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令和日本紀行 -6: 羽後国(秋田)の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。第6回は、東北の中でも独特の文化を育んできた秋田を数回訪れて感じたことを書きます。

羽後国は、現在の秋田県と凡そ一致するが、実は明治維新直後に、戊辰戦争に敗れた奥羽越列藩同盟の諸藩に対する処分の結果、出羽国が羽前国(ほぼ山形県)と羽後国(ほぼ秋田県)に分割されたものだ。
このため、本稿ではこの地域を「秋田」と呼ぶ。

関西出身の私には、秋田出身の友人は多くはない。少年の頃には、アイドルの桜田淳子や水泳の長崎宏子のような美少女の国のイメージだったが、大人になってから、真摯に物事を考え、地道に努力して、大事を成す方々が多いことを知った。
流通楽座会でお近づきになれた遠藤八郎氏は、物流業界のIT化を牽引するロジザード株式会社の創始者。今は、同社を後継者に任せて、秋田での小水力発電の実現に尽力されている。個人的に敬愛させていただいている。先月、アラビア石油を創業した山下太郎氏と故郷が同じと仰っていた。スケールの大きい県民性と思う。

秋田空港からレンタカーを借りて訪れるとすれば、まず角館だ。
戦国時代に戸沢氏の本拠地であった角館は、関ヶ原の合戦後に佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となってから、佐竹義宣の実弟にあたる蘆名義勝の所預となった。
武家屋敷の街並みが美しい。また、新潮社創設者である佐藤義亮がこの地の出身であったことから、新潮社記念文学館がある。平福百穂、田口掬汀の作品等が紹介されている。

武家屋敷は、秋田県指定史跡となっている。雪が残る時期に訪れたので、防雪の板がはってある。

角館から北東方向に向かい田沢湖に到着。最大深度は423.4mで日本第1位の湖だ。かつては、固有種のクニマスが獲れたが、1940年、食糧増産と電源開発計画のために、近くを流れる玉川から強酸性の源泉を引き入れため、ほとんどの魚が姿を消した。美しい静かな光景とともに、寂寥を感じる湖だ。

季節外れの田沢湖畔、人は全くいない。

秋田には、火山帯があり、国内屈指の温泉が点在する。有名な乳頭温泉への宿泊は予約で一杯(コロナ渦)だったが、日帰り入浴を楽しめた。混浴だが、肩から下を乳白色の湯沈めれば、裸体は見えない。強い硫黄臭に慣れれば、家族連れでも楽しめるだろう。

秘境・乳頭温泉

更に、東に向かうと岩手県境。鉄道が整備されるまでは、この近辺の在住者は、盛岡まで数日間かけて徒歩で移動したらしい。

秋田市に戻り、きりたんぽ鍋や地酒を味わい宿泊し、翌日、男鹿半島に行くのもよい。日本海のダイナミックな光景を観つつ、ゴジラ岩を鑑賞。
伝統行事の男鹿のなまはげは、昔は1月15日の小正月だったが、現代では毎年大晦日に行われている。なまはげ館では、毎日、実演を観ることができる。

男鹿半島に海岸にある奇岩(ゴジラ岩)

他方、秋田市から南東に向かい、横手市の増田町を訪れるのもよい。土蔵が家屋の中にある「内蔵」の町として栄え、JR東日本「大人の休日俱楽部」のポスターとして吉永小百合が登場したことで有名。近くには、「釣りキチ三平」作者の矢口高雄にちなんだ横手市増田まんが美術館があり、愛好家にとっての聖地となっている。

JR「大人の休日俱楽部」のための吉永小百合のCM・ポスターの背景となった増田の内倉

秋田は、国内有数の観光地であるが、江戸時代から明治時代中期までは、北前船の寄港地として大いに栄えた。また、豊かな鉱物資源を基にした銅鉱山などの産業が興った。秋田大学鉱業博物館は一見の価値がある。

秋田大学鉱業博物館での鉱物の標本展示

近年、秋田県の副知事の一人として、5代連続で経済産業省の技官が出向し、観光や地場産業の振興に取り組んでいたが、2021年から県職員出身者が副知事(2名)を務めている。
日本の少子・高齢化が進む中、秋田は過疎問題などの課題に早くから直面し危機感を有していた。国際教養大学の設置などのユニークな取組が注目されてきた。
「デジタル田園都市国家構想」においても、秋田発DXフォーラムデジタル化を推進している。是非、地域経済の復興の成功例となってほしいと思う。
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