読む清張、観る清張

天城越え

【読む】
清張自身が最も愛した短篇小説
印刷所を営む小野寺建造のもとに、ある日、田島と名乗る老刑事があらわれる。彼はすでに時効となった三十年前のある事件の捜査記録を製本してほしいという。小野寺の脳裏には、十四歳のときの忌わしい記憶がよみがえっていた。天城峠で起きた殺人事件を軸に、偶然出会った少年と娼婦、執念で真実を追いつづける刑事、それぞれの切実な心情が浮き彫りになる。たった十数ページの分量で、三十年の歳月におよぶ物語のディテイルを巧みに描き出す清張の手腕には脱帽するほかない。数ある短篇のなかで、清張自身が最も気に入っていた作品ともいわれる。

【観る】
心に残る天城峠の美しい風景
『天城越え』(1983/三村晴彦監督)
清張シリーズで軌道に乗っていた松竹が、『砂の器』の野村芳太郎監督をプロデューサーに迎え、本作がデビュー作となる三村晴彦を監督に抜擢。もともと三村監督が長年あたためていた企画であり、三村監督と師匠の加藤泰によって脚本が書かれた。映画化するにはややボリュームの足りない原作に、天城峠の美しい情景描写、少年が出会う人々とのユーモラスなやりとりなどを加え、サスペンスの緊張感よりも少年と娼婦の交流のドラマに重点をおいている。田島刑事に渡瀬恒彦、娼婦ハナには田中裕子。特に、田中の妖艶な美しさと繊細な演技がすばらしい。

高い評価を受けたNHKドラマ版
『天城越え』の映像化は、一九八三年につくられた映画版が初めてではなく、一九七八年にNHKで和田勉演出でドラマ化されている(後々つづくNHKの清張シリーズの第一作)。ハナ役は大谷直子、少年役に鶴見辰吾、殺される土方役に佐藤慶。非常に完成度が高く、同年の芸術祭大賞を受賞した。

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内海の輪

【読む】
舞台設定とトリックが圧巻
「黒の様式」シリーズの第六話として発表された小説『霧笛の町』を改題したもの。考古学の新鋭と目される大学教授の江村宗三は、実兄の元妻であり、現在は二十歳も年上の男性と結婚して松山で洋品店を営む西田美奈子と十四年ぶりに再会。不倫の関係におちいる。やがて美奈子は宗三の子を身ごもるが、スキャンダルをおそれた宗三は、小旅行で出かけた蓬莱峡の山中で美奈子を殺害してしまう。しかし、美奈子の影は死後も宗三にとりつき、彼を精神的に疲弊させていく。そして……。舞台設定のみごとさとトリック崩しの手際のよさが光る一編。

【観る】
エゴイズムを超える一途な愛
『内海の輪』(1971/斎藤耕一監督)
身勝手な自己保身から犯罪に走る男の姿を冷徹に描いた原作とは異なり、この映画版では被害者である西田美奈子のドラマが中心となっている。江村の殺意を悟った美奈子が極限状態で見せる強さと、江村の弱さを対比し、男のエゴイズムが女の純粋な愛に敗北するさまを描こうとしているが、いささか消化不良で終わってしまった感は否めない。美奈子役の岩下志麻は、愛に生きる一途さのなかにときおり狂気をにじませ、好演。江村を演じる中尾彬の若々しさもいまとなっては見ものである。監督は、『旅の重さ』『津軽じょんがら節』の斎藤耕一。

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中央流沙

【読む】
リアルな結末に震撼せよ
官僚社会にうごめく悪、キャリアとノンキャリアの対立など普遍的なテーマを鋭く描く清張流ポリティカル・サスペンスの代表作。日本社会党の機関誌「社会新報」に連載された。中央省庁の汚職事件のさなか、通産省情報産業局の課長補佐・倉橋が出張先で自殺を遂げた。おなじく通産省で事務官をつとめる山田は、局長の岡村から事後処理を命じられるが、倉橋の死に疑問を抱いた彼は独自に調査を開始する。巨悪を前に、もはや為す術もないニヒリスティックな結末は、読む者にくらい影を落としながらも、現代の問題点を照射したリアルな迫力に満ちている。

【観る】
男たちを喰う中村玉緒の存在感

「中央流沙」(1975/和田勉演出)
原作の要素をぎゅっと凝縮し、欲得にまみれた人間たちのドロドロとした心理劇を、七〇分の短い時間で一気に見せる。当時、NHKの専属ディレクターとして、『天城越え』『ザ・商社(空の城)』『けものみち』(いずれもTVドラマ版)などを手がけた和田勉のクールな演出が冴える。山田役に川崎敬三、倉橋役に内藤武敏、岡村役に佐藤慶。それぞれに強烈な個性を放っているが、貞淑な妻であったのが夫の死をきっかけに妖艶な悪女へと変貌していく倉橋の妻を演じた中村玉緒が男優陣を喰う存在感。七六年度プラハ国際TV祭金賞を受賞している。

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波の塔

【読む】
多分に女性読者を意識した作品
一九五九年より「女性自身」に連載。発表媒体が女性誌ということもあって、サスペンス以上にメロドラマ的な要素が強く感じられる作品となっている。新米検事の小野木は、映画館で気分を害した頼子を家まで送りとどけたことをきっかけに、彼女と関係をもつようになる。頼子の夫は、国土産業省の大物・結城庸夫であり、頼子は結城に弱みを握られていることから、なかば強制的に結城と結婚させられたのだった。やがて結城は、財政界の極秘事項を売買していた容疑で追求されることに。なにも知らない担当検事の小野木は、結城の家を訪れる……。

【観る】
演技陣のアンサンブルを愉しむ

『波の塔』(1960/中村登監督)
原作よりもさらにメロドラマ的演出に重点がおかれ、社会派ドラマというより三角関係を軸とした恋愛ドラマとして見ごたえがある。監督は、『紀ノ川』『古都』など女性映画の名匠として知られる中村登。深大寺、横浜の山下公園、富士の樹海など原作に忠実なロケーションが情感をひきたてる。原作が小野木の立場に拠っているのにくらべ、映画版は頼子に感情移入できるようにつくられているのが特徴か。不幸な運命に翻弄される頼子役を、有馬稲子が繊細に演じている。小野木役は、当時二十歳の津川雅彦。結城役の南原宏治も濃密な演技で印象を残す。

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疑惑

【読む】
白か黒か? 真実は何処に――

富山の新港湾埠頭で自動車の墜落事故が起きる。乗っていたのは財閥の白河福太郎と彼をたぶらかして結婚した元ホステスの球磨子で、彼女だけが一命をとりとめた。球磨子は前科四犯で、白河にも三億円の保険金がかけられていたことから、警察は球磨子を保険金殺人の犯人と断定。国選弁護士の佐原はただ一人、綿密な調査にもとづき、球磨子の無実を証明しようとする。恣意的な報道によって曇らされた真実が少しずつ解き明かされていく過程をスリリングに描く。新聞記者の視点から、事態の進展を見据えようとする清張の語り口はじつに冷静だ。

【観る】
二大女優のぶつかりあいが見もの

『疑惑』(1982/野村芳太郎監督)
『砂の器』が大ヒットを記録した野村芳太郎監督による松竹清張シリーズの一作。原作からの最も大きな改変は、弁護士の佐原を女性に設定した点。これによって、女同士だからこそ生じる共感や確執がクローズアップされ、よりいっそう心理劇としての迫力が増した。球磨子を演じる桃井かおりのふてぶてしさ、佐原を演じる岩下志麻の貫禄、いずれも絶品。原作でストーリーテラーを担う記者はあくまで脇役に徹しているが、柄本明の不気味な存在感のせいで強い印象を残す。球磨子のヒモを演じた鹿賀丈史、白河を演じた仲谷昇ら、その他の配役も手堅い。

バージョンによって違う性別設定
『疑惑』は映像化される機会の多い清張作品だが、登場人物の性別はたびたび改変されている。映画版では佐原弁護士が女性に変更されているが、二〇〇九年一月にテレビ朝日で放送されたドラマ版では、記者が女性(室井滋)に変更されている。人物の関係性を大きく左右するこの改変はなかなか興味深い。

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けものみち

【読む】
地獄からのしあがる女の業

成沢民子は、脳軟化症を患い寝たきりとなった夫・寛次を支えるべく、割烹旅館で住み込みの女中として働いていた。しかし寛次は、美しい民子に対する猜疑心をつのらせ、彼女を罵倒する。そんなある日、旅館を訪れたホテル経営者の小滝章二郎から、いまの生活に終止符を打ち、成功者になりあがるための手助けをするとほのめかされた民子は、過失を装い寛次を焼死させる。それは「けものみち」への入口であった……。肉体を武器に地獄の淵からのしあがっていく女の業を描きながら、官僚、マスコミ、暴力団などの組織癒着にも鋭くメスを入れた大作。

【観る】
個性派ぞろいの男優陣に注目

「けものみち」(1982/和田勉演出)
NHKの和田勉演出による清張シリーズの一作。脚本はジェームス三木が手がけており、原作からの大きな改変はない。情念うずまく男女の愛憎劇として、過不足ない仕上がり。民子役を体当たりで熱演した名取裕子の魅力もさることながら、ニヒルな色気をただよわせる小滝役の山崎努、粘着的な好色爺ぶりを見せつける鬼頭役の西村晃、民子の美貌に溺れていく刑事役の伊東四朗、少ない出番ながら強烈な印象を残す成沢役の石橋蓮司らひとクセもふたクセもある男優陣が見もの。劇中でたびたび流れるムソルグスキーの「禿山の一夜」も効果的だ。

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霧の旗

【読む】
善とはなにか? 悪とはなにか?

九州の田舎町で、金貸しの老婆が殺される事件が起きた。被害者から金を借りていた中学教師の柳田が逮捕されるが、彼は無罪を主張。しかし、検察はおろか柳田の弁護人すら取り合おうとしない。柳田の妹・桐子は、敏腕弁護士として知られる大塚に弁護を依頼するが、すげなく断られてしまう。一年後、柳田は無実を訴えながら獄死。桐子の怨みは、兄を救おうとしなかった大塚へと向けられるのだった。可憐にして一途なヒロインが一転、復讐者と化すまでを、淡々と綴る清張の筆致は鳥肌もの。犯罪の理不尽さを描いた、清張渾身の長篇である。

【観る】
女の執念を冷徹に見据える

『霧の旗』(1965/山田洋次監督)
松竹が製作した『霧の旗』最初の映像化。のちに『男はつらいよ』シリーズで国民的映画監督となる山田洋次の初期作品であり、人情喜劇を得意とする彼のフィルモグラフィーにあって、人間の悪を冷徹に見つめた本作はきわめて異色である。山田組の常連で、快活なイメージの強い倍賞千恵子が、桐子役を冷たい表情で演じきっている。また、大塚弁護士に扮する滝沢修の、貫禄と人間的弱さをあわせもった存在感も忘れがたい。桐子がライターを海に投げ捨てるラストシーンは映画独自のもの。吹っ切れたような桐子の笑顔が印象に残る。

アイドル女優の衝撃的な変貌
『霧の旗』の柳田桐子は、清張作品のヒロインのなかでも、とりわけ複雑な心情を抱える女性である。一九七七年の映画版では、山口百恵が桐子に扮し、アイドルを超越した鬼気迫る演技を披露している。倍賞千恵子といい、国民的アイドル女優の張り付くような表情は、なんとも迫力があって恐い。

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