土佐山アカデミーの定点観測 vol.07 〜水で、油。

〜東京在住のサポートメンバー髙木健太さんに、都会から見る土佐山や土佐山アカデミーについて書いてもらっています〜

オリンピック閉会式の日、三連休中日の昼に東京駅のカフェでこれを書いている。メダルの数と新規感染者数が過去最多を更新する中、始まった帰省シーズン。空いている電車内とは対照的に、駅構内にはスーツケースを持った人が目立っている。

「病気の母の面倒を見ないといけない」「終息が見えない中、これ以上自粛したくない」
帰省を控えるように、というお願いに対しそんな声が上がる中、SNS上でこんな投稿を目にした。コメント欄は大喜利のようになっている模様。
(※写真参照)

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うなだれるのか。それとも、呆れながらも、なんとかおもしろがってみるのか。大喜利は、まるで江戸時代の狂歌のように感じられた。

改めて移動が制限されている昨今。土佐山アカデミーでも、都市部から人を迎えるプログラムは軒並み延期となっているそうだ。しかし、こんな時だからこそ10周年で掲げた「オモシロガリスト」の旗を力強く振りたい。「今、この時期じゃないとできないこと。着手できてなかったこと、やってますよ」。吉冨さんのそんな一言から、月一のオンライン打合せが始まった。

今、東京では、誰がも行く先を探しているように思う。
残りの夏休み、という目先の視点でも、今後の人生、という中長期的な視点でも。一方「もし自由に動けるようになったら、ぜひ○○へ!」そんな地域発信の情報は、飽和しているようにも感じられる。狂歌が必要な都市部の人たちに、一番最初に「ここが自分には必要!」と思ってもらうために大切なこと。それは、発信はもちろん「緊急ではないが重要なこと」で地盤を固めておくことだと思う。

土佐山アカデミーがここ1ヶ月で取り組んできた、今まで、着手できてなかった「緊急ではないが重要なこと」。
その主な一つが、県内の他地域からの移住希望者のケアだ。もともと繋がっている人。アカデミーのプログラムの参加者。間に知っている人がいる人…「このタイミングを機に、どうせなら土佐山で始めたい」という人たちが、聞けば4,5組もいるらしく(!)毎日誰かしらからの連絡や対応に追われていたらしい。

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土佐山には今すぐ入れる空き家がない。正直、ケアはしづらいと思う。
だからこそ、それでも手を上げてくれる人に対しては、より一層の関わりをしたいのだと思う。「すごく手間がかかることだけど、土佐山のためになると思えるから」と、吉冨さんと下元さんは顔を見合わせて苦笑いしていた。でも、決して嫌だとか疲れている顔ではなかった。人の人生が動いている瞬間に、同じ目線で寄り添っている充実感。それをパソコンの画面越しに感じた。

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オンライン打合せだけで移住なんてできない。移住希望側、受け入れ側、双方の立場からそう二人は話す。役所の方や不動産関連の方だけでは手が届かないところ。そこに「大事な一つ目のボタン」がある。掛け違えてしまったら、あとは全部おかしなことになる。「空き家が埋まった、と言う一つの数字ではなくて、ちゃんと土佐山の戦力になって欲しい」「誰かがやらなきゃいけないことだから」と、話す口角は上がっていた。

発信と言えば!
10周年を機に始まった、吉冨さんの「緊急ではないが重要なこと」の発信、facebookの友人限定ライブ「土佐山アカデミーの裏側チャンネル」。しっかり続いており、回を重ねるごとにクオリティは上がり、時間も伸びている。
表しか知らない人(HPや土佐山アカデミーのfacebookページしか知らない人)は、ぜひ吉冨さんと繋がってもらえたらと思う。この投稿は月一の棚卸し的なものだけれど、土佐山アカデミーを、今のリアルを、吉冨さんの生の声で知ることができる。

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そして発信と両輪になってくるもの。
地盤固めとしては、下元さんがコミュニティスペース「高川商店」の運営を頑張っている。土佐山の学びのDNAのもと、高川商店に集まる人同士が先生になり、教え子になりを繰り返し、熱量の高い輪をじわじわと広げている。その繋がりは、今すぐに移住はできないけれど、ゆくゆくは…という人を受け止めるネットのようにも思える。

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吉冨さんの名刺には事務局長の横に「水の人」という肩書きがある。外から来て、新しい視点や技術をもたらしてくれる「風の人」と土佐山の文化を受け継ぐ「土の人」。それらをつなぐプレイヤー、という意味がある。水ではあるけれど、潤滑油のような働きは、一朝一夕で出来るものではない。地味だけれど、10周年の大きな成果と言えるのではないかと思う。
最近来たらしい「土佐山の光ファイバー導入の、全体の絵を描いてみないか?」という地域全体の話のオファーは、大きな通過点となる一つの集大成であり、誇っていい試されどころだと思う。

だからどうか、今行き先、関わり先を探している人に届いてほしい。

「動けるようになったら、土佐山へ」

移住や関係人口の頭数とみなさずに、あなたの特性を一緒に「オモシロガッテ」役割まで一緒に考えてくれる、水であり油である人たちがここにはいて、ゆっくりと紡がれている柔らかで強いネットがここにはあるから。

以上

ごきげんでおなじみ 高木健太
土佐山アカデミー東京代表
プランナー/コピーライター/コーチ

日本大学芸術学部卒業後、設計デザイン事務所、飲食業などを経て広告代理店のクリエイティブ・プランナーに。2019年企画屋として独立。身近な人、モノ、コトからごきげんにできるように企画・コミュニケーションの力を使いたいと考えています。「なごやかに、すこやかに」が信条。趣味と生きがいは余興。4歳児の父。

最後まで読んでいいただき、ありがとうございます! いただいたサポートは、中山間地域の課題を「たのしく」「おもしろく」解決するための活動に使わせていただきます! まずは土佐山から、そして高知県から全国、世界へと広げていきます。