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過去を過去にするとき

コロナのせいで、それまでのルーティン(朝2時半に起きて市場に行くとか、一旦家で仮眠した後、水揚げの終わった花を花瓶に入れ替えるとか) がなくなって一緒に消えてしまったもの、それはたぶん、タロットの大アルカナの一番最初のカード、「愚者」のエネルギーだと思います。

潜在意識から愚者がいなくなった私は、それまで大事にしてたことのほとんどに興味を失っていき、人間関係の悩みも、会わないうちに考えなくなり、どうでもよくなりました。それは良かったこと。良くないことは、体力が落ちてしまったこと、性欲や創造への意欲まで同じようになくなったことです。コロナ禍で新しく生まれた熱狂の火はいくつかあり、そのひとつがタロットですが、愚者の状態にはなっていません。

『「愚者」が表しているのは原初の無限のエネルギー、完全な自由、狂気、無秩序、混沌、また創造への根源的な衝動である。伝統的なカード・ゲームにおいて、「愚者」はジョーカーやワイルド・カードの人物を生み出す基になった。ゲームの中でそれは他のカードとはまったく異なり、同時にいつでも他のカードの代わりになる。「あらゆる道は私の道」が愚者のモットーといってよい。』

何度もあったわけじゃない、自分の中に「愚者」を感じる瞬間。それは今思い返すと、ほぼ100%恋愛で、仕事はそのためのきっかけに過ぎなかったかもしれません(一生懸命やってたけどね)。恋に落ちた私は驚くほど行動的になり、寝不足になり、食欲もなくなるから、会うたびに痩せていく私を見ていた友達や親にはやばいドラッグでもやっているのかと心配されたけど、ただ片想いしてただけだった。

花屋の時の私はすでに結婚していたので、恋はしたりしなかったりで、より仕事が自分を表現するものに。本来夜型の私は、あの頃とにかく夜に集中するやり方をしていました。FLOWER magazine創刊号の時などは、タバコの数がものすごく増えていたし、元々健康だからか、癌などの重い病気にならない代わりに、ちょくちょく蕁麻疹が出たり、乾癬が悪化したり、不正出血も多かったです。排卵もしてたのかどうか怪しくて、いつも体になにかしらの異変が起きて、自分の限界に気づくパターンでした。これは決して「愚者」の集中ではなかったと思います。「愚者」で蕁麻疹は違うんだろうと思います。だからあれは熱狂というより、自分の名前でやる仕事とか、自己実現への憧れだった気がすごいする。

自分の中にかつての情熱や熱狂がなくなっていると気づいた時、若い頃の自分と比べて、老いた自分を批判する人もいれば、現実を歪めて自分に嘘をつく人もいます。自己批判か自分欺瞞しか選択肢のない人は、変化を拒みながら誰か(たいてい子供)を鎖で縛り、にやっと笑う悪魔になる。「15番の悪魔」が示す依存関係は、至るところで見つかります。例えば、母と娘。先週も様々な娘側の悩みを聞いたけど、その悩みが仕事であれ恋愛や結婚であれ、その子が受けてきた母親の影響が大き過ぎて、しかもそれがしっかりカードに投影されていたので、私としては興味深くリーディングしました。ただ正直な気持ちとして、私は同世代である母の自己肯定感の低さや、夫との関係について子供に言ってないことが絶対あることや、娘の才能や人生をみくびってることや、子供に対する支配欲を感じて、母という生き物に怒りというか恐怖が湧いてくるのです。まさにルイーズ・ブルジョアの蜘蛛やんか、と。たいていの母は20代の娘が思っているほど孤独でもないし、弱くもないし、成熟してもいない。40代や50代って、男も女もむしろ一番幼くて、我慢できない子供みたいな、小学生並にずるがしこいと思っていい。

『トランス状態に入るのだ。(中略)自分自身の目撃者であることをやめよ。自分自身を観察することをやめよ。』

だけどやっぱり、諦めちゃう癖のある子は諦めちゃうから、親と戦う前に諦めて、仲良く同居してたりする(それはそれでええねんけど)。憧れの一人暮らしも、転職への野望も、恋したい気持ちも、自己解放のセックスも、ふわっとさらっと諦めて、くったくのない笑顔で笑っている子も少なくなくて、やっぱりみんながみんな「愚者」になれるわけじゃないという現実を何度も何度も突きつけられ、慣れてきた自分もいるほどです。

『お前は知っているか、いつどんなときでも意識の変容が可能なのだということを。自分について持っている認識を突如として変えることができるということを。ときとして人は行動することが他者を征服することだと考える。なんという思い違いであろう!もしこの世界のなかで行動したいと望むのであれば、変化することを拒もうとする、子供時代から押し付けられ深く刻まれてしまっている自我についての知識をぶち壊さなければならない。自分自身の境界を休むことなく無限に拡張せよ。』

原初のエネルギーや設計図が違えば、人生で出会う人が違ってくる。友達も変わるし、パートナーが変わる。仕事で稼ぐ金額も違ってくる。親との関わり方も全然違ってくるはずです。
人生はその人が思った通りになるは、リーディングしてると本当だと思うときがあって、だからやっぱり、どんなに自分が悪いわけじゃなかったとしても、過去の事件や、そのことが原因で病んでしまった自分に執着してはいけない。どんなにつらい時だって、歩くなり、踊るなり、自分の体のどこかを動かしていて欲しい。何度目かの春の日に、あるいは今日とか、ふいに、急に、過去が過去になるかもしれないのだから。

※今回『』内のセリフはすべて「タロットの宇宙 / アレハンドロ・ホドロフスキー著」の「愚者」に関するページから引用しています。