泣きながら笑うということ

 「だいじょうぶ I'M ALL RIGHT」「KANのChristmas Song」「牛乳飲んでギュー」「Songwriter」「秋、多摩川にて」など、KANにはビリー・ジョエルの詞曲、歌唱法を彼なりに咀嚼し、アレンジした曲がいくつもある。
 その集大成というべき一曲が「愛は勝つ」と同じ1990年のアルバム「野球選手が夢だった。」に収録されている「1989(A Ballade of Bobby & Olivia)」だ。

1989(A Ballade of Bobby & Olivia)
http://www.youtube.com/watch?v=7DEXfMD0Jq0

 聴けばわかるが、この曲は、詞のフレーズも、現在(スローバラッド)→過去(アップテンポ)→現在(スローバラッド)というメロディの構成もビリー・ジョエルの「イタリアン・レストランで」をあからさまに参考にしている。

イタリアン・レストランで
http://www.youtube.com/watch?v=TyFW2c7a27c

 しかし、ベースにあるのはKANの実体験であり、過去のパートで唄われるボビーとオリヴィアの恋愛は多分に寓話的な色合いを帯びている。
 <歌詞は9割がた事実に基づいていると解釈してもらってかまわない。それだけにライブでは感情が強くこもる>(『ぼけつバリほり』ワニブックス)とKANは書いているが、90年代半ばのステージを最後に10年以上、この曲はライブで演奏されることがなかった。つまり、「封印」されていた。リンクした動画は、2009年のライブでようやく「解禁」されたときのものである。

 なぜ10年ものあいだ、この曲は封印されたのだろうか。
 この間の1999年にKANは結婚しているが、ヴァイオリニストである夫人は97年のライブに演奏者として参加しており、おそらくはこの前後に2人の交際が始まったのではないかと推察される。つまり、「1989」が封印された時期と重なるのである。
 ミュージシャンには、その時々の自身の感情に沿って、唄える曲・唄えない曲があるものだが、KANもご多分に漏れず、「いまの自分にはこの曲は唄えない」と特定の楽曲を封印してしまうことがある。たとえば、好きな女性に想いを打ち明けられずにいる男心を唄った初期の名曲「言えずのI LOVE YOU」などは、「もうあの頃の感情には戻れない」という理由で長いあいだ封印されていた(数年前に解禁済み)。
 おそらくは「1989」の封印にもなんらかの事情があり、そして解禁に至った背景にもある感情の変化があったはずだ。

 かつての恋人と久しぶりに会話を交わし、胸に迫るものを感じながら、「思い出はあのままのほうがいい」と再会を拒む男の一人語りは、彼女に対する以下のような投げかけによって幕を閉じる。

 だけどいま愛してる人をちゃんとつかまえてなくちゃ
 今日が僕の誕生日でも電話してきちゃだめさ
 最近は僕もずっと好きな人がいる いいこだよ
 いつも本気だよ でも振り向いてくれなくて
 Oh 僕らしいだろ
 Oh It is 1989

 とここまで書きながら、「愛は勝つ」が予期せぬ大ヒットを飛ばしたその翌年、「どんなときも。」という曲で世間に存在を認知され、この2曲の表面的なイメージだけでKANと比較されることも多かった槇原敬之の、ある曲が頭に浮かんだ。
 槇原もまたJ-POPの天才であり、ヒット曲にも基本はずれがないが、1997年のアルバム「Such a Lovely Place」に収録された「うたたね」は、個人的に最も好きな一曲だ。

うたたね
http://www.youtube.com/watch?v=gdmJ_896HWU

 うたたねをする「僕」が思い出す初恋の記憶。その初恋相手がやがて別の「いいひと」を見つけて一緒に店を始め、「僕」はたばこを買う客として彼女との出会いをやり直す。
 それこそ歌い手や聴き手の感情次第では、悲しくてやりきれない状況であろう。
 しかしこの曲は、主人公の現在を語る以下のような言葉で閉じられる。

 僕を揺り起こすやさしい声
 気がつけば膝にかかった毛布
 夕げのにおいは僕に教える
 ここが君のLovely Place
 それは紛れもなく僕の愛する毎日

 過去を思いながらいまを生きることは、泣きながら笑うということに等しい。

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Toru Sano

雑文書き、編集業。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)、『昭和・平成お色気番組グラフィティ』(河出書房新社)、文藝別冊『タモリ』『クリント・イーストウッド』(同)等。
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