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サードを見越したセカンドキャリア 前編

本記事の想定読者

  • 「どんなふうに生きていこうかな」「どんな仕事がいいのかな」など、自分のナリワイについて考えている人、または考えてみたい方

  • 自分のナリワイにはあまり感興がそそられないものの、目先の課題解消策として、英語の理解力や表現力を少しでも向上したいIT人材

本記事をしたためる発端

株式会社YNSのアドベントカレンダーに参加します!2度にわたって寄稿する担当者のひとり。別の話題ではなく、一つの話題で前編と後編をなす予定です。

これはなに?(あらすじ)

たいていの人が20歳前後で学生の身分を脱し、一時的ないし恒久的に会社員になる。40代にもなると、20歳前後の自分のケツなんて真っ青に感じるもの。30代、40代、50代と加齢するにしたがって考え方も生き方も変わってもいいし、無理に変えなくてもいいが、たとえばスポーツ選手がセカンドキャリアに歩みを進めることが自然なように、スポーツ選手でない人も、自分の活動にどう区切りをつけ、その先をどう捉えるか、一度立ちどまって考えてみてもいいんじゃないの的な話。

筆者は何者?

ひとことで言うとITコンサルタントであり、仕事内容をすこし噛みくだくと以下の言及(原文ママ)に当てはまります。

経営の言葉で、経営者を説得し、事業の言葉で事業部門を巻き込み、技術の言葉で開発メンバーと実現可能性の議論する

DX推進の立役者は「やたがらす人材」だった IPA、DX進む22社の調査結果を発表 - ITmedia NEWS

仕事内容に当てはまりはしても実現できるかどうかは別です(オイ)。実態としては、調整とかコミュニケーションハブの役割を、プロジェクトマネジメントのスキルをベースに果たす職種みたいな感じなんですけど、PMO…?適切な呼称がわかりません。

なぜセカンドキャリアを取りあげる?

「記事を書くきっかけがアドベントカレンダーなのはわかったけど、キャリアを話題にする根拠なり思いなりはなんなの?」という想定質問への回答準備です。

まず、自分自身が4thキャリアにチャレンジする時機を迎え、いったん整理してみたかったからです。私的内的な要求ですかね。キャリア形成なんも考えてなくてうす汚れたわりに(言い方)楽しんで生きてこれはしました。
次に、株式会社YNSでは仲間を募集中です。とくにブリッジSEという職種は過渡的なものと私個人が捉えており、ブリッジSEになりたい!っていう考え方より、ブリッジSEの業務を経験したあとはこうなりたい!っていうほうが、現実的なんじゃないかなと思うんですね。なぜかというと、ブリッジSEの業務を通じ経験することや伸長する能力は拡張性が高く、外国語(=異文化間)コミュニケーション能力、顧客のニーズを咀嚼し具体化する力、プロジェクトマネジメントやチームマネジメントなど非定型業務の課題解消力などなど、ほんとうにさまざまで、プログラミングの実装技術力以外の力こそ問われる職務だからです。その次どうすんの?がまったく見えない状況でブリッジSEをやるのと、なにかが見えてそうなブリッジSEでは、仕事の取り組み方がずいぶん違うんじゃないでしょうか。ブリッジとは、文化や言語の間に架ける意味でもあり、仕事や人生のはざまに架ける意味でもあるわけですね。なので、周囲のエンジニアの力が借りられる前提で、プログラマやデザイナやウェブディレクタの方々がブリッジSEを経験し、多様なスキルを身に着けて次なるステップに進むキャリアパスが紹介できたら、誰かのためになるかなあと思ったのがこの内容を採択した大きな要因です。
あとは、私の周囲でファーストキャリアを貫いている人ってそんなにいなくてですね。なんらかの契機に生き方変えてるんす。発展的なケースもあれば、ホップステップ挫折!なのもあるわけで、まさに人間万事塞翁が馬です。生きてりゃいろいろあります。石の上で3年じっとできることもあればできないこともあります。

なんつうか、日本人独特なのかなんなのかわかりませんけど、人生の選択時に覚悟を求められるじゃないですか。この道を選ぶからには!みたいな。そういう重いのきっついなー…。解約の処遇を事前に定めない契約ってなかなかありえないですし、暗中模索に踏みだす一歩目で、なんでいきなり永遠を誓わないといけないんでしょう。見通せても数年間くらいのもんなんじゃないですかね。仕事だって、そんなもんでいんじゃね?ってなもんで、世に問うてみようと。じゃ、そんなわけで、いよいよ本題です。

前提知識(まだ本題に入らない)

「藤原和博 三角形」でググった結果をご覧ください。これなにかっつうと、3つのキャリアをそれぞれ100人にひとりくらいの人材になれるよう充実させ、結果的に100万人にひとりのレア人材になろう!とする考え方です。実際に統計がとれるわけでもなさそうですから、100万分の1の数値は、比喩的で観念的なものとして納得してください(強制)。藤原和博の必ず食える1%の人になる方法 | 本の要約サイト flier(フライヤー)も参考になるかもです。

決意を反故にする=挫折とは限らない

さて、いよいよ本題です。先述のとおり、いきなり永遠を誓うのマジかんべんなわけで、竜頭蛇尾を避けるより、蛇尾(=勢いが振るわないさま)に陥っている現実を直視して撤退するかどうかを検討することのほうが大事です。スラムダンクで安西監督が「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」と諭したシーンはつとに知られ名言と仰がれます。しかしスポーツにおけるとくにトーナメント方式の試合と人生は似て非なるものですから、あきらめたら人生終了即死亡と考えるのは過酷です。

さらには、過去に抱いた決意が、実はひとつの方策を選択したに過ぎないかもしれません。抽象度の高い目標があれば、ほかの方策で目標に向かいなおせばいいですね。過去の決意らしきを捨て、新たな方針で当面を生きなおしてみて、まずいことになりそうになったら再設計しての繰り返しでいいんじゃないの?と少し軽い気持ちになじめたら、次の話です。

後編


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