聖の青春

それは、とてもシンプルで、ずっしりとした芯を持つ作品だった。

村山 聖は、29歳でこの世を去った将棋棋士。原作は、大崎善生の2000年のノンフィクション小説。100年に1人の天才と言われる羽生善治と「東の羽生、西の村山」と世間に言わしめる才能を持ちながら、幼少のころからネフローゼ症候群に苦しめられ若くして死と向き合い生きる様が描かれる。

ここで少し、出演者のインタビュー記事を検索する。作品を作った人たちは、どうこの作品を考えていただろう?と、思って。

すると、「これぞ」と思わされる詞を見つけた。

「ヒロインが羽生善治さんという硬派な作品です。将棋が好きな方はもちろん、人生をつまらなく感じている方も、何かに夢中になっている方でも、こんな人間がいたんだと魅かれる作品です。“村山聖”は必ず見る人の心に何かを残します」(出典:松山ケンイチ、役作りで過酷な増量…『聖の青春』で羽生善治と並び称された早世の天才棋士に

羽生に憧れ、彼との対局の中でしか見ることのできない景色を追い求めていたこと。趣味も性格も全然合わない二人が、しかし将棋盤の上でだけ交流を深め、親交する姿に村山のたぎる生命力を感じるのだ。

才能に惹かれて、その才能に“見合う”自分でありたいと願うその気持ちに、自分を重ね合わせられる気がした。

“貴方に逢うその時は、貴方に見合う自分でいたい”

これは、そんな気持ちになれる人が村山の人生の中に確かにいたという物語なのだと思う。

では、村山が格好の良い主人公(ヒーロー)だったかといえば、そんなことはない。生活にだらしがなく、追い詰められた自分に余裕を無くし他人との折り合いを付けられず人に当たって…親しい仲に礼儀を尽くせぬ、ダメ人間の部類だろう。そんな村山に不思議と親近感を持ってしまった、僕に似て。

しかし、ヒロインである羽生と将棋盤を挟んで座る姿。そして、羽生を二人飲みに誘うときの彼の純朴さに、僕は胸が熱くなった。

こういう気持ちを誰かに向けて持っていられることこそが、彼の幸せだったのだと、思ったから。

最後に流れる秦基博の主題歌は、ほんとうに見事だった。詩が、作品によって形成された記憶すべてに重なり合うようなスタッフロールを見ることが出来たのだから。

終わりのない空は、今も続いている。この作品と出会った総ての人々の日常の中へと。毎日の労働の中で「貴方に見合う自分でいたい」という願いが、ひとつでも叶いますように。


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良い週末を!
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omoide

その時々に、思ったこと、考えたことを。
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