オレンジホームケアクリニックの紅谷 浩之医師講演会

福井医科大学(現・福井大学)医学部を卒業。同大学附属病院に新設された救急総合診療部にてER型救急のトレーニング、福井県名田庄村(現・おおい町)や高浜町の診療所を経て福井市に戻る。市内には医療資源が豊富にもかかわらず在宅医療だけスポットが当たっていないことに違和感を覚え、勤務医として在宅診療クリニックの立ち上げに携わり、2011年にオレンジホームケアクリニックを開設した。

ゼロヒャクスタイル

在宅医療の「ゼロヒャクスタイル」とは、”どんな年齢の患者も断らない”という運営スタイルの診療所のことをいう。へき地医療などではむしろ一般的で、とにかくどんな患者であっても対応する(現地での治療がかなわない場合は、連携している医療施設に医療連携をする)という方針。

2012年に医療ケアが必要な子どもとその家族をサポートするチーム「オレンジキッズケアラボ」、2013年には福井駅前に「みんなの保健室」、2015年には軽井沢に期間限定の滞在スペース「軽井沢オレンジキッズケアラボ」、2016年には外来診療を立ち上げるなど、様々な事業・サービスを立ち上げてきており、スタッフも多様。

臨床宗教師(僧侶)という職種も1名存在する。欧米のホスピスにあるチャプレンの日本版。東日本大震災の後に東北大学ではじまった研修・採用資格で、ホスピス・緩和ケア病棟などでは必要に応じて導入するところもあるが、日本ではまだ少ない。

「人生の尊厳と主語を、その人に返す」

ともすれば、主語が疾患や患者になってしまう。主語を、主役をその人のものとしてスポットライトをあてる。”老いても、病んでも、障害を持っても”その人の物語に、そっと寄り添うことがポリシー。

たとえば、医療的ケア児の生活の現場では、病院ドクターの理論と在宅ナースの理論に挟まれる家族がいた。紅谷医師は在宅医療のドクターとして、医療的ケア児の母親と、いわば『父親的な立場』で病院の診察に同行して在宅の小児医療の実態を学んだ。

年齢を重ねれば居場所もなくなってしまい、一生涯自宅での生活を余儀なくされる運命にあった医療的ケア児の家庭を見て、2012年に医療的ケア児のサポートをするために”ラボ”として立ち上げ(何故”ラボ”なのかというと、収益のない取り組みになるだろうことが予め分かっていたので、「これは研究なんだ」と自分に言い聞かせて「お母さん、僕らと地域で支える仕組みを研究しましょう」「お母さんにも研究員になってもらいます」という声掛けで事業をスタートさせたからだという)。

医療的ケア児の“医療と成長のどちらも支える”

“医療と成長のどちらも支える”という思想は当時(今も、ではないだろうか)新しく、ドクターストップでなくドクターゴーという姿勢は不安がつきもの。多職種連携の協働・役割分担としては、医師は体調管理・生命維持、看護師はリスク管理、保育士は学習と成長の視点で人生のバランスを保つ。あくまで子ども視点であることを欠かさない。

療育センターにレスパイト宿泊したとき、ある日何も活動のないスケジュールだったとしても、保育士がギターを持って「この子の成長は止めない」といってセンター乗り込んだこともあった。

医療的な視点で、こどもの成長を管理してしまうようなことはあってはならない。その一方で、こどもの存在が地域をかえていくことも目の当たりにした。子どもは親や他人の大人、地域をかえていくのだ。

薬よりもつながりを、医療よりも生活を処方しよう

眼鏡は昔、視力矯正装具という医療機器だったのが現在はファッションアイテムにまでなった。医療を生活の一部になるような存在にしていくのは、世の中のパラダイムシフトではないか。医療/障害モデル→機能モデル→生活モデルへと時代は変わってきている。地域包括ケアシステムと医療的ケアは巻き込む範囲の変化を持ち続けている。

オレンジホームケアクリニックでは、病気になる前の生活者に会えるようにと2013年「みんなの保健室」を立ち上げ。その後、駅前からの患者の受け皿として「つながるクリニック」を立ち上げた。

「病院からの出前」として在宅医療を考えてしまうと、「家庭が病院になる」だけ。「生活に在宅医療を使う」という視点で、生活の一部に医療がある、という状態を目指したい。病院での医療処置は、在宅/生活の場になると治療行為から生活手段になる。

たとえば、注入(経管栄養)は“ごはん”なのだから、「一食ぐらい抜いたり遅くなったりしても良いんじゃない?」と考えを切り替えた。結果、医療的ケア児のご家族にとっての精神的余裕を持つことにつながり、京都旅行にもいけるように。

生命維持の装置であるポータブルの人工呼吸器は、「医療的ケアのある人がどこへでもいけるパスポート」

自分で吸引をする成長を促す。親がしている医療的ケアを、なにかの事故で親がかえってこなかったとき、子どもが痰を詰まらせて死んでしまう…そんなことを予防するために自分が自身のケアを習得させたい、というお母さんのケース。いずれ、医療的ケアを自分自身で自立してやれるようになり、就学や就労といった社会参加のステップを踏む時がくる。そのためのパスポートは、医療機器をコントロールできる”その子自身”。

患者が主役で家族が脇役ではなく、生活の主役はそれぞれの家族ひとりひとり。親はケアギバーであるだけでなく、ひとりの人間として生きている。

医療的ケア児の母親が、児童発達支援に預けて看護学校に入学。担当ナースと子どもが、母親の入学式を保護者席で見守ったことも(出典:脳性まひ児の母、見つけた将来の夢 「支える側へ」看護師志す)。

医師はICHDH(世界障害分類・1980年)しか習わない。生活モデルの医療を捉えるためのフレームワークとしてICF(国際生活機能分類)を学ぶべき。ICFでは生活機能という考え方を提言している。生活機能とは「人が生きること」全体であり、健康とは「生活機能」全体が高い水準にあること示す(出典:「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)│厚生労働省)。

つまり、健康増進するステップの先に就学があるのでなく、学校に通うにつれて筋力が付いて歩行できるようになったというケース(2年リハビリでダメだった子どもが半年で歩けるように)。

できることを組み合わせて、できる道を探す

「みんながみんなは実現できないだろう、それはボランティアでやるのか?」と問われることがある。「それは知らない。なんとかする」という考え方。皆ができることを少しずつ持ち寄って実現に向かわせる。これは、僻地医療で培った考え方。「どの職種はそれはできない」でなく、「各職種のできることを組み合わせてできる道を探す」。

本人、当事者のいるまえで会議をする。普通学級への就学における責任の擦り付け合いから、その子中心の役割分担を大人たち同士確認していく。

コミュニケーションできない医療的ケア児の同級生のため、周囲の子どもたちは「手に字を書く」というコミュニケーションを考えた。その一方で医療的ケア児の彼女は、誰よりも習字が上手い、尊敬される同級生になった。

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有り難う御座います。これからの糧になります。

omoide

その時々に、思ったこと、考えたことを。
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