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令和日本紀行 -12: 陸奥国(青森県南部地方)の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。今回は、陸奥国のうち最北に位置する青森県南部地方について書きます。上の写真は、陸奥湾に建てられている「ホタテ観音」から観た夕陽です。

陸奥国は、令制国としては、現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と秋田県の一部に当たる広大な国であった。「古事記」では「道奥」、「日本書紀」では「陸奥」と表記されていたが、どちらも「みちのおく」と呼ばれ、都より遠い奥の国と認識されていたようだ。明治維新の戊辰戦争後の処分として、陸奥国と出羽国は、5つの国に再編され、陸奥国は、現在の青森県に岩手県西北の二戸郡を加えた範囲とされた。

近年、私は青森県に一人旅する機会に恵まれ、三沢空港等を起点とするレンタカーでの周遊を楽しんでいる。
三沢市、八戸市、おいらせ町、下北半島等から構成される地域は、江戸時代に南部氏によって治められた歴史のため、南部地方 (青森県)と呼ばれている。
厳しい自然と耕作に適さない土地は、江戸時代までは、馬の放牧地として活用されるくらいであった。とりわけ、現在の三沢市にある小川原湖周辺に吹く「やませ」は深刻な冷害をもたらしてきた。
戊辰戦争で敗れた会津藩士とその家族は、斗南藩を設立することを許され、この地に移住してきたが、厳しい気候と風土に辛酸を舐めた。
旧斗南藩士の廣澤安任は、牧場経営に取り組み、富国強兵のための軍馬の放牧を事業化した。また、酪農による牛乳を東京の新宿で販売した。その足跡は、三沢市先人記念館で見学できる。 
なお、その近くにある寺山修司記念館と青森県立三沢航空科学館もお勧めである。

先人記念館における斗南藩士達の苦労を示す展示

第2次世界大戦後、この地域は、むつ小川原と呼ばれて、国策上、重要な位置付けが与えられた。
自衛隊の基地と日米安全保障条約に基づく米軍駐留、そしてエネルギー政策の拠点である。

米軍が駐留する三沢市の北に位置する六ヶ所村は、原子燃料サイクルの中心となる再処理工場を運営する日本原燃株式会社がある。六ヶ所原燃PRセンターにより、その普及啓発に務めている。実は、私の大学時代の友人が、同社の再処理事業の責任者を務めているのだが、小さな事故も決して許されず、厳しい仕事であろうと推察する。

日本原燃株式会社の再処理工場

下北半島の中心にあるむつ市の名称は、陸奥国からとったと思われるが、原子力船「むつ」の母港の場所として有名になった。むつ科学技術館を訪問すれば、解体された「むつ」の原子炉の実物を見学できる。

「むつ」の原子炉容器模型

都から遠い地の果ての国は、日本の安全保障の基地及びエネルギー政策の拠点として、日本人を守ってくれているのである。
最後に、美しい陸奥国の象徴として、海上自衛隊大湊基地の付近で見かけた、オオハクチョウの写真を掲載しておく。

陸奥湾のオオハクチョウの群れ


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