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生きる動機

痔の手術をしたのが火曜日。早々に退院し、今は家で安静にしています。リーディングはお休み中。痛くて座ってられないし(笑)、大量に飲む薬のせいか頭がふらふらしています。noteもスキップするつもりだったのですが、近況報告がてら書いています。上の写真は病室の視聴するならカードを購入するシステムのテレビと小さな冷蔵庫がビルトインされた棚。ベッド脇の手すりの鉄っぽい質感やオフホワイト的な白、シルバーの酸素のつまみ?やアンティーク風のランプ。外国の映画に出てくる安い病院みたいで、テンション上がりました。

六人部屋の私のベッドは、なんと窓際。思ってもみなかったので本当に嬉しかったです。パステルグリーン色の仕切りカーテンがスルスルどこまでも行く優秀さで、完全に閉めてしまえばなかなかの個室感がありました。窓の外に見える大きな木は、病院の駐車場に生えていた美しい子。ずっと見てました。持ってった本は一度も開かなかったし、スマホも点滴を刺してる手がすぐに疲れてしまってだめで、手術前も、終わった後も、とくに恐怖が襲ってくる時は窓の外を見てました。希望は窓から見える空と木と、その周りをくるくる動き回る名前の知らない鳥だけだった。食事も取れなかったから余計にそうで、本質的な生きる動機になってた気がします。あの日の私にとって大袈裟でもなんでもなくて、痛みや恐怖を乗り越えてまで生きる意味を見出すのに必要なことだったと思います。自由を感じた時にだけ、生きる意欲や元気が湧いてくるのに似てる。

あの夜は、手術が終わったことへの安心感と麻酔が切れた後の未知の痛みに対する恐怖と、排尿や排便に付きまとうナースコールに対する逃げたい感と、点滴のだるさとで、うまく寝れなかった。消灯時間から朝が来るまで何度も何度も何度も携帯を見ては、その時間の過ぎなさに絶望し、このままだとパニックになるかもしれないと冷や汗が出たほどでした。ついに太陽が昇り始めた時の嬉しかったこと。天気の良い日の朝にしか見れない空の色ってありますよね?黒い空に滲み出した微妙な変化。今書いてても泣けます。それほどに長い夜を過ごしました。
扉が自動で開いて入った瞬間、魚市場のようなひやっとする至るところシルバー色の高い天井と広すぎた手術室を見たのも初めてでした。10人はいたと思う。あんなに大勢の人にお尻を見せたことも(笑)、手の甲に刺す点滴も、鼻からの酸素も、ドラマみたいなマスクも、仙骨から打つ下半身麻酔も初めてだったし、意識が戻りあったかい電気毛布にくるまれながら終わったのだと思って少し泣いたのも初でした。経験してみないとわからない世界って、どんだけあるんだと思いました。勇気を出す時に、戦争ってどんなだろうとも思いました。イスラエルとパレスチナの戦争。病院爆破のニュース。私はどれだけ恵まれているのかもやっぱり考えてしまいました。

もうひとつの窓際のベットには常連さんがいて、(私の足の方)から聞こえてくるナースコールは5分に一回鳴る。夜中も変わらず押していて、正直イラっとした。これが100%仕方ないことだとわかるまでは。看護師も実はイライラしていたのかもしれない。でもみんなプロで素晴らしかった。看護師を呼ぶ以外に、落ちた物を拾う術のない彼女は寝たきりで、トルコや外国の石が好きで、40代の息子が遠くにいるらしかった。やってくる医者や看護師によって口調や態度を変えているのがわかる。
マニュアル通りのことしか言わない医師には意地悪ばあさんのようだったし、優しい看護師には相手の年齢関係なく、ギャルみたいな子にもきちんとお礼を伝えていました。共感のできる態度の変え方だった。
一度だけ、ちらっと見えた彼女の足が、私の想像を遥かに超えたミイラ感で、そう遠くないうちに死ぬかもしれないと思いました。でも永遠に薬を投与されて生き続けるのかもしれない。
右隣のベッドから聞こえてきたのは関西弁。神戸から東京へなにかの治療のためにやってきたその女性の声や話し方からしておそらく同世代だと思う。関西人あるあるなのか、緊張してるからこそやたら元気にお昼を食べた後、先生一人と看護師二人がやってきて治療が隣で始まった。つまり丸聞こえ。お茶目で明るかった彼女の声がすっと消えた瞬間、医者がどうでもいい質問をした。「学会で三重に行く時におすすめの店とかってありますか?」胸に刺す6ミリのチューブが痛くて痛くて、相当辛いらしかった。泣いてるような声が夜もうっすら聞こえてた。そのひとつ向こう隣のベッドには、救急車で高齢の女性が運ばれてきました。消灯時間少し過ぎたころでした。聞こえる医師の声は、癌を告知するものでした。「おそらく癌だと思うのですが、明日の朝には人工肛門を作ります。まずは溜まっている膿を全部出すこと。その後で癌の治療に入ります。今のところで何か質問はありますか?」孫ほど年の離れた若い男からそう告知された彼女の声は聞こえてこなかったです。うなづいたり、首をふったりしてたのかもしれない。声にならなかったのかもしれない。「人工肛門」という言葉が衝撃で、病室の天井を見上げながら、私はますます寝れなくなってしまいました。

あの夜、カーテンを超えて聞こえた様々な声や音によってイメージした世界は、あっけない退院と共にどんどん薄れていきます。記憶が薄れていき、濾過された後に残ったものは、私たちって何なんや!?何のために生きてるんや!?という怒りのようなもの。恐怖の反動。それは逆に大きく濃くなっています。
今の私はなにかがメラメラ燃えている。薬のせいかもしれないけれど、イライラしてる。パートナーとか友達とか、安定した仕事とか、最低限のまともな医療とか、この世的な幸せに対して完全に見切りをつけた感があります。短くていい、太く生きたい。自分でいられないのなら、いつでも死んでやるって気持ち。働いている人たちはみんなプロで素晴らしく、だから誰も悪くない。それなのに今思い出しても、まるで悪魔みたいに感じるし、日々飲んでいる大量の錠剤が怖い。ふざけんなよって気持ちが消えない。