日本に神社がある本当の目的は

前回は縄文の話をしました。
縄文時代の意識ってどういうものだと思いますか。
縄文の遺跡が発掘されていますが、
あまり物質的に豊かだったようにはみえないですね。
というか、縄文の文化は物質文明ではなかったのでしょうね。
精神文明なのですよ。やはりレムリアから続く意識が
受け継がれているといっていいでしょう。
物を必要としなかった文明ではなかったのかと。
そして、宗教というのはなかったのではないだろうと思いますね。
つまり、自然界に存在するすべてのものは神の一部という概念、
特定の神を崇める宗教という概念はシュメールのほうの、
レプテリアンが作ったもので、宗教を使って人を支配したのですね。
物質を豊かにする文明はやはりオリオン系のアトランティスの
系統の意識でしょうね。のちにシュメールという文明として
栄えたようです。このシュメールの文明ですが、
最初、中央アジアに文明が起こって、
その後、世界中に散らばっていったようですね。
それが後に、ユダヤ12氏族となって10氏族が日本にも入ってきたのです。
この話は後ほどしますね。この話はとても重要なんです。
時代をもとに戻して、縄文から弥生の時代でしたね。
時代が前後しますが思いついたことを話してますのでご了承くださいね。
縄文時代の稲作は陸稲といって水田で育てる稲ではなかったようですね。
陸稲というのは文字どうり畑で育てる稲です。
私は今年からこの陸稲を自宅の畑で育てているのですが、
立派に育ちますね。まあ、味は保証できないかもですが、
陸稲ができれば、水田が必要ないですね。
水田はとにかく管理が大変なんですよ。特に水の管理。
それに農機具も必要だし、私のような自給農では手が出せないのです。
縄文の時代の後期は水田も出で来たようですが、
本格的に水田に変わったのは弥生になってからですね。
この弥生の文化は大陸から入ってきた民族によってなされたのです。
大陸から日本にやってきて住み着いた民族は
所有の概念を日本に持ち込んだんですよ。
水田にして何が変わったかということですが、
水の利権争いが勃発したのですよ。
縄文は所有しないので、畑でできた作物はみんなのものなので、
お互いに分け与えて共存していたのですが、
水田ができたおかげで水の利がよい場所の取り合いが始まったのですよ。
それがのちに、ここは私の土地という、所有するという概念に
変わっていったのですね。そして土地の奪い合いが始まり、
争いがおこってきたのです。
つまり、大陸から所有の概念を持ち込まれたということなんです。
そして、同時に宗教も持ち込まれたんですね。
そしてこの宗教が日本に根付いてのちに神道となっていくわけです。
縄文の時代は神を祀るヤシロなどなかったんですよね。
そして、後に日本神界の神々が神社に祀られるようになるんでずが、
この日本神界の神々は実はインドあたりを支配していた蛇型宇宙人、
ナーガだということなんですよ。このナーガが日本列島を神道で支配したのですよ。
これが天皇の系統の元になってくるのですが、話を戻して、
ユダヤ10氏族が日本列島にやってきて、ムーの末裔である、
当時日本列島に住んでいた原住民であるアララキを迫害し
土地を奪って皆殺しにしたんですよ。
インド方面から3氏族、朝鮮半島から7氏族入ってきたんですよね。
これが後に南朝、北朝となって、南朝が源氏、北朝が平家となったんですよ。
そして神社ですが、神社はなんのために建てられたのか。
もちろん、ナーガを祀るためでもあるのですが、もっと重要な意味があるのですよ。
日本列島は前回、レムリアの意識をもった土地だという話をしましたが、
土地にはレイラインといって、エネルギーが流れるラインがあるのですよ。
レイラインの話はまた別の機会に詳しくお話しますが、
そのエネルギーラインを封じ込めるために建てられているのですよ。
そして鳥居はクサビなんですよね。この鳥居によってクサビでエネルギーの
流れを封じ込めているわけです。
日本人がレムリアの意識に覚醒しないようにしているのですよね。
これでだいたい、神社が建てられた意味がわかりますよね。

スメラミコトと言われていた存在がのちに天皇と名乗るのは、
カムヤマトイワレヒコ、神武天皇からなんですよね。
神武は北イスラエル、北朝からやってきたカド族で、
日本を支配してのちにヤマト王朝を築くわけです。
今も大阪や奈良あたりにある前方後円墳はカド族の墓で、
マナの壺の形をしているのですよ。
マナの壺はユダヤの3種の神器のひとつですよね。

はい、それでは今日はこの辺して、
次回は続きをもう少しお話したいと思います。

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