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大人になるということ


先月からここを読んでくれた人がリーディングに来ては、優しい気持ちで感想を伝えてくれることが増えました。 読んでくれてリーディング来てくれて、すごく嬉しい。それなのに、というかそれゆえに、恩を仇で返す私がいて、たぶん私の子供じみた防衛本能だと思いますが、いいな、好きだな、と思う人たちから良い感想をもらえばもらうほど書くことから遠のいてしまいました(弱)。


『「大道芸人」は始まりを示す。論理は迅速である。才能や抜かりのなさも十分ある。後は行動するだけだ。』

例えば今の時代、転職なんて普通のことで、「そんな、たいそうな」と思う人もいるかもしれませんが、実際は人生を変えるきっかけになるし、その力を持っています。だからこそ悩む人はすごく悩んでる。悩んで悩んで、悩み続けて50歳になり、体力と共に気力や情熱も減っていくとき、もう無理なのでは?って感じている人もたくさんいます。

そこに親の介護が入ってきたりするから、中高年の悩みってシンプルじゃない時の複雑さが濃いよね、としみじみ共感してる場合じゃないのだけど(笑)、そう思います。決断しないでいる時間が長くなればなるほど「転職」に必要な行動の全てが重くなっていく。転職のような事でなくても、親に自分の意見を言う、それで喧嘩になっても構わない、みたいなことができない人もいます。とにかく本人にとってそれは実現不可能に思えているので、いつまで経ってもできないままなのでしょう。やったことのないことをしようとする時、不安になるのは人として当然です。過去の経験から繋がって見える未来はハードモードのままだから、タロットで潜在意識が明らかになっても何もできない、それも当然。

私はやっぱり自分にも人にも優しい言葉をかけてあげたい。楽になる道を示してあげたい。それが地に足つかない偽スピリチュアルであってもいいのでは!と思うようになりました。手術のあとの私の頭には、ホドロフスキーとは違うアプローチが浮かんでばかりいます。

『別の観点からすると、この二重性は彼がまだ自らの存在を完全に実現することに達していないことを示しているともみなされる。自分との対話に終始してしまっている限り、そこに啓示や真実が訪れることはないだろう』

今までの努力や行動が形になりそうな時に、突然親が倒れたり、大きなお金が必要になって自分のための貯金を家族のために崩したり、そういった経験が多い人は、自分のどんな思い込みが人生に影響しているのか考えてみるのも面白いと思います。思い込みがすべてなのかもしれない。やってみないと分からないって、実はないのかもしれない。私ができないと思ってることはできなくて、いつまで時間をかけたって変わらないのかもしれない。

これは47歳になったから思うことなのかもしれませんが、老いていけばいくほど、自分を責めざるをえないような道はやめたほうがかっこいい気がする。
別にかっこよくなくてもいい人は、自分を責めて責めて責め続けてもいいのだけれど、もしかしたら今すぐ出来るようなこと、心からそう感じることこそが、実はすごいことになる種というか、大道芸人が手に持っている球なのだと思えて仕方ないのです。

『 また、このカードは選択することや決意することの必要性を示すが、それは若さの印である「なんでも可能」だということを諦めることにもなる。』

『家族や心理的な領域においては少年である。それは40歳を過ぎてもいまだ少年である人、女性だが少年に生まれるべきだった人であるかもしれない。』

久しぶりに上沼恵美子のyou tubeを見る。上沼さんのお姉ちゃんが大人気なのは、お姉ちゃんの決断や選択が本質的で、そこに見る人たちが世代を超えて共感しているからでしょう。若い頃のお姉ちゃんが(知らんけど)、舞台の上で妹の横で感じたことや、諦めたことや選んだことの全てが才能になっている。お姉ちゃんが作る空気はもはや芸術の域に到達している。上沼さんでさえも真似できないほどに。

そして、栗ごはんの回(笑)。工藤静香とキムタク夫婦の真似をして作った茄子ときゅうりと長芋のぬか漬けがめちゃくちゃおいしそうで、私は生まれて初めてぬか漬けをやってみたくなっていて、自分のそんな変化が嬉しいのと、温泉の回かなにかで、さりげなく流れた上沼さんのくたって元気のない野菜を表現する顔芸と、そのことにきっちりコメントしていた人(おそらく関西人だろう)のセンスに、自分を取り戻すきっかけを頂きました。

昨日ついに針が届き、音出しチェック中。



※今回『』内のセリフはすべて「タロットの宇宙 / アレハンドロ・ホドロフスキー著」の「1番 大道芸人」に関するページから引用しています。