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なぜ僕は暖かい家づくりにこだわるのか?〜その1〜

僕のこれまで

僕はどうも寒がりなようです。自分では意識したことはないのですが、よく周りを見てみるといつも人と比べて常に厚着です。家でも他のみんなは暖房いらずでも自分は暖房が欲しい。 夏は夏できちんと暑いのですが。

さて、自己紹介を兼ねてこれまでの自分を振り返ります。大学の文学部を卒業し、初めは教育系の出版社に営業として入社します。そこで出版営業や紙面・広告製作も経験し、社会人としての基本的なスキルとライティングやコピーの技術なども学びます。

その後、縁あってドイツの暖房器メーカーの日本法人に転職します。オール電化住宅華やかなりし頃の蓄熱暖房器のメーカーです。

無題のプレゼンテーション

蓄熱式電気暖房器とは、機器内部にあるレンガを安い深夜電力による電気で温め(MAX700℃!)。残りの日中長い時間をかけて放熱する暖房機器です。

電力会社がつくった深夜帯の割安な料金メニューである深夜電力契約や時間帯別電灯契約といった契約メニューにおいて蓄熱暖房機はその深夜電力を消費する機器の代表として電気温水器、IHクッキングヒーターとともに売り出された暖房機器です。

オール電化住宅がもてはやされた最盛期では年間に何万台というペースで売れました。僕も営業の最前線で代理店さんと一緒にハウスメーカーや工務店、設計事務所といった住宅づくりに関わる会社を営業して回り、蓄熱暖房機を販売する日々でした。

販売促進の一環としてドイツに設備機器の展示会に代理店さんや住宅会社さんをお連れしたり、カンファレンスといって世界中のグループ会社のミーティングに参加して英語で発表したりしていました。

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実は蓄熱暖房機は本国であるドイツと日本では売れていましたが、他の国ではほとんど売れていません。もともと電気ヒーターの会社でもあったそのグループで他の国(東南アジア、オーストラリア)では瞬間式電気温水器などがよく売れていたようです。

販売していた蓄熱暖房機の単価が高く、売上・利益ともに他国を圧倒しており、グループミーティングでは日本の我々はちょっとした英雄のような扱いを受けたものです。

◎蓄熱暖房機の光と陰

蓄熱暖房機は大変な重量があります。レンガが詰め込まれており、最大の機種での重さは300kgにもなります。これはグランドピアノと同じ重さです。

ですので設置の際は床の補強は必須でした。しかも機械の下の方に温風を出すファンがあり、腰高な構造で揺れには弱い構造です。2004年(平成16年)の新潟県中越地震のとき、多くの住宅でこの蓄熱暖房機が家の中で倒れる事態が発生しました。

蓄熱暖房機はその構造上、耐震金具で固定することになっていましたが、きちんと固定してあったにも関わらず倒れてしまう現場が続出。僕自身も応援・復旧作業で新潟入りします。

倒れてしまった蓄熱暖房機を一度ばらし、起こして使える場合はもう一度使う、部品交換が必要な場合は交換部品にて対応するといった気の遠くなる作業を一ヶ月ほど毎日続けました。

当時のお客様はまた強い地震がきたら大丈夫なのか不安だっただろうなと思います。その後耐震金具は強化され、設置方法も含めより地震に強い構造になりました。

◎そして東日本大震災・・・

新潟から7年後の2011年(平成13年)、東日本大震災が起きます。僕は東北に住んでいますが内陸だったこともあり、ガソリン不足にはだいぶ悩まされたものの、主な被害といえば3日間停電したくらいでした。

蓄熱暖房器は中越以降耐震金具の改定など地震対策をおこなってきてはいたのですが、東日本大震災は残念ながらその対策を上回る規模の地震であり、多くの現場で中越の時と同じように蓄熱暖房機の転倒やズレなどが生じました。中越同様復旧作業にあたることになりますが、この時はほぼ丸1年を要しました。


◎震災の前と後

実はこの震災が起きる直前、深夜電力中心の電気メニューに変化が起きています。ガス会社の攻勢や市場の微妙な変化(北海道では既に起きていた電化至上主義に対するアンチテーゼ〜電気をガンガン使ってCo2排出的にいかがなものか)もあり、いわゆる生炊きの電気からより高効率な電気であるヒートポンプ利用の暖房へと電気利用設備や料金メニューそのものが変わろうとしていた時でした。

そこへもってきて震災があり、生炊き電気の代表のような蓄熱暖房器や深夜電力メニューそのものにも疑問の空気が業界に広がります。2回の地震で災害に対する弱さも露呈していました。

電力各社も深夜電力中心のメニューから方向転換をし、少ない電気でより高いパフォーマンスを得られるヒートポンプを中心に据え、日中の電気でも高くない(と見える)メニューをラインアップします。

地震のリスクや市場の変化もあり、新築住宅における暖房システムや機器も高温放熱をする蓄熱暖房機からヒートポンプを利用するエアコンへと変遷していきます。

◎転職と独立

僕自身は実は東日本大震災の前に東北の設備設計事務所に転職をしています。そこでは蓄熱暖房機に限らず様々な暖房システム・換気システム・自然エネルギー利用システムなど住宅関連設備の設計全般に渡って、かかわりを持つこととなります。

特に、暖房システムの提案アイテムの中心はPS社製のパネルヒーターになりました。鉄製のパネルにお湯(不凍液)を循環させ暖房するものです。この場合、循環させるお湯をパネルヒーターとは別の場所で作る必要があり、それが灯油ボイラーだったり、ガスボイラーだったり、電気ヒートポンプだったりしたわけです。

パネルヒーターが目指すところは「究極の低温水暖房です。」蓄熱暖房機の放熱温度が70℃前後なのに対し、パネルヒーターが放熱する温度は体温くらいかそれよりもっと低い温度です。

どれだけ低い温度で運転することができて、十分な暖かさを得ることができるか、が一つの命題でもあったわけですが、これはつまり低い温度で放熱しても暖かいという空間が前提となります。つまり住宅側である程度の温熱性能がないと成立しないシステムでもあるということです。

そこで住宅そのものの断熱性能を上げる高気密高断熱住宅の勉強と啓蒙活動が始まりました。

・・・・・<その2>へ続く。

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