東京レトロ地下街案内

銀座シネパトスと三原橋地下街
 銀座晴海通りの三原橋地下街にある映画館、銀座シネパトスが2013年3月31日をもって閉館する(つまり、このムックが刊行される頃には、すでに閉館しているわけだ)。
 往時の名画座の面影を残す映画館としてコアなファンを獲得していたシネパトス。名画座というと甘美なノスタルジーとともに語られることが多いが、その実態は小便の匂いがたちこめ、ネズミがうろつき回るような小汚い空間であることが多い。
 シネパトスも例にもれず(2003年の改装後はかなり小綺麗になったが)、その特徴のひとつに「天然サラウンドシステム」があった。建物のすぐ下を地下鉄銀座線が走っているため、数分に1回の割合で観客の足もとを電車が走りぬけ、そのたびに轟音と震動が巻き起こるのだ。
 そんなシネパトスの雄姿を目に焼き付けようと、閉館まであと1ヶ月となった3月の土曜日の昼下がり、三原橋地下街を訪れた。
 スクリーンには、同館の特集上映企画のコーディネートなども手がけていた映画評論家の樋口尚文氏が初監督を務める『インターミッション』、そして壇蜜主演のソフトコアポルノ(傑作!)『私の奴隷になりなさい ディレクターズ・カット』が最後の上映作品としてかかっている。劇場前には、大きなホワイトボードが設置され、シネパトスの閉館を惜しむ声が寄せられていた。
 三十間掘川を埋め立てた三原橋に地下街ができたのは昭和27(1952)年。シネパトスのある場所にはもともとパチンコ屋が入居しており、その後、銀座地球座と銀座名画座という2つの名画座がつくられた。これを大手映画館チェーンのヒューマックスシネマが1989年に統合、地球座を分割して3スクリーン体制とし、銀座シネパトスとして営業を始めた。
 映画館の対面には、かつてはアダルトグッズの店などがあり、より淫靡な雰囲気をただよわせていたが、現在は大衆食堂やおでん屋が数軒営業を続けるのみである。
 シネパトス閉館は、この三原橋地下街が耐久性の問題で取り壊されることになり、都から立ち退き命令が下されたためだ。堅牢なはずの地下街が本当にいますぐ取り壊さなければならないほどの状態なのか疑問は残る。三原橋を渡った東銀座駅前の歌舞伎座は着々と建て替え工事が進んでいるが、その完成図を見るたびにげんなりしてしまう。以前、松本幸四郎が「東京もいい感じになってきましたねえ」などとつぶやく大手ゼネコンのCMがTVで流れていたが、筆者には全体のグランドデザインを欠いたまちこわしにしか思えない。
 とまれ、この日はシネパトス向かいの食堂三原でとんかつ定食を食べながら、シネパトスと地下街に別れを告げた。店内はにぎわっていたけれど、それが皆、地下街の閉鎖を惜しむ人たちの集まりだと思うと、少し寂しい気持ちにもなった。

浅草地下街の誘惑
 雷門からスカイツリー方面へ向かう人の流れをかき分け、松屋銀座前の怪しげな階段を降りていくと、そこには数十年前から時間がとまってしまったかのような世界が広がっている。この浅草地下街は、戦後まもない昭和28(1953)年にできた日本でも最古の部類に入る商店街だ。
 昼間から気兼ねなく酒が飲める居酒屋はもちろん、立ち食いそば、寿司屋、タイ料理店、占い、整体、700円の理容店などが軒を連ねる。
 銀座線改札のすぐ脇に、中古DVDを激安販売しているディスカウントショップがあり、筆者も浅草に来た際は必ず立ち寄るようにしている。この日は怪しげな廉価DVDメーカーから出ている田中小実昌原作、武田一成監督のにっかつロマンポルノ『おんなの細道 濡れた海峡』を購入。
 小腹がすいたので、向かいの「福ちゃん」に入り、カレーソース焼そばを注文する。カレー風味の焼そばではなく、普通の焼そばの上にカレールーをかけただけという代物。マイナー牛丼チェーン丼太郎のキムチ納豆丼(白飯にキムチと納豆をぶっかけただけ)に匹敵するB級グルメだが、旨いのだから仕方ない。隣のカウンター席では、破けたジーパンに革ジャンを羽織った芹明香チックな姐さんがラーメンをすすっていた。

変貌を遂げた上野の地下街
 浅草の隣町・上野では、ここ最近また開発という名のまちこわしが進行している。公園口の西郷会館が取り壊された跡地に上野3153というガラス張りの商業ビルが建ったかと思えば、その隣の上野松竹デパートも解体されてしまった。松竹デパートの上野セントラルで映画を観たあと、地下にあった「上野古書のまち」に立ち寄り、エロ本やエロDVDの山のなかからシブい古本を見つけ出す(英米文学系が特に充実していた)愉しみも失われてしまった。
 駅から続く地下街もすっかり様変わりした。銀座線改札を出た目の前には東京メトロが運営する小規模地下街エチカフィット上野があるが、ここが事実上、日本で最も古い地下街であることを知る人はもはや少数だろう。エチカフィットの前身は、昭和5(1930)年に創業した上野駅地下鉄ストアであり、沿線の神田や銀座にも系列の商店街があったが、現在はすべて閉鎖されている。
 また、JR上野駅の不忍口から銀座線へ続く地下道には、かつて上野駅地下飲食街があり、2000年代の初めまでは数軒の居酒屋や洋食屋が営業を続けていたが、2003年ごろに一掃されてしまった。
 そんななかで、唯一残されたディープな地下街というと、アメ横の地下食品街が挙げられよう。細長い通路の両脇にアジア諸国の珍しい食材が並び、まるで中国や香港の商店街に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
(『潜入!TOKYO地下ダンジョン』宝島社)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

Toru Sano

雑文書き、編集業。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)、『昭和・平成お色気番組グラフィティ』(河出書房新社)、文藝別冊『タモリ』『クリント・イーストウッド』(同)等。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。