができず、簡単にスワップ可能な上位互換エンジンも存在しないバイトでは魔改造でもやらない限り更なるパワーアップも難しく、結果として駆動系に大きな負荷を掛けるチューニングにならざるを得ませんでした。
(小排気量スクーターチューン大体そんなもんだと思いますがw)

つまり、「」を考える必要が早くも迫ってきたのです。
それは…私がライダーとして復帰し、バイクという趣味を再び胸に抱く時でもありました。

野焼き直後、草の焼けた匂い残る初春の由布岳にて。
本来こんな旅をするバイクではないが、このバイトにはできた

別れが確定した後の彼女とのデートは、とても悲しいものです。
同様の悲しさを、筆者はバイトとの日々で感じていました。

しかしバイトは、そんな筆者のモヤモヤを笑い飛ばすかのように元気に走ってくれました。
そして、ツーリングする楽しさを教えてくれました。

大分県・国東半島東端より遥か四国を望む。
向こうに渡る時、筆者はどんなバイクを相棒に迎えているのだろうか。
そんな思いが脳裏をよぎり、バイトとの残りの日々をより楽しむ事にした

鉄カブを買えなかったので妥協案としてお迎えしたものの、本来の用途である「島の農園での足」というアイデンティティを早々に失い、最も不向きなツーリング用途に使う事となった、ボロボロのバイト。

しかし、バイトはツーリングの楽しさだけではなく
速くなくても小さくても、高速に乗れなくても旅は楽しめるんだよ!
という、素晴らしいメッセージを筆者に伝えてくれました。

そして…バイトからのメッセージを胸に強く刻んだ筆者の脳裏に、旧車屋さんでの出会いをきっかけとして
」のビジョンが明確に浮かんできました。

富士 ラビットS601(1966)
古の鉄スクーター・ラビットは、幼少の頃からの憧れであったが
昔ライダーだった頃には本当に縁がなく、乗る機会すらなかった。
今は、そんな昔が冗談だったかのように、ラビットに縁ができている
※画像:岩下コレクション様所蔵品※

富士ラビット
筆者が生まれ育った昭和の長崎の街を、魚を満載した木箱を積んでブンブン走り回っていた煙臭い巨大な青白のスクーター。
バイクを好きになるよりも遥か前から筆者の原風景にいたバイクであり、いつか友にしたいと思っていた一台でもありました。

ラビットで旅をしよう、ずっと一緒に齢を取ろう

それが筆者の「次」であり、いずれ走り出すラビットの「出発点」でもあります。

別れの日までバイトは元気に走り回っていた。
「50ccだってやろうと思えばやれるんだぜ!」
思えば、かつての愛車・ミニトレGT50もそんなバイクだった

ラビットは排気量こそ90〜125〜200ccあるとはいえ、決して速いバイクではありません。200ccあるS601であれば法律上は高速にも乗れますが、125cc級のS301はおろか筆者のバイトよりも遅い(!)S601に高速性能を期待するのは酷というものです。

逆を言えば、ラビットでの旅にはバイトで得たノウハウをかなりの部分活かせる!という事でもあります。

そして2022年6月、運命の時はやってきました。
ラビットに先行し「下駄バイク」としてバイトの後継を担うために、我が家にやってきたヤマハYB-1がレストアを経て復活を果たしたのです。
流石に1960年代の鉄スクーターであるラビットでは「普段使い」は荷が重いので、タフで堅牢、そして悲願の2ストバイクでもあるYBの出番となった訳です。

全ての役目を終えたバイトはYPVSステッカーを剥がした後に筆者の手を離れ、新たなオーナーとの出会いを求め旅立っていきました。
(もちろん、フレーム腐食の件は先方に伝えています)

個性を主張できるバイクかといえば疑問符が付くが
スカスカボディには夢と可能性を搭載できた

筆者がバイトに乗っていた期間は僅か1年足らずでした。
先代にあたるズークとはまるで異なる、良くも悪くも普通の実用スクーターである乗り味には若干肩透かしを食らった印象こそ否めませんが、まさかのツーリング運用となった事でそれが美点へと転じ、結果として筆者にライダー復帰への決心をさせる決定的なキッカケとなりました。

現在、筆者はバイトの後継としてYB-1に乗りながら、ラビットS301のレストア体制を整えつつ、一方でMVX250Fのレストアについてもそろそろ大きく動くべく準備をしている所です。
(だいたい場所問題なんですが…orz)

その根っこにあたる部分には、バイトとの日々で得た学びや知見、気付きが大いに生かされています。
50ccスクーターといっても、決して馬鹿にはできません。
バイクである事には変わりないのですから。

ありがとう、バイト。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?