失った「匂い」、溜め込んだ「心の垢」――『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』

 先日、インターネットのツイッターを覗いていたら、岩井俊二監督がアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(原恵一監督)について言及していた。岩井監督は今回初めてこの映画を観たらしく、「2001年の作品だが、二十一世紀はこんなはずじゃなかった、というテーマはむしろ今のほうがより深く響く」と書いている。
 僕はこの映画を公開当時に映画館で観ており、のちにTV放映やソフトで何度か観直しているが、そのたびに深い感動をおぼえる。実は、岩井監督のツイートを読む数週間前にも、偶然DVDで観直す機会があった。そして、この映画が、3.11以後の世界を生きるわれわれにとって、非常に示唆的なメッセージを含んでいることにあらためて気づかされた。
 あの震災の直後、巻き起こった津波の脅威について、石原慎太郎が「天罰」と発言し、批判を受ける一幕があった。あのとき正確には石原は、「津波をうまく利用して我欲を洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を」と発言したのだ。この発言に込められた現代日本人に対する警鐘は、『オトナ帝国』に登場する秘密組織イエスタデイ・ワンス・モアの思想に通じるものがあるように思う。
 大阪万博を模した二〇世紀博というパビリオンを通じて、オトナたちを懐かしい「匂い」のとりこにし、ノスタルジーによる社会転覆を実現させようと目論むイエスタデイ・ワンス・モア。その首謀者ケンは言う。
「(かつて二〇世紀に夢見ていたはずの)二一世紀はあんなに輝いていたのに、いまの日本にあふれているのは、汚い金と燃えないゴミくらいだ」
 この言葉は、われわれの心をひどくざわつかせる。
 さすがに津波を天罰と言うのはいかがなものかと思うけれど、しかし長いあいだ、日本という国が、また日本人が「匂い」を失い、「心の垢」を溜め込みながら生きてきたのはたしかなことではなかったか。
 震災後おこなわれた計画停電や節電対策によって、都市は薄明かりに包まれ、ひとときの静けさを取り戻した。不謹慎を恐れずに言うが、あのとき僕は、ひそかな期待を抱いていたのだ。年々増加する不必要に巨大なビル群、昼夜の境がわからなくなるほどに煌々と明かりをともし続ける店々……。そんな日本の現在の姿を、もういちど見直す機会はいましかない、と。
 震災から一年。日本の都市は、いや少なくとも東京は、いつのまにか震災前のやかましさや明るさを取り戻しつつある。
(「キネマ旬報」2012年4月上旬号)

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