人に写真を観てもらう意味や目的について
こんばんは。トサノコージです。
今日は雨風がひどいですね。
先ほど軽くスナップのために近所をうろついたのですが、雨のせいで片手でカメラを構えないといけないので、手が凍えてツラかったです。
寒い。
外を歩いていて、「これは長くはもたないな」と思いました。
人に見せ得る写真とは何なのか
さて、数日前にX で拝見した飾屋さんのこの投稿がずっと頭の片隅に残っています。
なるほど。
僕はmixi (懐かしい) のころからSNS をずっとやってきていて、本格的な写真アカウントを始めたのは昨年頭からなのですが、とにかく昔はずっと無目的に写真を投稿していました。
それこそ、写真になんて興味のマイミク(懐かしすぎる) たちに日常のスナップや風景の写真を強制的に見せつけていた感じです。
望まれてもないのに
それから、twitter やfacebook、instagram なんてのも「黒船がやってきた」なんて出現の度に言われ続け、気づけばもう20年近く経ってるのですが、都度、自分も軽く齧っては写真を中心に投稿し続けていました。
まあ、ここ最近になって
「求められていない場で、求められていないことをするのはやめよう」
と思い至り、写真投稿はX の専用アカウントで新しく始めたわけですが…。
で、前述の飾屋さんの投稿をみて、思うことが少し。
有用性について
SNSに投稿するにはなにか目的や意味があって、それに合わせて写真も選ぶという感覚。
喜ばれないなら、やらない。
対象がマイミクではなくなっても、それは変わらない。
が、自信満々で投稿できる写真がいつも撮れるわけでなく、
僕もいつも
「見て見て! こんな写真撮れたよ!! 良くない? 最高でしょ!!??」
といったノリで投稿できているわけではなく
「こんなん撮れましたけど、どないでしょ…?」
ぐらいのテンションです。
なんなら、写真の組み方やキャプションで撮れ高の不足さを誤魔化しているぐらいです
そう、人様のライムラインにお邪魔する故、その「有用性」についてはいつも自問自答しているのです。
その点では、さすが飾屋さん。相当にSNS に投稿する写真に対して自分で高いハードルを設置しているのだと思います。
普段の写真を見ていたら一目瞭然です。
対して「自分は、SNSに登場しても意味のある写真が撮れているか?」
たまに、考えてしまいます。
そもそもの写真を撮る意味
まあ、前述の投稿について自分なりにアレヤコレヤと考えながらも、結局は変わらず毎日写真を撮り、投稿し続けています。
そして自分はSNSは軽いコミュニケーションツールだと思っているので、深く考えすぎないようにもしています。
そして、そこに投稿する写真たちについては、コミュニケーションツールの中の言語代わりだとも思っています。
先日お伝えしたように、ありがたくもX のフォロアーさんが3000名になったのですが、多くは自分の写真に共感、興味をもってくださった人たちだと思うのです。
そ、そうですよね…?
なので、こんなタイトルの記事をわざわざ書いておいてなんですが、気負わず写真を通してユルく盛り上がれればいいんじゃないかなと思っています。
ときにアツくなってもいいとは思いますが。
人の写真を見るは楽しいんだし、きっと自分の写真もだれかに楽しんでもらっているんだろうと、思い込むようにしています。
また、自分のための写真という考え方もあります。
𝗇𝖺𝗍𝗈𝗋𝗂 𝗄𝖺𝗁𝗈 さんのこの記事はまさにそれ。
なにも、人の為ばかりに写真を撮らなくたっていいのです。
忘れがちですがね。
というか、来月に写真展をやるというのに、こんなことで考え込んでしまってはいけない。
わざわざ来てくれた人に、大量のプリント写真をみてもらうつもりなので。
自己満ではあるかもですが、きっと楽しんでもらえるはず。
よし
堂々としています
それでは、今日はこのあたりで。
また明日。
トサノコージ初個展「百日」まであと10日!
2024年4月5日(金)~7日(日)
@Hubase 東京都文京区水道2-13-4ビクセル文京103
にて
写真展前日までの「100日間」を撮影した写真展です。
同時進行でX で毎日その日撮った写真だけ投稿、インスタリールでショー
トムービーを投稿しています。
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