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令和日本紀行 -8: 伊予国の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。第8回は、サイバーセキュリティシンポジウム道後(SEC道後)の開催地である愛媛県松山市周辺を、プライベートも含めて、数回訪れて感じたことを書きます。

伊予国と現在の愛媛県は、ほぼ一致する。
「伊予」の語源は諸説があるが、道後温泉の「ゆ(湯)」から転訛した?豊富な湧水が「いゆ」と呼ばれていた?国造り神話において淡路島の次に作られた四国を指す「伊予の二名之島」から採られた?など。

いずれにせよ、伊予国は、四国の中でも古くから栄えた地域であったようだ。愛媛県の人口は130万人以上であり、他の3県の人口よりもかなり多い。瀬戸内海での海運業、温暖な気候の下での農業など、地域資源に恵まれてきた。近世以降は、新居浜の別子銅山から興った住友財閥による大規模な工業地帯が発展した。

平安時代に藤原純友に支配された後、鎌倉時代以降は河野氏、村上氏が勢力を誇った。現在の松山市を拠点とした河野氏は、羽柴秀吉による四国征伐によって滅ぼされた。河野氏の湯築城は破壊され、現在の道後公園となっている。

ところで、私の大学時代の友人には、愛媛県人がとても多かった。京大オケで1st Violinに河野姓の奏者がいたが、彼女は伊予国を治めた河野氏の末裔だったのかも知れない。古代豪族だった越智という姓の友人もいた。旧家が多く、保守的な政治風土だが、時代の流れに巧みに対応して、経済成長を遂げてきた地域だと思う。

さて、伊予国の中央部(中予)の最大都市、松山の名所は、何といっても道後温泉である。
サイバーセキュリティシンポジウム道後(SEC)の会場の松山市立子規記念博物館から徒歩10分で温泉に浸かることができる。温泉系セキュリティシンポジウムとしては、南紀白浜、越後湯沢に次ぐ三男坊だが、温泉の知名度では一位ではないだろうか。
今年は6月29日及び30日に開催されるが、私は米国出張のため参加できないので、優秀な部下(愛媛県八幡浜市出身)を派遣する予定だ。

道後温泉は、日本三古湯の一つであり万葉集でも歌われてる

次に訪れるべき場所は、松山城。関ケ原の戦いの後、豊臣秀吉子飼いの加藤嘉明が建設した。江戸時代には蒲生氏が一時的に城主となったが、ほぼ久松松平家が藩主となり安定した政治を行った。

松山城の天守閣は、現存する12の天守の一つ

久松松平家の祖は久松長家。徳川家康を産んだ於大の方の再婚相手。大河ドラマでは、リリー・フランキーが演じている。長家の3人の息子(家康の異母弟)に松平姓が与えられた。
子孫は明治維新以降も繁栄し、第15代の久松定謨(さだこと)は、陸軍武官として長く欧州に駐在し、退役後、萬翠荘を建築した。歴史愛好家は是非訪問すべき場所だ。司馬遼󠄁太郎の小説にちなんだ、坂の上の雲ミュージアムも至近距離にある。

久松家の純フランス風の別邸・萬翠荘

松山からJR四国で南に向かうと、南予の中核都市の宇和島に着く。
伊達政宗の庶長子の伊達秀宗を祖とする宇和島藩が置かれた。幕末の四賢侯の一人となった伊達宗城(むねなり)は、明治維新において活躍した。

宇和島市街の眺望

宇和島は、九州に近い交通の要所として、そして漁業で、栄えていたが、現在の産業の状況は芳しくない。歴史資産と名物の鯛めしで復活することを祈念する。

宇和島名物の鯛めしは、近海で獲れた真鯛の刺身を卵、醤油、出汁を混ぜたタレにつけてご飯にのせて食べる

愛媛県の経済規模は、四国で最も大きく、しまなみ海道による広島県とのつながりもあることから、今後も発展が期待できそうだが、東予、中予及び南予の3つの地域の間で微妙な違いがあるようだ。また、四国の他の3県との連携にも課題があるだろう。

総務省テレコム部局の地方支分部局である四国総合通信局がある利点を生かしつつ、サイバーセキュリティシンポジウム道後(SEC)等を核として、四国全体のデジタル化及び地域活性化に寄与してほしいと思う。

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