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天使と悪魔

あんまり追っていなかったわたしも、あの記者会見はさすがに見ました。ヒガシといのっちのやつです。悪魔の餌食になっても表舞台に立ち続けた人の顔と、その舞台から降りた人たちの顔を行ったり来たり。「タロットをするのにまず捨てるべきは、共感と反感だった」というホドロフスキーの言葉を知らなかったら、以前のように怒りの感情に支配され、汚い大人が作ったメディアや警察や国や法律に絶望し、無気力になっていたかもしれないです。途中で見るのをやめて、ホックニーの画集を見たり(早く行かなきゃ)、図書館で借りてきた美しい言葉の本を読んだりしました。

エトセトラブックスの方たちとご縁があったり、長田さんと対談したことがあったりで、コロナで中止になる前のフラワーデモに2回だけ、こっそり行ったことがあります。その時、実際に自分の目で見た被害者の雰囲気や、感じたオーラのようなものにショックを受けました。彼女たちの目や口などの顔のパーツは記憶から消えていて、全体の雰囲気だけが心の奥に残っています。
どこからどう見ても病んでいる人もいたし、夜に眠ることができなくなって久しいのが見てわかる人もいました。向ける先が見つからず、混乱してしまった怒りたち。絶望から生まれたにおいのようなもの。太っていても痩せていても関係なく、体の境界線が溶け、本来ならそこで止まるべきものが外に流れてしまっているような、べっとりしたものと、渇き切ったものが、決して混ざることなく、循環する道を失っているような印象でした。
今日ここに来て、メディアのカメラもちらほらある場所で、自分に起きた性暴力や虐待をマイクを握りながら伝えるために、どれだけの精神安定剤を飲んだのだろう。ちゃらいわたしがここにいる意味が、最初の日から実を言うとわからなくなりました。不安な気持ちを隠しつつ、フェミニストを名乗るならこれは義務だと思ったのかどうか、その後もう一度だけ行ったけど、だめでした。いったいわたしはここで何をしているんだろう?しか思わなかったのです。嫌がる夫を無理やり連れてきていることもしんどくて、早くタバコが吸いたかった。

決定的になったのはこういうこと。
被害者の声に耳を傾ける人たちの群れの一番外側にいたわたしから、立ち姿の美しいオシャレな女の子が、素敵な男の子と一緒に群れの中に立っているのが見えました。自信に満ちた態度のせいか、カップルに見えたからなのか、彼女は浮いて見えました。その時はしばらくしたら彼女がマイクがある舞台のような場所にその群れから出ていくことも、壮絶な過去の出来事をしっかりした言葉で話し出すなんて思ってもいなかったのです。事件のショックで一度は抜けた髪の毛がこうなるなんて誰が想像できるのか。見た目から判断できることの少なさを知りました。人生で初めて知ったことでした。この時の気づきがなかったら、わたしのタロットなんて完全なる害でしかなかったと思います。
フラワーデモの帰り道、わたしにとって最後になった夜の帰り道。人混みの中にさっきのカップルを見つけたわたしは、一瞬迷いつつも足は動いていたので、手に持っていた花束を彼女に渡しました。「突然ごめんなさい。花屋なので、これ買ったわけじゃないから。もし花が好きなら持って帰ってほしくて。」
快く受け取ってくれた彼女を見て、後悔しました。あの顔は困惑の顔でした。そんなんじゃないねん、という静かな怒り。あの花束は家に帰る途中で捨てられたかもしれません。わたしが彼女なら、やっぱり捨てると思います。数年経った今も、そんなんじゃないなら、なんやったんや?という問いはずっと考えています。意識して考えてるのではなくて、自分に対して自信がなくなると、なぜかその問いに帰るような感じなのです。

恋愛相談でリーディングに来た人たちを、そのオシャレな見た目や雰囲気から想像し、幸せな悩みだと決めつけないこと。質問がどんなにくだらないと思っても、たとえば、朝会社に行った時にする挨拶が苦手、というような私にはよくわからない悩みであっても、その悩みが何を伝えようとしているのか、その人自身が気づけるようにリーディングすること。これは人生をかけた訓練みたいな、修行というにはちょっと大袈裟だけど、コツコツ育てていくしかない道で、その道を選んだ自分はフラワーデモで感じた後悔によって作られている気がします。

あまりに自己防衛が強い人が来ると、何を言っても、そうじゃない!という怒りが返ってくるので大変だけど(笑)、自分で自分のリーディングをしていると、自分の自己防衛の癖が見えてくるのでよくわかります。自己防衛の全ては、傷ついた経験から生まれた自分を守る天使のようなもので、共感も反感もない意識でその人が選んだカードをただ読んであげればいい。怒りを刺激しない言い方がきっとあるはずで、それを探すのがわたしがやりたいことだから。

それともうひとつ。心と体、物質と精神のバランスを崩している人は、理想を高くもつことを放棄している気がします。男に絶望している人たちが言う「イケメンしか無理なんです」という言葉に騙されていてはリーディングになりませんし、仕事に行き詰まっている人たちが言う「世界進出」みたいな目標も疑って聞くべきです。ツイッターの世界に誰よりもハマっている人たちの「ツイッターがしんどい」というつぶやきも同じ。潜在意識では、絶対に叶わないと思っている夢を口にしたり、都合がいいだけの人間関係に、感謝しかないとか言ってしまうのも同じ。理想が理想ではなく絶望の裏返しみたいになってしまっている状態。本当に願うべき理想の自分を自分に許さない人は、まったく気づいていないけれど、周りにもそれを許していません。「イケメンしか無理」のような言葉は、自分を守るために使っていたことに気づくまで、目の前の男を理解することはなく、絶望や孤独は大きくなるだけかもしれない。病気も回復しないかもしれない。でも孤独になることが、病気になることが、今は必要なときかもしれない。答えはいつだって自分が決めていいのですが、自分の自己防衛の癖に気づけたなら、まずは自分に許可を与えることです。今の現実がどうであれ、実現可能で地に足のついた理想の人生をイメージすることです。
会見を見ながらやったのは、ジャニーズやメディアに絶望した分だけ、わたしが誰かの希望になっている理想の姿を思い描くこと。その時、絶望と希望がバランスを取り、自分の中に癒しが生まれます。SNSを見て誰かの成功に嫉妬したなら、自分に対する信頼を取り戻し自分にとっての成功を世界に発信することです。
自分とのつながりを取り戻すこと。それはたぶん、感情が熱を帯びている状態を穏やかにする行為のことです。他者に怒りを感じたならば、その重さと同じだけの創造性を発揮すること。その創造の行為の中に潜っていくこと。