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なんということでもない車の話

生まれた時からずっと父親が中古自動車屋さんをやってたから、逆に僕は全然車に興味を持てなかった。今、普通に自分が車を操って全国を旅していることを不思議に思う。なぜ興味が持てなかったかというと、やっぱり自営業の稼業であるから仕事が忙しくて休んでいる父を見たことがなかったし、車というのが<生活といううすのろ>と密着したものだったからだ。もうひとつ、父はその折その折仕入れた車のなかでお気に入りのやつをマイカーにしていたので「我が家の愛車」というものが存在せず、「今から迎えにいくから」と言われても待ち合わせの場所でどれが自分の家の車かわかないくらいに車というものに愛着が持てなかったことも大きな要因。だから一人っ子なのに仕事を継ぐこともせず、工業高校ではなく文系の進学校に進んで車と全然関係ない学問を選んで上京した。免許を取ったのも二十歳を過ぎて就職するときに必要で止むを得なかったからであり、自分は一生自家用車を所有しないと思っていた。自分は「車を運転しなさそうな男」に見えるのではないか、と今でも思う。

東京で初めて車を持ったのは2003年頃だったか。ホンダのステップワゴン。切望して手に入れた車ではなかったけれど、この車でGOMES THE HITMANのツアーに頻繁に出かけたり世界が広がった。「ドライブ」という曲はこの車が舞台だった。バンドが活動休止したタイミングで軽自動車に乗り換えたのだけど、その車は父がただでくれたスズキのワゴンRだった。身分相応だなと思いながら、その車がヘタるまで全国を駆け回って歌を歌った。次のダイハツMOVEも父にもらった中古だった。ホンダ、スズキ、ダイハツ、結局僕は車ならなんでもよかったのかもしれない。40歳になる年に「軽自動車で高速走るのきつい…」ということになって、初めて自分で選んでホンダのモビリオスパイクという車を買った。とにかく荷物がたくさん載る車で、これまでで一番の相棒になったし、『新しい青の時代』以降の歌詞に出てくる “車” はすべてこのガンメタリックカラーのモビリオスパイクのことだ(下の写真)。車を持ってなかったら書かなかった歌がたくさんある。「glenville」とか「月あかりのナイトスイミング」とか、たくさん。

16万キロを走ったこの車から、また父のお下がりの車に乗り換えることにした。今度はニッサンだ。先月大阪から東京まで走って持って帰ってきたこの車の名義変更や登録を自分でやってみた。警察に行って車庫証明を取ったり、国土交通省のHPを見て調べたり、自賠責保険とかなんとか、陸運局で税金を払ったり、これまでほとんど全部車屋さん任せにしていたことを自分でやるのは煩わしくて大変で、しかしどこかスタンプラリー的な達成感があった。つなぎを着た整備工さんや車屋さん関係らしき人が行き交う自動車検査場で佇んでいたら、父がずっとやってきた仕事ってこういうことの積み重ねなのか、と感慨深いものがあった。「ご自分で取り付けてください」と新しいナンバーを受け取ってあたふたしている僕に汚れた作業着を着たおじさんが「ドライバーならドアを出たところに自由に使えるのがあるよ」と笑顔で教えてくれた。

この新しくて古い車にギターと機材を積んで出かけていくのが楽しみだ。2019年は新しい旅の始まりの年。


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