エリートが裸の王様になってる

昨日の大統領選の途中経過で雑感を個人のfacebookに投稿したところシェアを100件以上いただいたので、こちらにも改めて整理して載せておきたい。

アメリカ大統領選でトランプが大統領になった。

色々思うことあるのだが、個人的にそこまで違和感がない。

アメリカで票読みするアナリストだか官僚から出向している人だかの人がNewspicksで1・2週間前に「自分の全キャリアをかけてヒラリーだから大丈夫」とか言ってた。現状を見ていると、ある意味いかにエリートの積んできたキャリアが社会の断絶を読み切れていないかということになるのだろう。もちろん、Brexitを踏まえたうえでの発言としては、お粗末な側面もあるが。

クリントンに投票したくない気持ちは心の底からわかる。なので、人には言わないけど票を投じている人というのが多くいるのは想像できる。社会の断絶というのはそういうものだ。弱者は賢いやつに口では勝てないからとりあえず黙っておく。そしてあるとき行動に移る。アメリカ社会全体でそれが起きてるだけ。

ちなみに全然日本も他人事じゃない。7年前に私が社会課題の当事者の現場に人を連れて行かなければ、と思ってリディラバを立ち上げたのはこういう断絶が起きている実感があったからなわけで。その傾向はどんどん顕在化してきている。

「トランプが大統領になったら面白いよね」と言わないだけで思っているやつは絶対多かったはずだ。言ったら知性を疑われるから言わないだけ。

エリートが裸の王様になっていることにどれだけの人が気づいているのだろうか。政治家や大臣と話すときや、G1で堀さんとかと議論して噛み合わないのはこの社会の断絶を肌で感じていないからなんだろうと思う。彼らにそれを感じてもらうための努力をできていない、という意味では自分の力不足を感じる。

多くの米国にいる友人や、日本にいる米国メディアの記者も肌感覚を持てない、とみんな言っていた。国が、社会が割れているんだろう。

断絶した社会に再び橋渡しをする役割を、我々が担えるようになっていきたいと改めて思う。

****

追記:

日本でも地方や都会の社会課題の現場を回る仕事をしていると、都会との価値観の乖離は確信を持って感じる。それに気づけなかったエリートが、まるで自分たちには罪がないというようなスタンスで話すたびにこいつらは馬鹿なのか、無責任すぎだろ、というように思う。大統領選の後、みんなどう言うんでしょうかね。

追記2:

今回の大統領選挙は、ある意味マイノリティ(労働者階級の白人男性)とマイノリティ(ヒスパニック、女性など)が争うという構図でもあった。断絶は、けしてエリートとノンエリート、都会と地方、みたいなシンプルな二項対立だけではない。ましてや弱者対強者、のような構図は今後は生まれない。弱者対弱者の構図の方が圧倒的に起きやすくなっているのだ。なぜならお互いに理解する機会がより限られているから。

断絶というのは毛細血管のように、我々の一人一人の間を薄く、時に濃く流れるものだ。そしてそれが複雑に絡み合っているがゆえに、どうしても読み違えが起きやすい。誰かが悪いのではない。今の社会はそこまで高度化・多様化してしまったのだ。あらゆる政治的なテーマに「当事者」が生まれづらくなっているのだ。それを前提に新しい社会構造を作っていかなければならない。社会構造も、デカルト的なものからベイトソン的なものへ変わってゆくのだろう。

追記3:

自分の経験をもとに語ることの危険は重々承知している。一方で多くの人に比べて、地域にしても社会課題にしても教育現場にしても、私は仕事の特徴上サンプルの数が圧倒的に多いだろう。これは仕事柄得られる一つのプロフェッションだと思うが、こういった経験を社会に還元するということも今後していかなければならないと思うようになった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?