芝浜蒲田

トクトクトクトク・・・。
男はリビングでいつものように酒を飲んでいた。
テレビドラマを見て、役者の演技にケチをつけている。

「もう寝なくて大丈夫?明日千秋楽でしょ?」
心配そうに声をかけたのは妻の佳恵。
男の名前はヤス。売れない舞台俳優だ。


翌日、ヤスは舞台に向かった。10分ほどの遅刻。
「電車が数分駅で止まった」というのはいい訳だ。
昨日の酒が少し残っているが、このくらいで演技に影響は出ない。
舞台は小さいし動きは大体頭に入っている。
無事に千秋楽が終わった。主役の青木のおかげで全公演満員だった。
この舞台を記憶に止めようと、裏へとポツポツ歩いていく。
角を曲がったところで、奥の方に何か紙切れを見つけた。

・・・宝くじだ。
スマホで調べてみる。1等が当たっている。7000万円。
周りを一瞥し、誰もいないことを確認すると、
ヤスはすぐさま宝くじをポケットに押し込んだ。

「宝くじが当たった!!」と、すぐさま家に帰り佳恵に伝える。
その夜、地元の友人を呼んで宅飲みが始まった。
酒やらつまみやら、いままで買ったことがないほど大量に買い込み、エンドレスでの大騒ぎ。

そのまた翌日。
さすがに頭がいたいヤス。
「いいかげんにして。マジメに仕事してよ。
 だから売れないんじゃないのいつまでたっても」

売れない。一番聞きたくない言葉だ。
しかも一番言われたくない相手。
長年役者仲間だった青木は、この間ちょっとだけ出られたテレビドラマを
きっかけにブレイクした。最近酒の量が増えいているなと自覚はしていたが、その頃からかもしれない。

さすがに腹が立ったが、それ以上に頭がいたい。
「いいじゃねぇか。宝くじ当たったんだぜ。
 しばらく遊んだって大丈夫だ。旅行でも行かないか?」
「・・・宝くじ?なんのことよ」
「ほら、昨日持ってきたろ」
「だから、なによそれ」
「あるだろ?」
「ないわよ。もうあなた、夢でも見たんじゃないの。ばかねぇ売れないからって夢みたいな夢見て。ほんと情けない」

「佳恵さんのいう通りだよヤス。お前もうちょっと真剣に舞台に取り組んだら?」
昨夜うちに泊まった青木が続けた。
「次の公演、決まってないなら俺と一緒に来いよ。確か募集している役がある。酒を断つというなら紹介してやる。佳恵さんのためだ」
「あぁ・・・わかったよ!やめる。やめてマジメに役者やる」
苦虫を潰すようにヤスは答えた。

それからしばらく、青木に仕事をもらう日々が続いた。
妻にボロクソに言われ、おまけに青木に情けをかけられた。
悔しいというより、意地のようなものが、ヤスの心を燃やし続けた。

青木がきっかけだったが、
演技にはそれまで以上に没頭できた。
いままでにない演技の世界が見えてきたという感覚もあった。

手の震えが止まらない。そうか、武者震いだ。
舞台で描く世界が本物のように目の前に広がる。そうかここまで役に入り込むことができるようになったのか。

いままでにないほど自信がついた。いよいよ本番は明日。
ヤスの役者人生最大の大役が待っている。もちろん、主役は青木だが。

殺陣のシーンが始まる。突然、目の前に世界が広がった。
広大な草原。関ヶ原か。
ひらひらと紙切れのようなものが舞っている。思わず追いかける。ここはアドリブだ。紙切れを手に取る。宝くじだ。殺陣のシーンで宝くじを拾う。なんて不思議な舞台だろう。でも、俺が感じている世界がこれだ。

・・・ガタガタッ!
突然足を踏み外した。眼下には、ガケだ。いや違う。大階段だ。転げ落ちそうになっている。階段の上では、青木が憐れむようにこちらを見ている。

手が震える。武者震いじゃない。力が入らない。もうだめだ。気づいた時にはもう遅い。俺はスターにはなれやしない。心も体も、もうボロボロだ。

「青木・・・かっこいいなぁ」

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