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自己肯定感の正体

「30歳になるのが怖かったけど、今がいちばん自分らしくて、毎日が楽しいです。」若干古くなった昭和のノリかもしれないですが、こういう見出しのインタビューは今でも時々みかけます。リーディングでも年下の人から「40歳になったらいろんなことが楽になるよって会社の先輩に言われたんですけど?」と聞かれたことがあります。年齢と共にどんどん苦しくなってる人たちは性別関係なく絶対いるはずで、もし40歳以上の方がいらっしゃったら逆にわたしが聞きたいくらいです。

「相談者は自分自身のことを必ずしも分かっているわけではなく、またほとんど常に自分の系統樹から受けている影響を見落としている」とホドロフスキーはタロットの宇宙で書いています。「もし相談者が一つの言語しか話さず、遠くの国に旅行したことがなく、他の文化を学んだことがなく、(間省略)、行動すべきか迷った際に行動しないことを選び、失敗を恐れて新たな経験に挑むことを避けてきたのだとしたら、その人の無意識にあるものは、その真の姿、同盟者として現れるのではなく、むしろ異様な謎や敵として姿を現すだろう」

今回このテーマで書こうと思ったのは、例えばいざ40歳になり、もっと自由に私らしく生きていきたい、好きなことを仕事にしたい、結婚したい、パートナーを見つけたいなどと思っても、ただ自分を責め続けたり、何かそこではないものにイライラしている人たちが、少なからずいるんじゃないかとリーディングしていて感じることがあったからです。

ひとつの文化の中で、すごく小さな世界の中で、家族や友達の視線を常に意識してきた人たちの、誰かと自分を比較する癖こそが、自分の見えない敵になってるとしたら。そして、「無意識にあるものが他者に投影される」というのが本当だとすれば、周りの人が何を言っても責められている、見下されていると感じるだろうし、そんな環境下で行動できないのは当たり前だと思うのです。

だから比較の対象がいったい誰だったのかに気づくだけで、現実が違ってくるんじゃないかと期待してしまう。それは憧れの先輩かもしれないし、親友かもしれない。親からいつも兄弟や姉妹と比べられた人もいると思う。その対象は人それぞれですが、一度わかってしまえば、その実態を前に比較すること自体がどうでもよくなるだろうし、今までどうしてもできなかったことが、実はやりたいことでもなければ自分にとって大事なことでもなかったことに気づくと思います。
その結果、少しずつでも自分という人間がわかってくると思う。するべきことも見えてくるはずです。スピリチュアルの世界はよくわからないけど、逆、逆、逆。宇宙の法則や引き寄せの法則がほんとにあるのなら、無意識にあるものを見極めない限り、その人の現実は常に、その人の顕在意識にある夢や口から出る理想の自分の逆をいく気がしてなりません。

年齢は関係ないといくら誰かが言ったって、もし夫に好きな人ができたとして、彼女が28歳だと聞かされたときと、52歳だったときでは、私の中に生まれる感情も違ってくるだろうし(笑)、年齢によって抱くだけで苦しむ理想も、対抗したって無駄に傷つくだけの壁もあると思います。
だからいっそ、嘘でも全部諦めたと思い込んでしまえば楽になるかもしれない。そうやって死ぬまで自分を騙し通した女性なんていくらでもいるでしょう。でも逆に、その年齢がゆえに、できることがあるんじゃない?それはもっともっともっと苦しみ抜くことかもしれない。若い時なら逃げていたこと。損することにあえて挑むこと。全然優しい言葉じゃないし、流行らないノリだけど、リーディングを通して様々な方とお会いするうちに、わたしの中で「死ぬ直前まで、あがき続けるかっこよさ」という考えが、日に日に大きくなっています。死ぬまでなにかに抗い続けた人の、その無意識の中にあるものはどんななんだろう?という純粋な好奇心かもしれません。

自分の無意識にあるものを知りたいなら、停滞や行き詰まりは素晴らしいチャンスだし、その苦しみの中に深く潜れば潜るだけ心に風が通るとしたら、わたしはどうしたいだろう?今やるべきはなんだろう?

日本人の空気に馴染むことが人生のゴールなら話は別ですが、今感じている苦しみの中をまっすぐ下へ奥へ落ちていく覚悟を持つことで、何十年もの間イメージしていたのとはまったく違った、そもそも予想することなんて絶対無理だった、ほんとの自分と繋がれるかもしれない。ちなみにタロットの「12番の吊られた男」における下降は上昇を示します。その時に感じる孤独への恐れや怒りと矛盾する、小さな小さなワクワク感が噂の自己肯定感なのでは?とつい最近になって思い始めたところです。