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令和日本紀行 -1: 加賀国の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、新たに記録することにしました。加賀国(石川県金沢市周辺)を取り上げます。

金沢は、私の叔母が旧家に嫁入りした街。中学生の頃遊びに行ったり、親戚一同で加賀温泉郷に行ったり、大学オケで遠征したり、そして行政官として中部地域の経済産業政策を担当した際の北陸最大の都市として縁がある。
令和5年4月、金沢及び周辺の自然と歴史を改めて感じるため、白山地域、小松地域、加賀市等を周遊した。

まず、自動車で白山方面に移動すると、この地域が典型的な扇状地であることに気づく。手取川が白山連峰から肥沃な土砂を日本海に向けて運び、沖積平野を形成した。手取川は、石川の通称で呼ばれた時代もあり、郡名(石川郡)及び県名の由来となった。

白山観光の最初の名所は、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。白山を神体山として祀る加賀国一宮であり、全国に2,000社以上ある白山神社の総本社だ。東京都文京区の白山神社は、この神社を天暦年間に勧請(かんじょう)したもの。ちなみに、白山は、富士山及び立山と並ぶ日本三名山の一つであり、白山修験の霊山として栄えた。

次の名所は、白山市白峰。山々に囲まれた豪雪地帯で、重要伝統的建造物群保存地区がある。家屋が積雪の横からの圧力で潰されないよう、様々な工夫が凝らされている。食べ物は、保存食としての堅豆腐と栃餅がお勧め。

白山からの帰り道には、「一向一揆歴史館」にて、蓮如上人の越前吉崎での活躍から、本願寺教団(一向宗 )の信徒と織田信長との戦いまでを学んだ。加賀国には、今の金沢にあった尾山御坊による一向宗徒による国が存在していた。しかし、手取川を超えて侵略してきた柴田勝家、佐久間盛政らにより、加賀一向一揆は壊滅し、鳥越城を本拠とする鈴木出羽守が率いる山内衆が最後の抵抗を示した。

金沢平野に戻り、小松市、加賀市等を散策。那谷寺(なたでら)は、千手観世音菩薩像を本尊とする高野山真言宗別格本山。その大規模かつワイルドな光景には感動した。奇岩遊仙境を巡り、その幽玄な光景は素晴らしい。松尾芭蕉が、この地を訪れ「奥の細道」で詠んだ俳句の句碑「石山の 石より白し 秋の風 芭蕉」も風流だ。

加賀市は温泉郷として有名だが、企業立地に積極的であり、自動車部品や電子回路の工場が集積している。最近は「デジタル田園健康特区(仮称)」にも指定されている。
ただ、今回は、時間の関係もあり、北前船の寄港地として発展した加賀橋立を訪問した。江戸時代から明治中期まで瀬戸内、日本海、北海道を舞台に活躍した北前船の主たちが、豪邸を建て、冬場に加賀温泉郷で湯治をしていた歴史は大層面白い。

旅の終わりには、片山津温泉付近から白山を眺め、源義経、弁慶の逃避行を描いた「勧進帳」で有名な安宅の関から日本海を望む。これにて、第1回令和日本紀行は終了。

今後も、日本各地への旅行で感じたことを紀行文として、記していきたい。

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。元正天皇の霊亀2年(716年)に安久濤の森に遷座して社殿堂塔が造立されたと伝わる。(Wikipediaより)
白山市白峰の重要伝統的建造物群保存地区の民家。出入口が二階にあり、出窓が屋根上にある。厳寒期にはそれらから出入りするのであろう。
那谷寺(なたでら)の奇岩遊仙境を展望。自然の造作の近くに稲荷神社が祀られている。
北前船の里の資料館に陳列された模型。一枚板の下は、地獄だ。
片山津温泉がある柴山潟から遠望する白山。
安宅の関の海岸から日本海を望む。そして、荒々しい白波を観つつ、この国の歴史に思いを馳せる。

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