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川越の古に想いを馳せて、我が無知を知る。


所用の為、早朝に小江戸・川越の中心の郭町にある「やまぶき会館」に行った。
川越は埼玉県にあり、時の鐘、鰻、そして芋菓子で有名なところで、蔵の街とも呼ばれ、江戸の風情が残っている所だ。
予定より早30分以上早く着いたので、「じゃぁ、天気もいいのでちょっとウオーキングしようか」と思い、近くにある川越城跡の広場に向かって歩き出した。 

腕には、「電波時計の万歩計」をはめている。4カ月前から歩くことに目覚め、スマホで歩数を数えていたが、さらに気軽に、そして正確に歩数を知りたいと思い、1ヵ月前にこの時計型万歩計を買ったのである。万歩計の歩数を見る度、「もう少し歩け」と言われている気がする。

さて、10分ほど歩くと、川越城址の前にある江戸の風情を感じる建物に差し掛かった。すると、私の2倍ほどある大きな白い兎が、愛嬌のある顔でこちらを見ているではないか!



大きな兎が出迎えてくれる。
この白兎、まんじゅうをつまみ食いしてこんなに大きくなったのかなぁー



なんで大きな兎が居るのかは知らないが、その建物は和菓子屋さんで、軒先に「道○まんじゅう」と書いてある。
字を崩して書いてあるから、最初、私はその文字を「道後」と呼んだ。しかし、何故川越に道後があるのか? 店の主人が愛媛県道後の出身なのか、それとも道後の名物に因んだものか? と思った。しかし何かしっくり来ない。
そこでよくよく見てみると、それは道後ではなく、道灌(どうかん)だった。
じゃぁ、道灌って何だ? 道灌ってどんな意味だろう? それともあの江戸城を作ったお太田道灌と関係があるのだろうか・・・。
実は、その太田道灌からの命名だったのである。
そんなことから、あれこれと古(いにしえ)に想いを馳せた。

川越城 本丸御殿


■世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり

島根県の津和野や、石川県の金沢などは「小京都」と呼ばれ、青森の岩木山は津軽富士と呼ばれるが、それは本家本元に雰囲気が似ているからである。
では、何故川越が小江戸と呼ばれているかと問われれば、“えっ、”となってしまう。深く考えたことはいままで無かった。

するとこんなことが分かった。
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と江戸時代から謳われ、川越市内の喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱・柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩の城下町であり幕府から重視されてきた。
古く鎌倉幕府の有力御家人であった河越氏と江戸氏は同族で、室町時代に太田道灌が川越城と江戸城を築城し川越街道で結ぶなど古来から武蔵国内で特殊な関係にあった。江戸時代以降は新河岸川の舟運で江戸と深く結びついた。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

この文から、川越城は江戸城を造った太田道灌の手によるものだと分かった。道灌まんじゅうは、この太田道灌が川越城を造るときに、築城に携わる人たちに士気を高める為に供したとのことだ。

■七重八重にやまぶきの花は咲けども・・・

 
私は、蓑を貸して欲しいと言った人に “娘が無言のうちに、やまぶきの花の枝を切って渡した” の話は知っていた。
かねがね「粋なことをやるもんだねー」と思っていたが、その差し出した相手が誰だったかは知らなかった。それが太田道灌だったとは・・・。その話は次のようなことだ。

或る時、文武両道に長けた武将である太田道灌が、鷹狩りにでかけたが村雨に見舞われた。それで一軒の農家に飛び込み、蓑(みの)借りようとすると、娘が蓑の代わりにヤマブキの枝を差し出し、頭を下げた。

しかし道灌は『後拾遺和歌集』(1086年)の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(八重のヤマブキは雄しべが花弁に変化し、雌しべも退化したもので、実がならない。「実の=蓑は一つもありません」)の歌を知らなかったため娘に立腹する。後にその無知を恥じた。(一部は、NHKみんなの趣味の園芸より)

NHKの番組“チコちゃんに叱られる”風に言えば、「そんなことも知らないで、ボーっと生きてんじゃーねぇよ!」と言われそうで、自分の無知を恥じた。

でも、文武に長けた太田道灌ですら、その歌を知らず、その後和歌のことを勉強したらしいから、凡人である私が知らなくても仕方がなく、道灌に倣って今からでも色々知れば良いと、気を取り直した。

それにしても、その花を無言で差し出した娘さんの知識の深さに感心する。機知に富むことをするその娘さんを思うと、そんな人にあってみたくなる。

そして私が訪れた「やまぶき会館」も、その故事から来ているのかもしれない。今度道灌まんじゅうを食べながら、会館の館長に訊いてみようっと。
その道灌まんじゅうは、一個95円らしいので、私にも買える。

道灌まんじゅう

■郭(くるわ)

一つ気になっていたことがある。それはこの一角の地名が、「郭町」ということだ。
郭(くるわ)というと、遊郭(ゆうかく)を思い出してしまう。たとえここが昔遊郭だっただとしても、名前を変えれば良いじゃないか」と思っていた。


でも、それは私の無知から来るものだった。
郭とは、都市の周りを囲んだ石や土で作った壁のことだ。この辺りは市役所や裁判所があり、市の中心的なところだから、郭町と言うのに十分納得できた。
遊郭も、多くの遊女が集まっている一定の区域を囲っているから、郭の字を使う。
郭の字を見て、遊郭を連想するのは発想が貧しい。あぁ~情けなや。

確かに考えてみれば、城郭・外郭・輪郭などの言葉がある。
ここはひとつ気を取り直し、太田道灌ですら勉強をし直したのだから、私も一つずつ知識を深めたいと思う。

無知を教えてくれた朝の30分のウオーキングは、大きな意味があったなぁー

#小江戸  ”川越 ”ウォーキング ”太田道灌 ”道灌まんじゅう ”埼玉

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