五官と第六感を超えた感覚・第七官 尾崎翠に出会う

屋根裏部屋に住んで、いつも風や煙や空気の詩を書いていたというヨーロッパのどこかの国の女性詩人。
尾崎翠の小説「第七官界彷徨」のなかで、主人公が「私もそんな詩を書きたい」と空想する場面が出てくる。
読み終えて、私もそんな詩を書きたいと空想している。

七つ目の感覚である第七官ーー人間の五官と第六感を超えた感覚に響くような詩を書きたい、と願う少女・町子が主人公のこのお話を読み切って、その豊かな世界を通り抜けて、そう思っている。

第七官が何かわからないのだけれど、それがあると感じている。その感覚に響くような詩を書きたいという主人公の気持ちが、私にのりうつっている。

この小説は映画にも漫画にもなり、大変なファンもたくさんいらっしゃるそうなのだけれど、私はおととい初めて尾崎翠さんのことを知ったばかり。きっかけは、鳥取。私が海辺の山辺の宿を作る場所として、やはり故郷鳥取の岩美郡あたりがいいなあと調べ始めていたところ、この地域出身の作家として尾崎翠さんを知ったのだ。岩井温泉の旅館の中に記念館もあるらしい。

岩美郡はその名の通りrock beautyとうたっている美しいリアス式海岸と白浜の海岸線を持ち、鳥取最古の温泉・岩井温泉もある、海の幸、山の幸に恵まれた地。日本津々浦々という時の、私の原風景でもある。岩の美しい浦富海岸が有名だが、私はその隣の東浜海水浴場が、子供の時から一番好きな海水浴場だった。きめ細やかな白い砂は肌に優しく、遠浅の穏やかな海で、子供心に一番安全な海と感じていた。海岸線に沿って民宿が連なり、砂浜の海の家ではなく、少し奥の民宿から海へ出かけていく習わし。それがちょっと幼心にもリゾート感というか特別感があって、東浜海水浴場が私の一番のお気に入りだった。今風にいうとグランピング感があった。もう50年近く前のことだ。

尾崎翠さんはここ岩美で育ち、鳥取女学校に通ったというのだから、その女学校はのちに男子の鳥取一高と一緒になって私の母校鳥取西高になったので、私の大先輩ということになる。彼女は1896年の生まれ、私が10歳の年に75歳でなくなっている。私が生まれた頃には、故郷で暮らしていたということなので、10年間同じ鳥取の空気を吸って生きていたのだと思うと、なんとも不思議な気持ちだ。

これからしばらく彼女を作品を読みながら、彼女の世界を彷徨して行くだろう。尾崎翠さんにであったことで、私は鳥取のこの海辺の山辺に住もうという気持ちを一気に強くしている。筋道だった理由にならないが、出会うというのはそういうことだ。鳥取の海辺で少女だった私は、あの水平線の向こうはなんだろう?あそこを超えて行ったらどこに着くのだろうかと思っていた。それが60歳を前にして、一巡りした私は、またその水平線に戻ってきたのかもしれない。
ただし今度は、第七官なのか、何か新しく感知できる世界を求めて。私自身の第七官界彷徨を始めようとしている。


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