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冬の庭の雑草たち

”雑草という名の植物はない。”(牧野富太郎)

冬の庭仕事は、お日様がしっかり昇って、地面が少し緩んで、露の冷たさが空気中に放たれた後。
植物たちも、身を少し緩めたように感じられる頃が気持ちいい。
庭のあちこちを歩きながら、昨日と少し違うところを見つけて、たった1日の間に起こった変化に、決して止まることのない自然の営みを感じる。
昨日より降り積もった落ち葉。昨日より伸びた豆のツル。昨日よりたくさん芽を出した大根。山茶花の花びらも昨日より降り積もっている。
それでも、夏の庭よりは、冬の庭は地上の動きが少ないように見える。
何より夏の庭の雑草の勢いや夏野菜の成長は、見てても伸びるのがわかるかと思うぐらい。
でも、冬の雑草や作物は、元気?と声をかけたくなるような、慎ましやかな佇まい。

そんなわけで、晩秋以来、私は庭の小さな変化に注目しながら、特に雑草たちの住まい方に俄然興味が増している。
野菜の芽のすぐそばにでも出たのでなければ、雑草を抜くのもやめた。
1つには、雑草たちの根が、地面をしっかりと耕してくれることに気づいたからだ。
もう1つは、雑草たちの表情豊かな姿に心奪われたから。

植物学者・牧野富太郎氏の”雑草という名の植物はない。”という言葉には、はっとさせられる。
農作物を中心に考えるうち、たくさんの植物が雑草と呼ばれているけれど、その中には薬草のような恵みをもたらしてくれるものもたくさんある。
そして、雑草という名札をとって、その生き物をそのまま感じてみると、どれもこれも独自で完璧ないのちの形だ。

冬の雑草たちは、地面にはりついた姿のものが多いので、私もよく見ようと地面にはりつくことになる。夏の草が上へ上へと伸びるのと対照的に、地面に広く広く葉を広げて、まるで熱を逃がさないように防寒しているように感じる。寒いの?
茎を伸ばして花をつけ、綿毛を遠くに飛ばしたそうな草たちも、葉っぱの部分は地面近くに陣取っている。
そんなわけで、夏に比べると、草が少ないという風に見えるのだけど、なかなかどうして実にたくさんの草たちが、地面近くで表情豊かに暮らしている。真冬に小さな花をつけているものも数々ある。そんな様子を見ていると、もう一本の草も引っこ抜けない。

そして、地面近くに顔を寄せてみると、地面の中でいろんなことが起こっていることが真近に感じられる。地面の中から、なんだか音が聞こえてくるような感じもするのだ。今この瞬間も、地面の中では、根が伸び、虫とぶつかり、ミミズとぶつかり、土の粒を動かし、絶え間なく地中の水分を動かしているのではないか。地上の静けさと対照的に、冬の地中はにぎやかなのではないか。私の目に見えているのは、間違いなくこの草たちのほんの一部にすぎない。彼らの暮らしのうち、地上に出ている半分しか見えてないのだ。

この庭だけで一体何種類のいわゆる雑草が生きているのだろう?植えたわけでもないのに、どこからかタネが飛んできて、地中でも地茎を伸ばして、あちこちから地上に顔を出し、自分にあった場所を見つけて広がって行く。

一生懸命土を整え、タネをまき、芽が出たかなと毎日のぞきに行く畑の作物。その道々で踏んでしまっているけれど増え続ける草たちのたくましさ。奇妙だなと思い始めて、雑草を日々観察し始め、だんだん、雑草と作物との区別が自分の中でなくなりつつある。もう少しこの雑草たちと仲良くなって彼らの力を私が邪魔しないようになれたら、この庭をふかふかの土でいっぱいの、実に多様な生き物が命を輝かせる美しい場所にできるんじゃないかと思い始めている。

自らそこに生えている。それはきっとぴったりの選択に違いない。いろんな草が混じり合って生えている。それはともに生きれるということだ。それを学ぶところから始めよう。


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