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一歩踏み出す方向を勇気持って変えることで、その先の人生が大きく変わっていく!!

今から遙か昔・・・、
私は大学の4年間を工学部で学び、卒業後の進路を決めようとしていた。
私を含む研究室の仲間は皆一様に、大学院への進学か就職か、就職するなら企業か公務員かを選択する・・・、それが決められた暗黙の人生を歩む方向だから。
公務員なら技系、企業ならメーカーの技術職を目指すというのが我々工学部出身学生にとっての既定の就職路線だった。
だから私が指導教官や仲間に「僕は食品メーカーに就職しようと思う」と伝えた時、研究室全体が失笑に包まれたのだった。

指導教官は企業との繋がりの中で求人を得てきている関係からか、
「こんなに良い条件のメーカーから余りある求人が来ているのに・・何で?」
「食品会社じゃ学部での学びが生かせないじゃ無いか!」
「君の成績なら無条件で大学院進学も可能だから進学するのも良いのではないかな」
など、私の進路を既定路線に戻そうと必死に私を説得する。

仲間は一応に、
「都坂さあ、食品業界は給料安いんだぞ」
「学部の先輩なんかも食品業界には居ないから入社後の人間関係とか苦労するぞ」
「企業への就職より安定した公務員を目指すのも良いぞ」
など、自分達が決めようとしている既定路線を肯定し私の路線変更をたしなめる。

私は5歳の時に父を亡くしてから母親の女手一つで育てられてきた。
収入少ない事が食費の節約に通じ、
濃い味付けの鶏皮や豚のバラ肉などの安い食材の料理を
少量おかずにしてご飯をかき込んで育った。

だから食に飢えていた。
だから食が好きだった。
だから食に囲まれて働きたかった。

そんなわけで私は指導教官や仲間からは一線を画し、既定路線とは違う方向へ一歩踏み出すことにした。
当時はインターネットなんて皆無な時代だから、就職情報誌を読みあさり就職先候補を探した。
ハム、調味料、惣菜、飲料、練り製品・・・様々な食品メーカーの案内を読む毎にどのメーカーからも食品の香りを感じ、それだけで腹が鳴ったのを今でも記憶している。
結局、記憶定かでは無いが「魚肉タンパク、ウェストサイズ・・」といったキャッチコピーに吸い込まれ、練り製品メーカーに就職を決めたのだった。

入社後配属されたのはものの見事に蒲鉾を作る工場だった。
勤め始めれば確かに給与は安く、休日はシフト制の週1日で日曜日に休めることは先ず無かった。
恐らくこの様子を見れば既定路線を歩んでいた仲間達は、「それ見たことか」と言ったに違いない。
でも私は来る日も来る日も「食」に囲まれて幸せだった。
恐らくこんな幸せは、既定路線でメーカーに就職して設計図や実験機器や機械などに囲まれた職場では得られなかったハズだ。
21歳の時のあの一歩をちょっと違う方向に踏み出した事で
思いもよらぬ方向へ向かう人生の歩みが始まった。

以来、要所要所で一歩踏み出す方向性を変えながら、思いもよらなかった人生を今まで歩んで来ているように思う。
入社後3年目の時にその会社で初となる国内留学制度に一歩踏み出して、私のバイオ研究者としての歩みが始まった・・・。
業務をこなしながらの博士号取得はムリ!と言う周囲の反対を押し切って博士号の取得に歩みを進めて、入社後15年後にして博士号を取得するに至った・・・。
就職した会社での地位も安泰で前途洋々だったのに、退職して独立して事業を行う方向に周囲の反対をよそに、歩みを進めて早くも24年が経とうとしている・・・。

既定路線を一歩一歩確実に歩んでいたら決して歩めなかった道のりだ。
工学部出身で食品会社に就職するのを誰が想像できただろうか。
会社から大学へ派遣されてバイオ分野の研究者となるのを誰が想像できただろうか。
ただ「食」がスキだっただけなのに博士号を取得するに至るのを誰が想像できただろうか。
会社内での存在が大きくなっていたのに退職して事業を始めるなんて誰が想像できただろうか。

時は流れて私は今年65歳を迎える。
既定路線で踏み出す明日からの一歩なら、余生を楽しんで暮らす方向へ踏み出すのだろうが、私はあの21歳の時と同じようにちょっと違う方向へ踏み出そうとしている。
一歩一歩の積み重ねが人生の歩みとなるが、たかが一歩されど一歩だ。
方向をちょっと変えた一歩踏み出したその先の人生が、どんな展開になっていくのか想像するだけで胸が高鳴るのである。

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