共感の生まれる、ふるさとで――『医療系ファンドレイジングの最前線』FRJ2018|ファンドレイジング・日本 2018

話者の丹羽さんの御紹介で、スペシャルゲストとしてオフレコの話をバンバンしてきた。その後、けっこう近しい組織の方々と名刺交換をした。バンバンおかしな汗かいた。

クラウドファンディングとの親和性

講演の中で丹羽さんは「医療機関にはクラウドファンディングとの親和性が有る」ということを仰っていた。そして、共感がクラウドファンディングの輪を広げる、という趣旨のスライドがあった。僕もそのとおりだと思う。

それはそうとしても、では「共感はなぜ生まれるのか?」という問いは、永遠のテーマだろう。そのレシピがこの世に存在すると皆信じて、宝物探しをしている。

僕なりに「共感はなぜ生まれるのか?」を考えると、それは「自分のことを、この世界は分かってくれている」と思うような事象との出遭いではないかと思う。学問や芸術、人との出会い…その中で「自分はひとりじゃなかったんだ」と思える瞬間にこそ、共感が宿っているのだと。

人は皆生まれ、いつか死ぬ。その万人に共通した体験の現場こそが、医療であるならば。医療機関は、人が生まれたり亡くなってしまったりという、この上なく凄まじく共感の可能性を孕んだ体験を目の当たりにするところなのだ。

ひとことではとても表せない様な気持ちに沈んだその先で、「そんな自分のことを、この世界は分かってくれている」と思える瞬間が、残された者たちの未来できっと待っている。そんな瞬間に、僕の携わった企画が存在したことは、事実としてあった。

共感とご縁

白血病だったその友達の命日である今日、国立成育医療センターからクラウドファンディングのお礼状が送られてきた。小児がんの研究に役立つなら嬉しいな。

このようなつぶやきを、今年twitterで見付けた。

その時、「あゝ、俺は一体ここで何をしているんだろう」と思わされた。そうした疾しい気持ちは、ここに来てからずっと、今になってもどんなに仕事してもずっと続いているのだけれど。

共感とは、作るものではなく、呼ぶものなのだと思う。たとえその出来事が偶然であったとしても、そこに然るべき原体験と“ご縁”を感じるだけの想いが重なれば、共感は自ずと呼び起こされるものなのだ。

小児がんで親しい方を亡くされた方、昔弊社に入院されていた方、現在いま正に無菌室で治療をうけようとしておられる方…様々な方々が、自分たちの企画に共感をしてくださった。

そうした感情に乗っかってご寄附を戴くだなんて、因果な商売だと思う。しかも僕は医療従事者でも何でもなく、その因果の輪の中にいない只の傍観者なのだ。

それでも、これからも裏方として残すところ後2年の任期を終えるまでは、この虚しさの中で従事しようと思っている。少なくとも、まだ自分に求められている仕事で発揮する能力と目指すべき成果は、残されているのだから。

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良い週末を!
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omoide

その時々に、思ったこと、考えたことを。
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